よくよく考えてみれば、手合わせにつかう道場でもない限り、大振りな刀剣である小狐丸と石切丸は少々不利なように思える。篠は耳の横にある一期一振の本体に極力目を向けぬように考えた。


「一期一振さま、わたしは今回、貴方様方になにか積極的に関与しようとしに来たのではありません。」

「人の言葉を信じろと言いますか。以前きた役人同様、この本丸がどのよな状態であったかはご存知でしょう、お嬢さん」


にっこりと微笑む一期一振は、こちらをお嬢さんだんて茶化しているが、気に食わぬことがあれば即座に耳を落としそうな目をしている。


「わたくしめが言い遣っていることは、必要があれば資材の提供を行うこと。要望があれば手入れを行うこと。要望があれば、汚れを払ってくること。」

「一兄、この子はお役人じゃなくて審神者らしいよ。しかも三条の二人が居るんだから、変な審神者じゃないと思うんだけど、どうかな…?」

「本当に、目的はそれだけですか?鯰尾の人間を見る目はあると思っていますが…信用ならない」


篠は少しだけ思案した。今剣の保護が最優先であると告げるべきか否か。しかし下手に隠し事をしても練度の高いこの本丸の刀剣たちと渡り合う自信は、正直ない。


「実は政府より、政府側で検知できる内容から折れてしまいそうな刀剣が居り、保護をせよとの命を受けております。もちろん、ご判断は皆様にお任せします」

「すまない、これは私達三条の兄弟が関わっていると聞いて、我が主はここへ足を運んだんだ。うちの本丸にはまだ居ない。顔だけでもあわせたいんだ。」


石切丸の追撃に少し首を傾げ、一期一振は本体を鞘へと収めた。
優雅な足取りでこちらへ歩いてくる彼に少々…とは言えないほどの殺気を纏っている。ぴりぴりと痛いほどの空気は、以前本丸へ時間遡行軍が侵入しかけた時のものと似ている。
もしかしたら、彼もまた心に闇を巣食わせ堕ちかけているのだろうか。


「他者が顕現した刀剣を、まさか手入れするとおっしゃるのですかな」

「左様にございます」

「……良いでしょう、三条の刀剣に免じて手入れを委ねます。下手な素振りを見せればその喉を掻っ切りますので、お覚悟を」





【篠突く雨の物語 07】





案内された部屋は障子戸であった。部屋の周囲を確認するような間を与えず、一期一振が障子を開いてしまう。篠は気を張っていたが、中を見て悲鳴をあげるところだった。恐らく同じ年頃の少女であれば泣きじゃくっても、逃げ出しても、気を失ってもおかしくない。
前が、見えないのだ。


「あの人間が逃げ出した時、阿津賀志山に出陣していた刀剣六振りです」


一期一振の声には、やれるものならやってみろ、と言わんばかりの嘲りが含まれているようだった。
これが恐らく「汚れ」と呼ばれるものなのだろう、黒いモヤのようなもので前が見えない。六振りの刀剣が居ることは石切丸と縁が深く見ることにも長けているため分かるが、かろうじて刀種が分かる程度で姿は目視できない。分かるのは霊視できることだけだ。


「やりましょう。石切丸、小狐丸、手は出さないでください。」

「しかし…」

「これはわたしの務めです」


政府からの指示では何故か今剣を特に、とのことであったが、これでは六振りの誰を最初に手入れすれば良いのかさっぱり分からない。篠から見れば他者であるこの本丸の審神者と契約している刀剣である以上、本人が居なければ譲渡なども行うことができない。
やはりこれは、篠のような若輩に任されるような仕事ではないように思えた。

ひとまず、柏手をひとつ。

ぱん。

心地よく響いたその音で、空気の淀みが薄れる。背後の鯰尾が感嘆の声をあげたようだったけれど、篠はその柏手ですっかり集中していしまっていたので気づけなかった。


「審神者が離れたことによって、邪な気が溜まりやすく、また外部からも集まりやすくなっていると思います。皆様に向けて唄うのは失礼かもしれませぬが…場を清めるため、お許しください」


篠はすっと息を吸うと、単調に唄いはじめた。


「ひふみの神歌か…」


ひふみの神歌。または「ひふみの祓詞(はらえことば)」。
天照大神が天岩戸に隠れた際に、天細女命が歌い踊ったとされるもので、場の邪を払い清める力もあるとされる。ただし篠は、祖母や石切丸の影響でこういったものは得意であるものの、根っから歌が好きで、大好きだ。
霊力とは生命のエネルギーとも言われるように、己の感情によって大きく左右される。篠は心を込めるために、少しずつ少しずつ、抑揚を入れる。


「ひふみよいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑにさりへて のます あせえほれけ」

「篠のお姉さん…すごい量の霊力だね。主が居なくなってから溜まる一方だったのに、さっきより息がしやすいような気もするよ」

「うちの主は…篠は、こういった力技が得意だからね」


誇らしげな石切丸がなんとなく恥ずかしくて、篠は一睨みしてから一番近くに居た打刀に触れた。長い髪の毛はぼさぼさと絡まり、恐らく美しかったのであろう赤い爪紅が剥がれかけている。
息も絶え絶え、といった体の刀剣は壁にもたれたままでうっすらと目を開いた。赤い瞳がとても美しい。


「……ちょっと…あんた誰」

「わたくしは篠。一期一振様へお話をさせていただき、少しだけ手入れをさせていただきます。」

「ねえ、俺…可愛い?」

「ええ、勿論ですが、恐らく手入れをして爪紅を塗り直したらもっと可愛いです」


そっか。と言った彼から本体を受け取り、持参した風呂敷から手入れ道具を一式取り出して手入れをはじめる。手入れ道具に宿る式神がポンと数人飛び出し、そして篠の本丸でないことに驚いたのかアタフタと周囲を見回し、そしてぶわりと涙目になって篠を見上げた。
式神といえども意思はあるので、恐らくこの惨状を自分のことのように感じて辛くなってしまったのだろう。ちからを貸してねと頭を撫でて、篠は赤い鞘の刀剣を抜いた。刃は九十センチほど。目釘を抜いて握り柄を外し、古い油をちょっとお高いティッシュのような使い捨ての紙で拭う。
それを丁寧に風呂敷の上に出した専用の台に置けば、後は式神のお仕事を手伝うだけだ。

直前まで出陣していたという彼の本体は、まさにボロボロという表現しかしようがなかった。式神たちはぴやーっと泣きそうな顔をしながらも、涙を刃にこぼしてはならぬと、必死の形相で作業にとりかかる。
篠が大きな綿棒のようなもので霊力の籠もった打ち粉でぽんぽんすると、化粧用のコットンのようなもので、式神が刃を拭う。


「あんた…あったかいね」

「左様にございますか?」

「うん。春告の雨みたい」


篠の霊力が注がれて本体からも肉体からも傷が消えていく。徐々に喋れるようになったらしい彼は大人しく見守っていた一期一振へ目を向けた。


「一期さん、俺さ…三日月のじいさん見つからなくってよかったかも」

「どのような、心境の変化ですかな?」

「俺こんなに大事に手入れされたことなかった。あの審神者に、こんなに丁寧に霊力注いで、綺麗になってって思われながら、手入れされたことないんだ。」

「……左様でしたか」

「俺さ、あの人間をもう主とか思ってないけど、でもちょっとは思い入れあったんだ。あの人にとって俺、加州清光は二振り目の刀剣だったから。最初に呼んだのは大倶利伽羅だっていうんだから、才能はあったんだと思う。それで二振り目が珍しくもない俺だったから、あの人言ったんだよ『希少価値の低いやつだなあ』って。しばらくは良かった。大倶利伽羅が無理をするべきじゃないって言ったから、短刀とか打刀が結構増えて、大太刀や長物も来たけど…練度もある俺をないがしろにすることは無かったから」

「その頃ですな、私が顕現したのは。そして…あの忌まわしい事件ですか」


手入れを終えた篠はもう一度握り柄を戻し、本体を鞘へ収めて彼−−加州清光へと返した。加州は自分自身をぎゅっと握ると、こらえて大粒になった涙を零し篠へ向き直ったので、篠もまた姿勢を正す。


「大倶利伽羅が折れたんだ。」

「大切な相棒を、審神者は失ったのですね」

「うん。そもそも、無茶な進軍だったんだ。『自分たちなら出来る』とか言って、まだ政府から許可を得ていないところへ出陣させた。そして大倶利伽羅は帰ってこなかった。丁度、俺は短刀の育成とか言って一緒に江戸時代に行ってたから、最後は見てない。でも確実に、審神者はそれで狂った。」

「あの日、主は突然火がついたようにここに居る六振りの練度を上げて、阿津賀志山への出陣をはじめたのです。噂に聞いた、三日月宗近を探して。」


一期一振の言葉に、篠は手元に居た式神たちが泣いたのを見た。篠の霊力で顕現しているからなのか、式神もまた誰かの感情に触れることで左右されてしまうようだ。


「ぼくも…ていれをしてもらえますか」

「今剣殿!無理をしてはなりませぬ!」


ゆらりと蠢いた淀みの中で、加州清光とは違う怪しげに光る赤い瞳を見た。


「大倶利伽羅のさいご、あるじになにがあったのか、ぼくがしっています」













2018/08/24 今昔
ご注意
ひふみの祓詞は実在するもので、三五七で区切って読むとか読まないとか。実際に口に出してしまうと効力があるそうなので、実際に試す場合は本当に大切な時だけにしておきましょう。
近くに天細女命(アメノウズメ)や天照大神を祀っている神社があれば、そこの方にお話を聞くのが一番かと思います。




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