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まるで眠っているようだ、という表現があるが、この場合はまさに深い眠りに落ちているのと同じ状態であろうと研究員が言った。医者ではなく、研究員というのが納得できなかったが、同席していた医者も何も言わず、ただ回復を待つしかないと添えたので、キースもどうにか納得することができた。


「そのような顔をするとは。イシス嬢の帰還は様々な意味で喜ばしいものであったようだな」


大きな天蓋付きベッドに座るグラミアは、どこか楽しそうな色を含んでそう言った。横に立っているキースの顔色を伺い、そして何を思っているのか察してしまったのであろう。キースにとっては父親であり、騎士として守るべき国王陛下でもあるグラミアには、隠し事などできるとは思えなかった。
キースは少しだけ悩んでから、イシスのことはすでに伝わっているだろうと考えて、かいつまんで説明をした。それから、キースが感じたままを口にした。


「イシスが遺跡との共鳴に耐えかねて倒れたと、遺跡の研究にあたっている者から聞きました。ですが、真に彼女が太陽の歌い手であるというのならば、何故そのようなことになってしまったのか。」

「イシス嬢を心配する気持ちはよく分かる。しかし遺跡については分からぬことが多い。イシス嬢の言い方を借りるのであれば、その未知と不思議によって、プロトカルチャーの遺跡は動いているのではないか、ということだ」

「……」

「どれほど言葉を重ねようとも、お前の本心は1つ。ただイシス嬢が心配なだけであろう。ルンに悲壮と怯えが満ちている」


言われてはじめて、キースは自分のルンが鈍く色を失っていることに気がついた。
イシスが遺跡で倒れたと聞いたのは、実際に彼女が倒れてからなんと3時間も経過した頃の話だったのだ。どうして婚約者であるキースのもとへ話がすぐに来なかったのか。苛立ちも覚えるが、それ以上に自分の知らないところでイシスが倒れたという事実が苦しくてならないのだ。

あの日、最後に繋いでいた手から、するりと彼女の指先が抜けていった。心もとない、足元が揺らぐ、世界が色を失う。どんな言葉でも表現することの出来ない、負の感情がこみ上げてきて、キースは年甲斐もなく涙を零したことを覚えている。
もう二度とあのような絶望は味わいたくない。だからこそ、白騎士の婚約者であるという事実と、物理的に戦闘中も側へ置くという2つの面から守ると決めたのだから。

キースの考えなどわかりきっていると言わんばかりの表情で、グラミアは微笑んだ。
それからベルガーがやってきて、しばし部屋は無音になってしまった。更に追うようにしてロイドが入室してくる。
グラミアからの呼び出しの本題も、こちらだ。今後の戦闘では全軍の指揮をグラミア自らがとる。それをロイドへ伝えるために呼ばれたのだ。

本題へ入るその前にと、ベルガーはロイドと並ぶようにしてグラミアの前へ進み出た。


「プロトカルチャーの大いなる遺産、シグルヴァレンスの能力解明が60%まで。起動も可能でございます。」

「なにッ?」


キースは内心で舌打ちした。もっと早く解明が進んでいれば、イシスは倒れずともすんだかもしれないのだから。


「ロイド、全軍に通達せよ。出陣する」

「っ!?…まさか…陛下自ら?いけません、そのお体では!」

「……風が凪いでいる。貴様のルンからは何も響かぬ。迷う心を己で鎮めている。ハインツの身を憂いておるのか。」

「……」

「響き合ったのであろう、敵の歌い手と。」

「何故それを…」


何故もなにも、正規軍の一員として出陣しているイシスからだって報告はあがる。ハインツから話を聞いているのであれば、イシスもまた共鳴していたのだと知っているはずなのに。
どうしてこうも些細なことに違和感を覚えるのか、キースにはいまいち自分の感情が理解できなかった。


「ハインツとイシス嬢。二人の風の乱れをルンに感じた。ワルキューレとやらがそれだけの力を持つのであらば、我らも相応の覚悟で事に当たらねばなるまい。これより全軍の指揮は私がとる」


キースが快諾の意を示して跪けば、ロイドも慌てたように従った。






【18.眠り姫】






「何故そこまでハインツ様の身を案じる。」


キースとロイドはイシスの眠る私室のベランダに居た。空は暖かそうにも見える分厚い雲をまとっており、うすぐらく霧が立ち込めている。イシスの意識も、今はこの霧のようなのだろうかと思った。


「臣下として当然のことではないか。お前だって、彼女の身を案じているだろう」

「…陛下のご意思に背いてもか。」


ちらりと部屋の中を見やったロイドに、キースは都合の悪いところは全て無視して返答した。ロイドはそれが分かっているようで、口角を持ち上げる。


「ハインツ様は風の歌い手。その力は偉大なるプロトカルチャーが、我らウィンダミアのためにお授けになったもの。」


まるで酔っているとも見える口調で、ロイドは続けた。
どこか自分とは違う世界を見ているような仕草、声に、切ない気持ちがこみ上げてくるような気がする。


「イシス嬢…太陽の歌い手と呼ばれる彼女も、プロトカルチャーが授けし偉大なる力。ハインツ様の能力を最大限に引き出し、補佐をするための能力。お二人こそが、プロトカルチャーの統治者になられるかもしれぬ方々なのだぞ」

「また、プロトカルチャーか」


口から出た声は思ったよりも棘を含んでいた。
プロトカルチャーがどうの、ハインツの歌がどうのといったことはどうだっていい。ただ二人が無事でありさえすれば、陛下のご意思に従うことができれば。それに、キースにとって馴染みのない未知のものでしかない「プロトカルチャー」という言葉で、イシスを括られるのがどうしようもなく腹立たしい。


「遺跡の力、太陽と星と風の歌。聖域の水と林檎も全て、彼らが我らに与えしもの。」

「それらを利用できるまでにしたお前の功績は認めよう。しかし、大事なことを忘れている。」

「大事なこと?」

「我らの命は短い。」


キースはふと、己に残された時間と、イシスに残された時間とを思った。恐らくは己が風に召された後に十年、いや二十年ほどイシスは歌を捧げ続けることになるだろう。キースの居なくなった場所で、優しく誇り高い彼女のことだから、キースを思って歌うのだろう。
それが酷く居心地が悪いような、嬉しいような、筆舌に尽くしがたく思われて慌ててつけくわえた。


「時間はないということだ。」

「……」


ロイドは吐息ともため息ともつかない声をはいた。遠く響く声をあげながら、鳥が飛んでいる。曇天から降る雪を気にしないその姿は、己のように思えた。きっと空はこの世界で、風がハインツ。そして雲を裏から優しく照らしているのがイシスだ。


「かつて誓いあったな。俺は空から、お前は翼を折り地上から。俺たちでこの国を強くし、忌まわしい過去から解放すると。」

「今でもその気持に変わりはない。イシス嬢がいずれ戻る場所は、美しくなくてはならない。そう言い合って、競い合い、そして高めあった。その結果の誓いだ」

「そうか。だがお前は、遅すぎた」


キースが立ち去った場所で、ロイドは空を見上げたまま動かなかった。


「いずれ、時間も、イシス嬢も……」










アイテール。
曇天に包まれているのは、ウィンダミアと同じであった。もちろん、そこに居るワルキューレがそれを知ることはないが、それでも確かに同じ色の空が覆っていた。
悲しみとも喪失とも形容できぬ空気をまとっているメンバーに、美雲は眉根を寄せた。その空気そのものは気に食わないが、仕方のないことだ。悲しむ気持ちは美雲にだってある。しかし、あの時、あの土足で踏み込まれるような感覚のアレが無ければ。自分も歌えていれば。カナメだけでなく自分も……イシスも一緒だったら。そう考えてしまうと、思考は下向きの坩堝だ。

人がすっぽり入れるサイズのカプセルに入って検査をうけた美雲は、その検査着のままでフレイアの検査中であるマキナとレイナへ合流した。手元の数値を見ながらマキナが呟く。


「脳波、バイタル、身体反応。全て正常値」

「何度やっても異常無し」

「本当に見えたの?」


マキナの問いかけに対して、フレイアが検査用のカプセル内からあの時見たものについて語る。悲壮感漂うそれは、あのときの衝撃と、メッサーのことと、様々な要素が折り入ってのことだろう。


「覗かれたわ。奥まで」

「っ!! メンタルハッカー…!?意識に、入り込んできた……」


まさかそんなという表情で言ったレイナに、美雲は気持ち悪さを感じた。まさに、こちらの意識に、心に入り込まれたという表現がぴったりだったからだ。


「土足で勝手に入り込んでくるなんて、やってくれるわ」

「一体誰が……」

「風の歌い手よ、マキナ」

「あと、ぶっちゃ怖かったあの真っ暗な場所で、美雲さんだけじゃなくって、イシスさんも居た。風の歌と同じ……無色をまとったイシスさんが。」


美雲もまた、フレイアと同じようにイシスへ思いを馳せた。
イシスは今、何を思い、何を考えて歌っているのだろうか。







2017/08/30 今昔




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