お名前変換


通気口を下りきった先は、またしても広い場所だった。舗装されていない鍾乳洞のようなそこで、ミラージュが先頭を走っている。フレイアとイシスが並び、その後ろからハヤテが続く。
ミラージュの合図で広い場所を一気に走り抜けようと躍り出れば、途端、照明が4人を照らした。どうやら巧妙に隠れていたらしい。

照明の方を振り返ると、赤毛に横へ跳ねた前髪とルン。そして騎士団の制服に身を包み帯剣した少年が居た。見慣れたその風貌に、イシスは胸が高まった。


「罠にかかったのは三匹か。」

「っく…」

「統合政府の犬どもと、裏切り者のウィンダミア人」


三匹という表現に苛立ったのか、罠にはめられたと知ったことに苛立ったのか、前へ出ようとするミラージュを片手で制すると、イシスはボーグを見上げて一歩前へ出た。見知った彼よりもぐっと成長しており、その特有のルンが無ければ分からなかったかもしれないほどだ。15歳になっているはずの彼は、フレイアたちに向けた時と同じ人間とは思えない柔らかい笑顔を向けてくれた。


「お久しぶりです、イシス様」

「ボーグ、久しぶりね。」

「それはヴォルドールの民族衣装ですか。イシス様は何を着てもお似合いだ」


会話の間にミラージュが周囲を見回しているのが視界の隅に入った。イシスにも分かる。周辺に幾人かの軍人が居る。ボーグの後ろからはイシスの父とも面識があったヘルマンも現れた。


「ありがとう、でもウィンダミアの服装の方が好きだわ。それにボーグ、あなたも騎士団の制服が似合っているわね。」

「空中騎士団…?」

「こいつらが…敵」


イシスの言葉で気づいたらしいハヤテたちが、感慨深そうに気がついた。
今まで空で戦っていた者どうしが、陸地で出会ってしまった。





【09.待ち人来たりて】





ボーグはウィンダミア人の中でも秀でている身体能力を惜しみなく発揮し、数メートルの高さから階段を飛び越えて4人の前までやってきた。ルンからは憎しみといらだち、それから少しだけ喜びがかいま見える。


「風を汚す裏切り者め。汚らわしい風がイシス様のお傍にあったなど…腸が煮えくり返りそうだ」

「そんな…あの、イシスさんとは…」

「その汚れた口でイシス様の名を呼ぶな!!裏切り者がイシス様のお傍に居たなど腹に据えかねる!白騎士様が求めて探していらしたものを、まさか汚してなどいないだろうな?」


怒鳴ったボーグは左手でイシスの手を引くと背後に隠し、右手で剣を引き抜くとフレイアの喉元へと向けた。生粋のウィンダミア人であるフレイアならば、溢れ出るボーグの怒りをルンを通じて感じ取っていることだろう。

ボーグの怒りに向けられた剣先に、フレイアが身動きが取れなくなっていくのがわかった。何か言ってやりたい気もしたが、イシスにはボーグの言う「白騎士が求めて探していたもの」というフレーズが頭にこべりついて離れない。キースが、イシスを探してくれていたというのだ。あの戦場でワルキューレと共に居ることは分かっていただろうから、きっと話を出来る機会を求めてくれていたのだろう。
それを思うだけで、今にもルンが光輝きそうで、慌てて片手で抑えこんだ。上から見ているヘルマンにはバレただろうけれど、そんなことは気にならないほど嬉しかった。


「っへ、何が空中騎士団だ。丸腰の女に剣を向けるのがお前らの騎士道なのかよ」


イシスがミラージュの手に何か握られていると気づいた時、唐突にハヤテが喋り出した。何か作戦でもあるのだろうが、基本的に身体能力はウィンダミア人が圧倒的優っている。恐らくミラージュが持っているのは閃光弾か煙幕だろうが、それで形勢が変わるとは思えない。


「なんだと…?」

「ヴァールを盾にしなきゃ喧嘩も出来ねえんだろ?強ぇ強ぇご立派な」


ボーグを煽ろうとしたらしいハヤテにボーグの蹴りが食い込んだ。ボーグの剣がフレイアから離れた途端、ミラージュが勢いよく起き上がり、地面へ何かを叩きつけた。拡がる眩しい光に、やはり閃光弾であったか、と、イシスは諦めて目を閉じた。
ハヤテとミラージュのうめき声が何回も聞こえたが、騎士団の様子からしてすぐに彼らが殺されることはないだろうし、イシス自身も悪いようにはされないだろう。

光が収まると、ボコボコになったハヤテと、ハヤテよりは幾分手加減されたらしいミラージュが倒れていた。イシスは足元に尻もちをついたようなボーグに手を貸そうかとも思ったが、辞めておいた。気の強い彼のことだから、手助けは恥だと思うだろう。
イシスとは面識のない双子が、ボーグへ向けて少し馬鹿にしたような口調で言った。


「気を抜くな」

「……っ、地球人どもが。」

「イシス様とおっしゃいましたか」


双子の髪の毛が青い方が話しかけてきた。二人はそっくりだが、髪色とルンの位置が対照的なので一度覚えてしまえば間違うことはなさそうだ。


「はい、騎士団の御方。私はイシス・パティスーン。元空中騎士団の戦術顧問であるアーガイル・パティスーンと作曲家であったコルーラの娘ですわ。」

「マスターアーガイルのご息女とは。白騎士様がご執心されるわけだ。」

「ましてこのように内面も外面もお美しくあられる女性ならばなおさら」


双子の舌にのせた甘いトークに気をよくしたのも束の間、彼らは失礼しますとイシスに断りを入れてからミラージュを拘束した。ボーグが再びハヤテへの暴行をはじめ、やはりミラージュは女性という立場からかある程度加減をするのだなと、どこか人事のように思った。
イシスは殺されるはずがないという考えのもとで、先ほどの閃光弾騒ぎでイシスが居た場所へと降りてきていたヘルマンへと向き直った。


「このような場所で失礼致します。お久しぶりにございます、マスターヘルマン」

「私はもう教官ではない。イシス殿は我々の予想通り強い淑女になられたようだ」

「ええ。いつかあのお方を側で支えるためと、私は弱さは切り捨てたいと思っておりましたもの」

「仲間が、ああして打たれていても動じない強さ、ですかな?」

「殺しはしませんでしょう?あなた方が欲しい情報も持っているつもりです。何よりボーグが私の前で荒事をするとは…思いたくありませんもの」


娘を見るような目で微笑むヘルマンは、既に皮膚がボロボロと崩れ落ちはじめていた。平均寿命は超えているであろう彼と再会できたことは奇跡に近い。
ふとヘルマンはイシスからボーグの方へと目を向けた。


「立てよ、地球人」

「ボーグ、イシス殿の前でやりすぎだ。尋問する前に殺すつもりか?」

「尋問?今すぐ処刑すべきです。イシス様には申し訳ありませんが…」


イシスが困ったように微笑んで見せると、フレイアが声をあげた。その目にはイシスに対する失望も確実に浮かんでいて、少しだけ胸が痛んだ。


「あんたら、なんでこんなことするんね。私が気に入らんのなら、私だけ、ボコボコにすればええね!」

「…これは戦争だ。」

「っ…戦争?」

「俺たちには制風圏を確立し、ブリージンガルの星々を解放するという大義がある。統合政府に強制的に統合された人々に、自由を取り戻すのだ」


はっきりと言うボーグに、フレイアは未知の言葉を聞かされたような顔をした。


「なに、それ…意味……分からん」

「解放?なにが解放だ…」


フレイアの声で飛びかけていた意識が戻ったらしいハヤテが、弱々しくも起き上がった。だいぶボロボロになってはいるが、イシスの見る限り、やはり死ぬほどではない。ボーグも手加減していたわけではないだろうが、人間というものは案外強いらしい。


「人を操って、親子を引き離しといて。そんなのが大儀だってのかよ!!」

「先に我らの平和を土足で踏みにじったのは、地球人だ!!」


怒りにルンを光らせるボーグに、ハヤテは気まずそうに息を飲んだ。
そうだ、唐突に併合され、独立したいと願えば次元兵器を落とされる。ウィンダミア人からすれば、地球人こそが諸悪の根源だ。


「ウィンダミアは地球人が来るまでは静かな星だった。」

「俺たちは俺たちの世界を取り戻す!」


続いて言う双子も、その信念にゆるぎはないようだ。これこそが空中騎士団の強さなのだろうかと、イシスはぼんやりと考えた。


「だからって…だからって……食べ物を粗末にしちゃいけん!!」

「はぁ…フレイア、呆れてものも言えないわ」


フレイアが言うには、リンゴ農家が大切に育てた林檎たちを戦争に使うのはとても失礼なことなのだそうだ。確かにリンゴ農家で育ったという彼女が言うことも分かるが、それは「己の家もリンゴ農家であったが、地球人に畑も兄妹も両親も潰された」というカシムの発言に一蹴された。


「これは戦争よ、フレイア。何がどう作用するか分からない、そういう世界なの。でもね、貴女の気持ちはウィンダミア側の前線で戦う人に伝えることができた。これは大きいことだと思うわよ」


固まってしまったフレイアに語りかけるようにいうと、彼女の目からぽろりと涙がこぼれた。


「イシスさん…でも、イシスさんは……ウィンダミアに帰るんかね?ずっと会いたいって言ってた人、空中騎士団の人…なんよね?」

「…許されるのならば、いいえ。許されないと分かっているけれど、私はウィンダミアに帰りたい。きっと人種のことでありもしない悪口を言われるかもしれない。もしかしたらもう私の居場所はないかもしれない」

「じゃあなんで!!知ってる、昔地球人との混血児が忌み嫌われて迫害された話!それって、今まで聞かんかったけど、イシスさんのことなんよね?」

「フレイア、命短し恋せよ乙女、ということよ。貴女も14歳ならきっと、その人の風を感じて歌いたいと思ってしまう相手ができるわ。」

「茶番は終わりだ。私の姫を返してもらおう」


割って入ったその声に、イシスの両肩はびくりと跳ね上がり、心臓が痛くなった。
地下に入ってから清涼な風を感じると思っていたが、これほど近くに居たというのか。恐る恐る振り返ると、幼いころと同じように綺麗な髪とルン、それに少し鋭くなった瞳でこちらを見ているキースが居た。
今度こそ、ルンがふんわりと柔らかな光を放った。


「キース…」

「イシス、探していた。ずっと。…お前がウィンダミアを追い出されるように出て行ってからずっと。やはり、お前の歌がなければ全力で飛べない。私の元へ戻ってこい、イシス・パティスーン」


穏やかな笑みで両手を差し出すキースに、イシスは迷いなく階段を駆け上がった。3段飛ばしで駆け上がった勢いのまま飛びついても、キースはしっかりと抱きとめてくれた。

美雲に対する申し訳無さ、カナメと別れるという辛さ。フレイアやマキナ、レイナたちの成長を見届けられない寂しさ。自分のファンたちに対するためらい。それら地球側を離れたくない理由を全て集めても、キースの側に居たいという気持ちには敵わなかった。
自分の歌が巻き起こす風でどこまでも飛んで行くキースを、誰よりも側で見ていたい。


「よく戻った、イシス」

「ただいま、キース。」

「会いたかった」


耳元で小さく呟かれた言葉に、イシスはルンも頬も染めて「私も」と返すのが精一杯だった。







2016/07/19 今昔




_