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もはや私服となっている騎士団の制服から上着を取っ払った格好で、王城の一室に篭もり、電子機器の鍵盤に指をすべらせる。


「せっかくならワルキューレがよく歌う曲の対旋律になるように楽曲作ったら、妨害として歌えるし、ワルキューレのファンにも喜ばれるかな…ってなると歌詞はやっぱり恋の歌…?うんん?」


イシスは端末のメモ帳機能を立ち上げて作詞作業に励んでいた。ある程度のテーマと部分的にでも歌詞がまとまってくると、後は勝手に体が歌って楽曲にしてしまう質なので、テーマが決まらないことにはどうしようもなかった。
民謡のアレンジをしている時には現代人の耳に馴染むように編曲すればよかったし、民族調以外の楽曲は基本的にダンスチューンだったので方向性は固まっていた。ワルキューレの時も大抵テーマが決まっていたし楽曲制作に手を貸すまでもなかったのだ。改めてワルキューレから離れて自分の楽曲を作るとなると、どうしてもテーマに困ってしまうのだ。

国王陛下の了承もあり近々キースと婚約することになった身としては、恋の歌を作るのは少々気恥ずかしいものがある。戦場でそんなことを言ってられないのは分かっているのだが、本人が聞いているとはっきり分かっている以上彼への思いを歌にするのは、無理だ。


「はあ、困ったわね。今まで恋歌なんていくらでも作れたのに」

「今までのように遠き誰かを思うのではなく、身近な恋に歌詞を変えてはいかがですか」

「なるほど、その手がって


 きゃあああああああああああああああああああああ!?





【14.小競り合い】





背後からの声に振り返ると、にこにこと笑顔で佇むロイドが居た。ひとりごとを聞かれたことも恥ずかしいし、何より音もなくそこに立っていたことがホラーでしかない。婚約者が居る女性の部屋に無断で立ち入ることをするような人でもないので、恐らくはノックに気づかなかっただけなのだろう。イシスは自分の中でそのように片付けると、ロイドにしっかりと向き直った。


「ろ、ロイド…一体いつの間に?」

「あなたが歌詞を口ずさみながら『まずはサビからよね』と呟いているあたりからですね」


だいぶ最初から聞かれていたようだ。落胆するイシスに「気分転換いたしましょう」と言うロイドに、イシスは頷くと着替えたいので少し待ってもらうように告げた。仮にも白騎士であり王家に連なる者の婚約者となるのだ。他の者の目に留まる場所ではそれなりの格好をしていなくてはならないだろう。
イシスはロイドが部屋の外へ出てくれたので、遠慮なくワンピースに着替えた。雪国のウィンダミアでは生地が分厚く少々肩こりするのではないかと思っていたが、いざ着てみるとまるで羽根をまとっているように暖かで軽い。キースの選んでくれたモダンなデザインかつ、彼のルンの色が差し色に入ったワンピースはイシスのお気に入りだ。
「お待たせしました」とイシスが出て行くと、ロイドの左手がそっと差し出され「散歩しましょう」と笑顔が返ってきた。男性のエスコートを無下にするわけにもいかず、イシスは素直に彼の手をとった。


「あら、そういえばロイド宰相、剣を2つお持ちということは、今日は訓練の予定だったのですか?」

「ええ、まあ少し。…それにしても、昔のように呼んでくださって構わないのですよ」

「『ロイド』と?それとももっと昔の『お兄ちゃん』の方が良いのかしら」


からかうように言うと、ロイドは少しだけ頬を染めて「お兄ちゃんは勘弁してください」と微笑んだ。
それからふっと笑みを消して続けた言葉に、イシスは息を呑んだ。


「この後空中騎士団が出撃するとの連絡を受けました。…今後は恐らくハインツ様が歌うことによって発声するご自身への負担を軽減させるため、あなたにも歌っていただく必要があるでしょう」

「やはり、私も歌った方が良いのですよね。ええ、覚悟はしています」

「ありがたいお言葉です。ですが、このように立て続けに風の歌を使っていては、ハインツ様のお体が持ちません。ので、空中騎士団の出撃を阻止しようかと思いまして」


そう言ってロイドが持っていた剣を掲げたために、イシスはえっと大きな声をあげてしまった。すると丁度差し掛かった廊下の交差点の右手側から「ロイド様?」という双子のどちらかの声が聞こえてきた。
思わずイシスが立ち止まって右側へ顔を向けると、騎士団の面々を引き連れ先頭を歩くキースと目があった。軽く微笑み顔を傾けた彼の耳元で、小さくピアスが光る。


「イシス、どうした?」


キースのイシスに対する呼びかけを無視して、ロイドは剣を放った。綺麗に受け止めたキースは怪訝な顔でロイドを見かえしてくる。イシスは内心であたふたと汗を流してしまった。これではロイドの行動にイシスが賛成しているように見えてしまわないだろうか。


「ハインツ様には、休息が必要だ」

「キース」


ヘルマンの静止の声すらもどことなく楽しそうだ。そしてキース自身も不敵な笑みを浮かべている。


「久しぶりだな」

「私に勝てたことがあったか?」

「昔の話だ」


そのやり取りだけで昔の二人の様子が思い出され、イシスは微笑ましい気持ちになった。が、ロイドがふとこちらを振り返ってニヤリと笑った。


「ではあえてその昔の話を持ちだそうか。」

「なんだ」

「昔、『どちらがイシスをお嫁にもらうか』でよく喧嘩をしていたな」

「「ぶっ」」


キースの背後で双子が盛大に吹き出したのが見えた。イシスの知らないところでそんなやりとりがされていたとは驚きだ。キースが少しだけ照れて頬を染めながら「それがどうした」と続けたので、本当のことなのだろう。


「あの日の喧嘩の続きも、これに含ませてもらう。私が勝てば陛下に進言して『宰相の嫁』という立場で彼女を守るように言う。お前が勝てば私は今後一切彼女にそのような手出しをしないと誓おう」


負けたことがないというようなことを言っていたので、ロイドは負けるということは前提にないのだろう。いい笑顔というしかない表情でキースを煽るように微笑んだ。


「後悔するなよ」


言うが早いか、軽く重心を落としてキースが駈け出した。
一撃、二撃、打ち込むたびにその激しさを示すような火花が散る。ロイドも文官であるとはいえ、二人は達人同士と呼ぶにふさわしい組み合わせだ。
二人の足元の移動は最小限であるにもかかわらず、互いが弾き返した剣の動きはおおぶりだ。ロイドの緻密に計算された動きと、キースの素早さや力量が拮抗しているのだろう。遠くに居る双子やボーグも感嘆の息をついたのが見て取れた。

何度か立ち位置が入れ替わり、上手いこと咬み合ってしまった互いの剣を下から掬い上げるようにして、キースがロイドの剣を放り投げた。純粋に腕力をはじめとする筋力が必要な場面では、やはり現役で鍛えているキースのほうが有利なのだろう。


「俺の勝ちだ」


と、そんな冷静なことを考える脳みそはほんの一部分だけで、イシスはもうポウっとする頭で惚れ惚れとキースを見つめていた。
集中し、純粋に戦士として滾っていたらしいその闘志はイシスの中の雌を刺激するには十分であった。切れ長の目が鋭く敵の剣を読み、受け、時には流し、的確に隙を突いて攻撃へ転じる。防御かと思えばそのままの流れで攻撃に入るその戦いは、まるで舞っているようだと思えた。それはもう、惚れなおしたというべきか、幼い頃のあのキースではなく改めて今のキースに惚れたというべきか。もう、とにかく、思考が追いつかない程にトキメキと音楽が溢れて止まらないのだ。


「陛下に逆らうつもりか?」

「しかし、ハインツ様のお命が」

「その時は、俺の命も大いなる風に差し出そう。この戦いに勝利した後、俺の命も」

「それではイシスさんはどうなるのだっ!」


ロイドの悲痛な叫びにキースが目を見開いた瞬間、幼い少年の声が響いた。


「翼を収めよ!」


イシスとロイドがやってきた方から見て左手側の階段上、ハインツと従者の二人が立っていた。


「ルンに二人の風を感じた。……歌って、ぼくも死のう。」


続けてキースと呼びかけたハインツの声に、キースは表情こそ出さないが渋々といった動作で剣を収め、跪いた。悲痛な顔をしているであろうロイドから、切なさやそれに類似する感情がルンを通して伝わってくる。


「けれどキース、あなたが大いなる風にその身を委ねるのは、姉様を幸せにしてさしあげたその後でも遅くはないと、ぼくは思う」

「ハインツ様…」

「ぼくももう一度、姉様と呼べる日がきて嬉しく思っている。今の勝負で姉様もキースに守られることにより一層の安心感を得たはず。それならば、大いなる風があなたを呼ぶまで、どうか姉様の側に」

「…はっ」


穏やかな顔で、しかしどこか嬉しそうな顔で、ハインツがこちらに笑みを向けた。
イシスも笑顔を返してから、正式なお辞儀を返した。






2016/09/16 今昔




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