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己の腕の中で心地よさそうにルンを光らせる少女に、キースは心が穏やかになるのを感じた。ルンを通して、いかに彼女がキースという人物を求めてくれていたかが分かる。歌う時はいつだってイシスの心の中にはキースが居たと、そう実感させてくれる。それだけで、今までの寂しさが拭い去られるようだ。

しかしそれと同時に、底知れない怒りを覚えた。
それは彼女の居場所を奪ったウィンダミアの世論に対してであり、自分が共に居られなかった時間の彼女を知っているワルキューレやケイオスに対してであり。自分が居ない場所で笑っていたであろうイシスに対してであった。
ひとしきり互いの間に吹く風を感じとって心が満たされると、キースは名残惜しさをこらえてイシスを腕から解放した。トンと軽く跳躍してフレイアの前へと出る。先ほどから目に涙を貯めているその少女に、どうしても同情やら哀れみやら同調やらといった感情は覚えられない。


「フレイア・ヴィオン」


恐れを湛えた瞳で見上げられ、少しだけ苛立ちさえ覚える。


「祖国を捨て、お前は何故汚れた者たちの歌を歌う。」

「祖国を…捨てて……?」


まるでその発想は無かったと言わんばかりの表情に、今度は困惑を覚えた。祖国であるウィンダミアが敵対を宣言した連合政府側に雇われているケイオスに身を置く以上、それは敵対を承知しているということだ。所詮雇われなのだから、祖国を裏切れないという思いがあれば辞めることだってできただろう。
現に、イシスは今まで戦場でウィンダミア側に風を吹かせ、今こうしてキースの元に居ることを決意した。祖国の側に立つということは、そういうことだ。


「私は、ウィンダミアを捨ててなんか…!!」

「では何故歌う。憎むべき者たちの歌を」






【10.その風に乗って】






「私は…私、は…」

「お前はただ、歌という幻に取り憑かれているにすぎない。」


キースの言葉にフレイアのルンが動揺を隠し切れないのを感じた。


「何の覚悟も持たぬ者の歌など戦場には不要」


その通りだと、イシスも思う。いつか美雲がフレイアに問うたが、「何のために、どんな思いで歌うのか」は、いつだって原動力になる。逆にそれが無ければ、何を歌っても空っぽのままだ。通常時のフレイアが歌ってもフォールドレセプターの数値が基準値に満たないのはそれが原因であろう。
更に言えば、イシスや美雲の数値が安定しているのはいつでも歌うことに理由があるからだ。歌を銀河に届けるためという言葉でラッピングされた、それぞれの理由。イシスならば「キースに見つけてもらいたい」という気持ちが全ての原動力だ。

そもそもが、ワルキューレの歌はバロータ戦役やバジュラ戦役で歌姫たちが残したフォールドエフェクト研究の成果を元に研究が重ねられ、得られた結果を実験する先駆けとして作られているものだ。戦場に立っているのだって、異常な興奮状態から得られる能力の向上を見越してのことであり、様々な覚悟がなければワルキューレとしては歌えない。キースの言葉はもっともだ。


「その震えるルンごと切り落とし、祖国の大地に還してやろう。それが、同じ風の中で生まれたものとしてのせめてもの情けであり、イシスが少なからずお前を案じていることからくる情状酌量だ。」


綺麗な所作で抜かれた軍刀に、フレイアが更に後ずさった。怯えた彼女の空気を感じ取ったのかハヤテが静止の声とともに駆けてくる。イシスは何が起きるのか察し、かすかに視線を逸らした。元がついたとは言え、同僚の傷つく姿を好んで見たいような人間ではない。
キースに殴りかかろうとしたハヤテがボーグによって殴り飛ばされ、思わず身を乗り出したミラージュの前にも軍刀がつきつけられる。
キースがゆったりとフレイアに近づき、華麗なさばきで剣を振り上げた。


「フレイア!!」


ハヤテの悲鳴に呼応するように、キャットウォークから白い軍服が舞い降りた。見覚えのある理知的な風貌は、確かにロイドだった。
ロイドの剣はお手本通りにキースの剣を受け止め、フレイアを守ったようにも見える。


「ロイド様!」
「何故止めるのですか!!」


「ロイド…?」

「捕獲しろと命じたはずだ。ワルキューレについては知りたいことがある。イシス様を保護できたとしても、ワルキューレも必要であると伝えたはずだ」


驚く騎士団たちの中に、小さくもはっきりとしたロイドの声が響いた。
恐らくはワルキューレを研究材料としたいのだろうが、キースの求めていたイシスをそれにするのは気が引ける。それならば、ワルキューレも必要ということだろうか。


「裏切り者など殺してしまえば済むこと!!」

「我々は新統合軍どもとは違う!」


ボーグが威勢よく噛みつくも、ロイドの切り返しに息を飲んだ。一瞬、悔しさか惨めさからかボーグのルンが光った。

ふと、周囲に馴染んだ風が吹き始めたことに気づいた。ボーグも落ち着かないのか周囲を見回している。


「この風、美雲…?キース、ワルキューレが来るわ」

「っ!」


イシスの言葉に続くように、周囲にマルチドローンプレートが飛び交い、生体フォールド波を増幅するためのスモークが満ちてくる。空中騎士団のメンバーがいっせいに戦闘態勢に入ったのを感じた。

ここで出来ることはいったいなんだろう。
美雲が問うように何を思って歌うのかが生体フォールド波がもたらす結果に繋がるというのなら、イシスはいったい何を思えばいいのだろう。キースの活躍なのか、騎士団たちにいい風が吹くことなのか。そしてそれはワルキューレの音楽が流れている場所でも通用するのだろうか。

流れだした「いけないボーダーライン」のイントロが進むにつれて、イシスは焦った。
ドローンプレートによって投影されている立体映像にボーグが斬りかかるが、あくまでもスモークを利用した映像にすぎない美雲は空中に綺麗な粒子となって消えた。


「惑わされるな、ルンで感じろ!」

ヘルマンの言葉に、イシスはハッとした。そうだ。自分がどうしたいかなんて決まっていたことだ。
ただ、


「私は、キースのために歌いたい。あの風をもう一度…っ!」


深く息を吸って、横隔膜でしっかりと固定して、そして一定の勢いで吐き出す。



−−−−ギリギリ愛 いけないボーダーライン 難易度Gでも


「全て壊してみせるっ!!」


かばんから携帯用の折りたたみ式棍棒を取り出すと、スイッチで最大まで伸ばす。ヘルマンを打っていた銃撃の線から、メッサーが居ると思われる場所に向けて能力を全開にして電撃の鞭をしならせた。そのまま棍棒を投げつければ、メッサーの標的はイシスへと切り替わった。味方だと思っている人間を撃つことにためらいがないのは、流石軍人と言うしかないだろう。
イシスもすぐに窪みへと身を滑りこませると、今度はキースへと銃口が向いた。精密な射撃とそれを掠めることもなく避けるキースに、先ほども自分はあれを避けたのかと思うと背筋が凍る思いだ。

少しでもワルキューレの能力が発揮されないように、キースたち騎士団がルンに良い風を感じられるようにと、イシスも精一杯歌う。そんな中、スモークの中でワルキューレメンバーが倒れていたハヤテやフレイア、拘束から抜けだしたミラージュに駆け寄るのを感じた。


「キース、逃げるわ!」

「散開して各個に追え!!」


キースの声にワルキューレたちが走りだし、それを追うように騎士団も駈け出した。
迷うことなくメッサーの後を追ったキースの後につづいて、イシスも走りだした。遺跡の中に居るからなのか、いつもよりフォールドレセプターが活性化しているのを感じる。生体フォールド波が活性化し、遺跡と共鳴しあい、歌う度に心地よい高鳴りを感じる。
階段を駆け上がっていくメッサーにキースが斬りかかる。メッサーはすんでのところで銃を持ち替えた。惜しい。純粋にそう思った。自分の歌のちからがもっとあれば。


「我が風を読んだな?貴様が死神か」

「お前は、白騎士…っ!イシスさんの…」

「っふ、貴様との決着は空でつけよう。イシス!」


言うとキースは跳躍で勢いよく下がってきてイシスを抱き上げると、そのまま遺跡内部に生えている樹木を利用してメッサーから離れた。

十分に距離をとり、遺跡地下の基地部分へと到達すると、キースはゆっくりとイシスを降ろしてくれた。そしてそのまま左手を持ち上げると、指先がそっと口元へ持っていかれる。
それだけではちきれそうな胸に、イシスは混乱した。


「慌ただしい再会ですまないな、イシス」

「いいえ、無事に出会えただけでも、この世の風に感謝しなくては」


手袋ごしに感じるキースの体温に、心が高鳴る。もう聞こえなくなったワルキューレの歌を気にすることもなく、思う存分彼の風を感じることができた。
相変わらず、気高く咲く雪原の花のようであり、それでいて雪の日のわかりづらくも温かい陽光のようであり。キースのルンが吹かす風は不思議な色合いでイシスを魅了する。


「私はどうしたらいいかしら。あまりウィンダミア側に信用されているとは思えないのだけれど…」

「それについてはロイドが手を打っている。幼き頃に地球人へと連れされた第二の歌い手、太陽を呼ぶ天空神。音楽の女神アルクマーンの名を冠する少女を、白騎士が救いだすと」

「随分と耳心地のいいお話ね。私が王子様に救われるお姫様みたいなお話だわ」

「お伽話では終わらせない」


照れくさくて茶化すように言うと、キースの両手がイシスの頬を包んだ。前かがみになったことでキースの結わえられた毛先のルンと、イシスの前髪から垂れるルンが触れ合った。真剣な顔で続けた彼に、ルンが抑えられなくて光ってしまう。互いの触れ合うルンから、どうしようもないほどの信頼と愛情を感じる。
絶対的な安心感に、イシスはふにゃりと微笑んだ。


「ええ、私もそのつもりよ。貴方様が風となるその日までは人の身で、貴方様が風となられてからは歌として、永久にお傍に居りましょう」


微笑みあった二人はどちらからともなく手を取ると、キースの先導で走りだした。
道すがら爪に埋め込まれた端末の情報を見ると、すでにアラド隊長たちが惑星へ向かって降下中。ハヤテやミラージュのVFも用意されているらしい。すぐに空中騎士団とケイオスの空中戦になることだろう。そうすれば恐らくヴァールが使われ、ワルキューレの歌が流れる。
ヴァールとなったヴォルドールの軍人を使うことはイシスも複雑だったが、今度は前のように騎士団の心に風が吹くように歌うまでだ。

ボーグとロイドと合流する頃にはルンの熱もほどよく冷めていた。
空中騎士団は既にアラドたちが運んできたジークフリートに乗り込み、空へと舞い上がっていた。苛立ちから地面を蹴るボーグを前に、キースが口を開いた。


「ロイド」

「分かっている。ハインツ様の、風の歌い手のお力を、明日の風のために」

「歌うのですね、ハインツ様が…あの歌を。ヴァールを…」

「全ては、制風権の確立のために。」


ロイドが端末を操作し指示を送ると、遺跡を通してハインツの歌声が聞こえてきた。以前戦場で感じたものと同じ、あの辛い程深く神秘的な歌声だ。それでも、今ウィンダミアと共にあると決めたからなのか、イシスにはその歌声が心地よかった。
穏やかなハインツの風に染まったルンを見て、イシスは大きく息を吸った。






目の前で歌い出した想い人に、キースは息を呑んだ。
ハインツの歌と、共鳴していると、確かに感じられる。風の歌い手だとかそういった能力のないキースにも二人の歌が共鳴しあい互いに作用しあって強まっていることが感じられる。


「これは…素晴らしい……ハインツ様の共鳴率が過去最高数値を記録している」


驚きと知的好奇心とにルンを輝かせたロイドの言葉に、歌声に魅入られていたらしいボーグが驚きの声をあげたのが見えた。イシスの存在は、ただ自分が飛ぶためにあらず、ということだ。キースにとっては嬉しいような苦しいような複雑なことであった。


「私も、貴方様の機体に乗せてはいただけませんか、キース様」


歌を一旦とりやめ、毅然とした態度で言う彼女に、キースは否定の返事はできなかった。
嫌々故郷を離れたとはいえ、つい先程まで味方として接していたワルキューレたちと敵対するというのに、その彼らを相手取った戦場に出たいという彼女の決意。それがいかほどのものか判断できないようは腑抜けではないし、イシスの声が覚悟を決めたものであることは歌からも感じ取れた。
キースは頷き返し、それに嬉しそうな笑顔を見せたイシスの額に自分の額を付けると、わざとルン同士を触れさせた。


「私を…我ら空中騎士団が飛ぶために。お前の風を与えてくれ」

「っ…はい、もちろんです。キース様」








2016/07/20 今昔
これ絶対ロイドはドン引きしてるし、ボーグはシャイ過ぎてアタフタしてると思います。





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