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※最終回ネタ
※長編アナザー(もしヒロインがウィンダミアに留まっていたら)
※キース←→ヒロインさん←ロイド



月が綺麗な夜には訪れるという。
それは空中騎士団に広まっている噂のようなもので、願いと同意だ。金色の光を背負い、美しいルンを穏やかに輝かせ、この世のものとは思えない艶やかかつ上品な笑顔を浮かべる。彼の者の名は、イシスというらしい。

キースはその話をボーグから聞いた瞬間に無表情で涙を流した。驚いたボーグが慌てて「見ていません!」と叫んだことではじめて泣いていることに気づいた程、あまりに想定外のできごとであった。まさかその名前だけで泣くとは思っても見なかったし、まさかその名前を聞くとは思っていなかったのだから。

イシス・ウィン・イシス、キースの婚約者であり、あの忌まわしき争いの中で命を散らせた、もう一人の歌い手。弟であるハインツとはまた違った歌声を持つあの少女のことなのだ。
風のミドルネームを持つということは、彼女もまた王族に連なるものなのだろう。ずっとそう噂されていたが、実際のところは少し違う。他所の惑星から来た彼女の祖先が根付き、ミドルネームだけが受け継がれているにすぎない。けれどその誤解も、イシスの代で本当になろうとしていた。

キースの婚約者という立場に収まったことで、その噂は信憑性を増していたし、事実になる。そのはずであった。


「あのね!キース!!陛下が遺跡で歌って良いって許可をくださったのよ!素晴らしいことだわ!プロトカルチャーの遺跡、そこにまつわる伝説!これで好きなように大人たちに聞けるのよ!」

「そうか」


そのリアクションに少し怒ったように頬を膨らませたイシスだったが、すぐにまたいかに素晴らしい許可であるかを語り始めた。キースが士官学校で学ぶようになってから、彼女もまたすぐに追いかけてきてしまったのだ。様々な思いの中でこの道を選んだキースとは違い、彼女はただ、キースに見合うため己の身を守れるようになるためにという理由だけで、ここへ放り込まれたのだ。
同級生や先輩たちからは、王族に連なるはずなのに後ろ盾のないイシスのことは、1つの「仕方がないこと」とされていた。
それでも制服に身を包み、上品でありながらも凛々しく戦いの知識を身に着けていくイシスにキースは惹かれた。婚約者という立場が身にしみた。


「正直ね、私はパイロットには向いていないと思うのよ。だって戦術とか考えて、周囲とのポジションを考えて動くのが苦手だもの。」

「そうだな。周囲を見る目はあるが、それは1つ後ろで見ている時の話だ。」

「成績は悪くなくても、実技がアレじゃあねえ…」


悲嘆したように言う彼女は、団体戦に弱い。


「いっそ、オペレーターとかになれたら良いのだけれど」


邪魔にならないようにしている彼女の髪の毛を、できるかぎり、ふんわりと撫でた。
それだけでそこに春が来たように微笑むイシスは、本当にパイロットに向いていない。好きなように歌い、好きなように踊る方がよほど向いている。騎士になる志を宿していると同時に、キースの中には彼女と籍を入れることで守りたいという気持ちも同時に、たしかに、しっかりと存在していたのだ。

ほんのりと染められた頬、手触りの良い髪の毛、嬉しそうに少し開いて微笑む唇、くすぐったそうに竦められた首筋。
そして何よりも、大切に名前を呼んでくれるその声が愛おしい。







「イシス」


小さく呼び掛ける。目の前で己に貫かれた幼馴染が小さく笑った。


「また懐かしい名前を…あのお方の元へ行けるのであれば、これもまた1つの定めとして受け入れられる」

「あのまま、ハインツ陛下のように歌うことで我らの翼となる道もあったはずだ。それなのに」

「彼女をパイロットとして推したことを、気にしているのか」

「当たり前だ…あの時、イシスが戦場に出ていなければ。俺にもっと、守る力があればっ!」


目の前で悲しげに歪められた友の表情に、キースは自分も同じ顔をしているのだろうと思った。



 −−大丈夫、大丈夫だよ。もうなんにも、痛くないよ


看取った時に聞いたあの声が、聞こえたような気がした。


 −−絶対大丈夫、私が居るもの。あなたは正しい。他の誰が間違いだと言っても、私だけは否定しない。


 −−もう、お互いに傷つけ合わないで



「イシス…」


爆発音に飲まれた声に、遠くから返事が聞こえたような気がした。







月がきれいな夜に







美雲ははっと顔をあげた。
聞いたことのない歌声が聞こえたのだ。

崩れ行くウィンダミアの艦から聞こえるそれは、星の歌とどこか似ていて、それでいてそれよりもずっと暖かく、慈しみに満ちている。鎮魂歌のメロディに、心がゆるゆると溶かされていくようだ。


「美雲?」

「聞いて、あの歌を…とても哀しいけれど、深い愛に満ちているわ。」


促せば、少し離れていたミラージュたちもが艦を見上げた。
光の粒が飛び交う様子は、苦しみや悲しみから解放されて空へと飛びたとうとしているようにも見えた。


「私も、こんな風に歌いたい。私の意思で、皆と…」
















2017/03/16 今昔





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