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「エネルギー転換装甲がオーバーロードしていましたので、ユニットごと交換しておきます」


イシスはキャットウォークから身を乗り出すようにして叫んだ整備員の声で、自分がもたれかかっているドラケンの主がやってきたことに気づいた。


「頼む」


簡素だが信頼を感じさせるその言い方に、整備班が嬉しそうに微笑んで作業へと戻ってくる。イシスは邪魔にならないようにさらに隅っこへと移動すると、端末をペタペタと操作した。
あの時、歌っていたら目の前に美雲が、フレイアが現れた。そして背後にはハインツの風を感じた。

あの空間は、一体なんだったのか。それを確かめるためには、あの時の感覚を全て忘れないように書き留める必要がある。けれどあれは言葉で語るには過ぎた代物だったように感じられて、イシスはひたすらに五線譜を埋めていたのだ。
音楽をすごい。言葉で表せないものをたった5本の線とその上を行き来する丸とちょっとした記号で表してしまうのだ。そして同じ楽譜を歌ったとしても、人によって表現されるものは異なる。これだから音楽は便利で、そして不便で、奇跡なのだ。


ちゃきん


刃物の音と、キースの怒りのようなやるせない風を感じ、イシスはひょこっとドラケンの影から顔を出した。
見れば、キースがナイフをボーグの首に突きつけている。


「お前に、あれほどの風が吹かせられるか?」


仰け反ったボーグが通路から落ちそうになったのを胸ぐらをつかんで助けたキースは、ナイフをしまうとこちらを見上げてきた。イシスはぴかぴかしているボーグのルンをじーっと見つめてやると、彼は焦ったように両手で隠した。


「そこで何をしている、イシス」

「何って、作曲よ。一番ここが落ち着くのだもの。」


少し照れたように顔をそむけたキースは、そのまま「好きにしろ」という言葉だけ残して立ち去ってしまった。そのルンからはもう怒りやら何やらは感じられないので大丈夫だろう。
イシスがにんまりと微笑むと、下からボーグが見上げてきた。


「イシス様、次はどのような歌を?」

「今できてる分なら聞かせてあげるわ!」


イシスはすっと立ち上がると作曲補助ソフトの再生ボタンを押した。「ここで歌うのか」とヘルマンの呆れた声も聞こえたが、流れ出したイントロに、整備班が既にわくわくとこちらに視線を送っている。今更場所を変えるだなんてありえないだろうと、イシスはたっぷりと息をすった。



イシスはボーグや整備班から楽曲の感想、とは名ばかりの賛辞をもらうと、もっと的確に貶すことも厭わずアドバイスをくれそうな人を求めて移動していた。褒めてもらえるのは嬉しいが、同時に改善点も洗い出す必要がある。今更その程度のことで心が折れるなどあり得ないので、イシスはいっそロイドが見当たらないものかと遺跡へやってきてた。
入り口まで来たところで丁度ロイドを見つけて、声をかける。


「イシスさんの歌ですか、せっかくですから遺跡の中で作ったらよろしいのでは?」

「遺跡の中で?」

「ええ、プロトカルチャーが残した大いなる遺跡、この場所でならば太陽の歌もより作りやすいかと」


ロイドがこちらに向けた眼差しに、イシスの背中がゾワリと震えた。生粋のウィンダミア人と比べるとルンが目立たないのが幸いだった。ロイドに恐怖したのだ。その瞳に映っているのは、まるで先日みた、あの不思議な空間そのもののように感じられる。
底なしの闇のようなものを感じてイシスは一歩後ずさった。


「さあ、是非中で」


ロイドに促されるままに神殿へと足を踏み入れ、ハインツがいつも風の歌を歌うあの場所へと登らされる。あれよあれよと言う間にやってきたが、周囲の研究員たちも然程不思議がっている様子もない。完全にロイドの手下、というか、イシスがここへ登ることを否と考えていない証拠だ。
そもそも曲を作りたかっただけなのに、何故よりにもよってこの場所なのだろうか。イシスが歌っていなくても、階段の下で見ているロイドはとてもうれしそうだ。嬉しそうであり、その笑顔が少々怖い。


「宰相、私は…」

「歌えば、自ずと見えてくるのではありませんか?」


つまり何がなんでも歌えと、と小さく呟くと、イシスはそれもそうだと思い直した。
頭で考えていることなど実際に感じてしまったことには敵わない、これはイシスが音楽をやってきた人生の中で感じたことのひとつだ。音楽理論をどれほど頭に叩き込んだところで、本番の、実践の、実際の感情に左右されてしまうことなどしょっちゅうだ。それでも人が楽典を学ぶのは、感情に左右されて表現できたものを、少しでも高めるためなのだろう。
要するに、イシスとしてもこの遺跡という特殊な場所で歌うことはマイナスにはならない、どころかむしろプラスになってしまうだろうということ。


「宰相、そこで聞いていて。これが、私の…ワルキューレではなく、私の音楽」


最後は呟くように付け加えると、イシスはそのつぶやきを大きくしたような歌い方で歌いだした。







【17.シンクロニズム】







いつの間に押されたのだろうか、イシスの持っていたのであろう端末から楽曲のインストが流れている。まるでイシスが3人居るかのような音の重なり合い、一人では到底歌えないだろうと思われる、息継ぎの少なさ。それをイシスは表情を崩すこともなく歌っている。
単純に、その歌声に圧倒された。
彼女が好きなのであろう、ヴァイオリンは2パートとヴィオラも第二パートまで、更に通常のオーケストラにプラスしたドラム。管楽器では特にフルートとホルンが目立つインスト部分。得意な中低音はよく響き、高音も綺麗に伸びていく彼女にぴったりだとウィンダミアのファンも認める編成。

しかしロイドの思考はすぐに他のところへと飛んでしまった。
遺跡が、ハインツの歌に対するものとは全く異なる共鳴の仕方をしているのだ。


「これは…一体……」


思わずこぼれたつぶやきと同時に、イシスは階段の先で倒れ込んだ。控えていた研究担当たちがかけより、慌てた様子もなく医務室へと連れて行かれる。イシスの顔色は幾分か悪いようにも感じられたが、普段の彼女を見慣れているというわけではないため、それが本来の顔色なのかどうかは分からなかった。歌っている時には必然的に血色が良くなっているようだし、なによりステージに登るときには舞台化粧で顔色はわかりづらい。
とにもかくにも、イシスの残した数値を見て、ロイドはいくつかの可能性を考えた。


「おや、お困りのようですな」


イプシロン財団、ブリージンガル球状星団の責任者。少々怪しげな口調で喋る男、ベルガーであった。彼にはこの遺跡の解析も依頼しているため、ここに居ることには何の問題も無いのだが、いかんせんタイミングが良すぎるように思われる。
ロイドはその不信感から口を開かず目線だけをくれると、ベルガーはルンが無くとも分かるそのロイドの感情を無視して言う。


「私も今の歌についてモニタを確認させていただきましたが…いやはや。これは興味深い。まるで本当に『太陽の歌い手』が蘇ったかのようではありませんか」

「……続けろ。ことを急いてはいない。」

「では。
 彼女の歌声によって遺跡がもたらした数値とハインツ様の歌声がもたらす数値を重ね合わせた図がこちらです。更にこちらはイシス様とワルキューレの数値を重ねたもの。この増幅具合、彼女はまるで生体フォールド波の増幅装置ですな」


ベルガーが示したモニタには、過去の戦闘から拾得したワルキューレの生体フォールド波の数値と、イシス個人での数値。さらに宣戦布告をした日のワルキューレとイシスを合わせたものとが表示されており、たしかに、イシスが加入することによってステージ全体を通しての平均数値が高まっている。


「ヴァジュラ戦役などの各戦闘経験から言えることは、以前お話したかと思います。『歌は兵器』。イシス様…つまり太陽の歌い手、ルシェ・サーラの伝説に登場する少女は、星の歌い手の能力増幅装置であり、安定装置。」

「…なるほど、2つの神話が描かれたとされる時期は若干ズレてはいるが、誤差の範囲内。本来、太陽と星は対であるべき歌い手たちということも考えられるのか」

「強大すぎる力を制御し、コントロールしやすくするための、そして何より、星は太陽がなければ輝きますまい」


その言葉に、ロイドは少し眉をひそめるのみにとどめ、ベルガーを残して医務室へと向かった。途中ふとキースに伝えるべきかとという思考もよぎったが、二人とももう大人で互いのことは逐一報告するまでもないだろうと思い直した。




「歌は兵器。是非とも、星の歌い手と共に歌わせてみたいものですね、宰相殿…」








2016/10/13 今昔
ヒロインさんの楽曲は、基本的にKalafinaの曲を想像していただければ。




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