小狐丸は何もない真っ暗な場所で眠っていた。
刀とは切るものであり、その付喪神である小狐丸も切るということを生業とする者だ。邪や悪しきもの、己を振るうものが敵と認めたものを切ることは得意でも、何かを作り出すということは本来得意ではない。つまり、神域というものを持たないのだ。
同じ三条派である石切丸のようにご神体として崇められるような存在であれば、また話は別である。彼は自分が納められる社を神域としている。よく小狐丸や三条の者はそこへあつ集まって語らっていた。

いつからかそこに篠と呼ばれる少女があらわれた。
石切丸とよく似たちからを持った少女は、随分と彼に懐いている様子だった。何も分からぬ少女に、自分も丁度一緒に居合わせた三日月も、己の名を呼ばせて縁を結んだ。篠はよく分かっていない様子だったが、聡い彼女のことなので、今になって理解しているかもしれない。


「小狐丸さま」


まどろんでいる意識の中に、丁度思い出していた声が聞こえた。耳元で柔らかく囁くような呼び声は、眠りを振り払うには弱いが、まどろみを心地よくするには十分すぎる効力があった。


「ふむ、随分とお寝坊さんなようだね。仕方がない。歌って起こしてしまおうか」

「良いのですか?では」


途端、耳慣れない歌が聞こえた。
その歌は一瞬にして小狐丸の全身を駆け巡り、体内にある霊力を染め上げていった。主の居ない身である小狐丸のことを、体ごとかっさらうような歌声。何年も待ち続けていた本来の主の存在に、体が歓喜している。
まるで春先に発情期になった犬のように、ぞくぞくと欲望が脈打つ。
篠が恋しくて恋しくて堪らない。先ほどまではただ「懐かしい子よ」と思っていただけのそれが、醜くも強く確かな感情に書き換えられてしまったようだ。


「あぁ…ぬしさま……」


目を開けばそこには、緋袴の巫女装束に身を包んだ篠と、


「やあ、久しぶりだね」


にこやかかつ、どこか黒いものを感じさせる笑みの石切丸が居た。






【篠突く雨の物語 05】







「何故!!!!!なに、ゆえ…私めを先に呼んでくださらなかったのですかぁ…!!」


篠は目の前で男泣きをする小狐丸に手をやいていた。
普通の祝詞で目覚めさせることができなかった小狐丸を、石切丸の監督の元で歌によって呼び起こしてみたのがつい1時間程前の話だ。ところが、その歌のちからが強すぎたのか、すっかり篠に懐いてしまった小狐丸は「自分が一番最初に呼んでもらいたかった」と駄々をこねてしまったのだ。
大の男のそのような姿を見て、篠は引くでも困るでもなく、どうやって泣き止ませるか悩むこととなった。石切丸は兄弟とも言える刀の来訪を喜ぶ気持ちを傍らへ追いやり、この様子を見てにこにこと笑っている。霊力による繋がりが強い篠には、石切丸が「してやったり」というようなことを考えていることが筒抜けだ。どっちもどっちな男たちである。


「小狐丸、顔をあげてください。」


嗚咽するだけで動かない小狐丸に、篠は両手で顔を包んで無理矢理にこちらを向かせた。


「お呼びした順番など大した意味を持ちません。私は小狐丸に来て欲しいと願ったから、こうしてお呼びしたのですよ」

「しかし…石切丸の方が先に会いたかったということでは…ないのですか」

「会いたい気持ちに差はありません。ただ、家柄の問題で政府にそうさせられたに過ぎません。」

「本当、に…ございますか」

「ええ。政府の意思が関与しないところでお呼びしたのは、小狐丸が最初ということですよ」


背後から盛大な舌打ちが聞こえたような気がしたが、篠は有無を言わせない笑顔で小狐丸の頭をなでた。ふわふわと心地よい髪の毛は、はじめて見た時と変わらず犬の耳のように跳ねている。
途端、目をきらきらと輝かせた小狐丸は、ばっと着物が乱れるのも気にせずに篠を抱きしめた。篠としては大型犬がじゃれてきたようにしか感じなかったのだが、背後の石切丸から感じる殺気のようなものに、慌てて小狐丸を押し返す。


「こ、小狐丸、おやめください。苦しいです」

「失礼いたしました、篠さま。」

「いやはや、まさか君にまでこんなにも篠の歌が効いてしまうとは思ってもみなくてね。これは政府には報告すべきと考えるか、もしくは伝えず守ると考えるべきか。政府はいつの時代も信用ならない存在だから、どちらにしても私たちは篠を守らなくてはならない」


小狐丸をベリリと音がしそうな勢いで剥がした石切丸は、ふうっとため息をついた。一仕事終えたと言わんばかりの彼と、未だくっつきたそうにしている彼の間で、篠は1枚の書状を取り出した。


「小狐丸をお迎えしたのにはきちんと理由があるのですよ」

「理由、にございますか?」

「はい。政府より依頼がありました」


小狐丸にも伝わるように、現代語で書かれているその書面を読み上げる。
最近、少しずつではあるが審神者の数が増えてきている。しかしながら、正当なる審神者というものはそうそうに存在しない。篠のように巫女の素質があった者や、陰陽師としての能力に優れた者。そして時折は霊力があるというだけで政府から招集されて、審神者としての教育を施された者。そういった風に分類が出来る。
そこで政府は増えてきた審神者を管理しやすくするために、各部隊をいくつかに分類をした。篠は山城という審神者連に属すると先日連絡を受けたところだ。

そしてその山城は今のところ女性の審神者しか居ない。
女性はもとより霊能力者に向いていないとされる。月のものであったり、子をその体内へ宿すといった能力がある分、霊力が安定しにくいのだそうだ。そこで、女性同士で助け合い、相談先を見つけつつ審神者業をするために山城は女性の連盟となるのだそうだ。


「ふむ、おなごが霊能力者というのは、たしかに珍しいことのように思えます」


古くよりある刀剣だからこそ、そして神威の高い二振りだかこそ分かるのだろうか、小狐丸のつぶやきに石切丸も頷いた。

長い長い前置きを読み終え、ようやく政府からの依頼がわかる。
他所の女性審神者が無理に刀剣に夜伽をさせたり、言霊で縛り仲間内で戦闘行為を行わせている。これをどうにかしろという内容だった。
次の紙には依頼の要点をまとめたものと、さらに次の紙には対象となる審神者の元へ顕現している刀剣の一覧やその練度などが記されていた。


「政府は篠を何でも屋かなにかと勘違いしているんじゃないかな」

「まあ実際問題、そう思われても致し方ないと思いますよ。石切丸との縁があるというだけで、私が血筋から受けるべき恩恵以上の霊力を持っています。人間は人成らざるものとの縁がより多く、より深く、より強固になることで能力を増す傾向にありますから」

「なるほど、我ら三条の刀剣も篠さまのお役にたてているのですね。恐悦至極、感極まって、この狐め、涙がこぼれそうです」


勝手に泣いていたら良いよという石切丸のつぶやきに、篠はもうため息をつくこともせずに一枚の紙をぬきさった。


「問題はこちらです。」


問題を起こした審神者の所有する刀剣の一覧、その最上部。もっとも被害を受けている可能性があるものとして書かれた名前を指差した。


「義経公の守り刀、今剣を助けに参りますよ」









2017/07/13 今昔







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