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イシスは深く眠っていた。眠っているという自覚があり、そしてこれは恐らく夢と呼ぶべきものなのだろうと予想できていた。
夢というだけあって、何の脈絡もなく移り変わる景色は、ラグナの海であったり、雪原であったり、ウィンダミアの王城であったり、そしてあの悲しき場所であったり。全てが燃えている。目まぐるしく移り変わるそれらは全て、イシスにとっては見るのも苦しいものばかりであった。一瞬だけ、キースやロイドさえも炎に飲まれる景色が見えて、これは一体何なのだろうかと自問する。


「イシスお姉さま!」


背後からの声に振り返れば、先日チラリと顔をあわせたハインツが居た。前髪の横に長く垂れるルンが、ふんわりと優しい風をまとっている。


「ハインツ!どうしてここに……いいえ、夢なのだから、きっと何があってもおかしくはないのだけれど。」

「イシス姉様こそ、どうして私の夢に……?」


不思議そうに首をかしげたハインツに、イシスは一つ思いついたことがあった。思いついてしまったことがあった。
恐らくは、


「ハインツと私の意識がつながっているのだと思うわ、あの、アル・シャハルの遺跡で起きたことと同じように、二人の意識がつながっているのよ」

「確かに、ここにはあの時のような恐ろしいものが溢れています。イシス姉様、一緒に帰りましょう、兄様の元へ。」


ハインツがイシスの両手をとると、イシスは身体がふわっと浮いたように感じた。まるで戦闘訓練で空を舞った時のように軽くなる心に、まるっと身を委ねた。






【19.始動】






「イシス!!」


ばーん。

と、らしくもなく盛大な音を立てて扉を開けたキースに、イシスの横で検温をしていた侍女が「お静かに」と言い放った。それでほんの少し正気に戻ったのか、気まずそうにすまないと言いながらも、キースはつかつかとイシスのベッドへ寄ってきた。
いつもの騎士団の制服ではなく、少しラフな私服を着ている。珍しいこともあるものだと思ったが、着替えるような手間も惜しんで来てくれたということなのだろう。イシスはそう思ってふふっと笑うことにした。


「キース、私は一体何日眠っていたの?」

「まる一日だ。今後、俺の許可なく遺跡へ近づくな。アル・シャハルでもワルキューレのメンバーと意識が繋がったと言っていた。あまり危ないことをするな」


キースの視界に入っていないと分かったらしい侍女は、イシスに向けてだけ退室の挨拶をするとさっさと出ていってしまった。それすらも気づいているのかいないのか、キースの手が柔らかくイシスの頭をいったりきたりしている。ちらりと見えた首元に、おそろいのピアスが付いていることに、どうしてかとても安心した。


「今は。気分はどうだ、落ち着いているのか」

「ええ、キースが来てくれたのだから」

「茶化すな」

「ごめんなさい、本当に大丈夫。問題ないわ。先ほど、陛下からの言伝だと言って、出撃の話を聞いたわ。シグルヴァレンス、動かせるのね」


イシスは今度こそ本当に落ち着いたらしいキースの様子を見て、枕元においてあった端末を持ち上げた。軽く操作し、球状星団の全体が見える地図を立ち上げた。


「キース、陛下やロイドが考えている計画で、私がすべきことが決まったわ」

「……危険は、ないのだろうな」

「私の騎士が優秀ならばね」


茶化すように言って1つのボタンをタップすると、地図上の「Voldor」や「Al Shahal」といった文字と惑星が色を変えた。他にもラグナなどプロトカルチャーの遺跡がある惑星に色が灯る。
そしてそれらは互いを線で結び、複数の三角錐を形勢して星団の全ての惑星を飲み込んだ。


「プロトカルチャーの遺跡同士が共鳴することで、球状星団の全ての惑星を支配下に置くことができる。ここまでは承知の上よね?」

「それは今まで何度も話に出ていたことだ。ハインツ様の風の歌によって統率をとる。そういう話だったはずだ」

「マインドコントロールというのは、かかりやすい人とかかりにくい人が居る。私の役目は、歌手としての私『アルクマーン』という名前を利用して、この銀河すべてに歌を届けること」


ワケがわからない、とキースの眉が歪んだ。
ロイドがイシスの歌を解析し、そして利用方法を考えたと伝えてきたのはキースがやってくるつい数分前のことだ。知らずとも無理はないので、イシスはロイドが渡してきた端末内の企画書を見せた。


「私の歌にも、風の歌と同じように人間に何かしらの作用をもたらす力がある。生体フォールド波の影響力はワルキューレに近いものがあるけれどね。電子化した私の歌を全宇宙へ配信することで、風の歌が脳に影響しやすくなるようにする」

「前座、ということか」

「そうとも言うわ」


ワルキューレと並び銀河ネットの楽曲人気ランキング上位の常連であるアルクマーン、その知名度を持ってすれば造作もないことだ。ロイドも陛下もそう言ってくれた。ワルキューレと敵対するというよりも、人気の取り合いのような状況になっていることが不思議だったが、イシスはそれで良いような気がした。
戦場で実際にワルキューレやデルタ小隊と向かい合った、あの心がすり減るような感覚は正直辛い。寿命が縮むような心地だ。


「私の歌は、あなたが大空を舞うためにある。」

「ならば、俺の翼はお前を守るために。」


優しく手をとって、指先に唇が触れる。
柔らかいキースの髪の毛が、そろりと腕をなぞった。穏やかな色をたたえるルンは、イシスの考えを受け入れていることが伺える。たったそれだけのこと。それだけのことで、穏やかな黄色と白、ベージュ、春先の青々とした若葉を透かしてくる光、その光で描かれる複雑な模様の影。そういった素敵なものを全て集めてもかなわないくらいに、イシスの胸は満たされた。
いつもは鋭く周囲を警戒しているキースの瞳も、今は春風のように優しい。恐らくは、イシス以外にそう見せない顔。触れ合う指先から伝わる体温と、交わった視線から感じる愛情に心臓が高鳴る。


「私は歌うわ。私が大切に思う人のために。だから明日からの出撃にはついていかない。ウィンダミアの遺跡からハインツを助けることになるの。」

「……わかった。どのような戦況であっても、お前の歌と心は俺に届く。」

「ええ、間違いなく」


二人は柔らかなキスをかわすと、出立となる朝までずっとただひたすらに隣に居た。






2017/11/24 今昔




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