「なるほど、加州清光と縁を結んだのですね」


桜が久々に面布を外して会話をしたのは、数日ぶりに見る篠であった。どうやらこの時空の狭間専用の連絡装置では顔を見て会話することも出来るらしく、パソコンの前に座った桜は篠の穏やかな笑顔に心が安らぐのを感じた。

通信で見えている篠は少々疲れているようにも見えるが、相変わらず元気そうだ。彼女の執務室らしい場所には黒塗りの箪笥や落ち着いた色合いの家具、必要最低限よりも少しだけ華やかな装飾品が見える。梅の花をモチーフにしたものが多く見受けられるのは、彼女のこだわりだろうか。
篠の背後には近侍であるのだろう小狐丸が待機しているが、桜に見えるのは背中だけだ。こちらの顔が見えないようにと、篠が配慮してくれたのだろう。


「それならば、安定に行っていただいた甲斐がありました。やはり、以前主を同じくしていた刀剣同士、一度はお話させてさしあげたいと思ってしまいますから」

「はい。ただ、安定は清光と初対面で『首堕ちて死ね!』って叫んだりして…ちょっと大丈夫なのかなと心配になっちゃいました」


桜がしょんぼりと言えば、小狐丸の大きな背中が軽く上下した。笑っているようだが、こちらとしては深刻な問題である。


「それは大和守安定の口癖のようなものですな。ああ見えて、難解な性格をしておるのです」

「小狐丸の言う通りです。あの付喪神様は、少々愛情表現が苦手といいますか…まぁ、深く気にしなくていいのですよ。」







【 桜舞う物語 03 】







桜の日常とは、至って平凡なものであった。
もちろんのこと、現世にくらす同年代の女性と比べれば全く異なるものではあるのだが、この暮らしっぷりはどこの本丸でも同じようなものだろう。篠曰く、本丸の構造はそこを治める審神者の好みでどうにでもできるらしい。そしてどこの本丸においても、通常の出陣に加えて鍛錬や馬番、そして更には刀剣とともに畑の世話をして家事をする。そんなものが普通らしい。
付喪神という名前の通り、彼らは神様であるはずなのにそんなことをさせるのは少々申し訳ないような気もしたが、一人では到底終わらせることのできないその日常作業の多さ。桜は昼食を準備しながら近くで座っている加州清光に声をかけた。


「清光、聞いてもいいかな。」

「なーに?」

「実は、本丸を維持していくためには農作業とかしなくちゃならないんだけど……少しだけ手伝ってくれない?」

「ええー。爪に泥が入ったらどうするの?」

「綺麗に洗ってあげる。私の時代から持ってきた石鹸もあるし。」

「…俺じゃなくちゃダメなことなの?」


少し拗ねたような困ったような声に振り返れば、床から拾い上げたらしいジャガイモを片手でもてあそぶ清光が居て、彼の頬はほんのりと桃色に染まっている。


「もちろん。だって清光は私の初期刀だし、なんでも一緒にこなしていきたいって思うよ」

「そっか。主がそういうなら仕方ないね!手伝ってあげる!!」


パアっと顔を輝かせた清光に、桜は内心でホッとした。篠から聞いたように、彼らは刀剣であるがゆえに主を必要とする。何人もの武将の手を渡り歩いた刀も居れば、彼らのように特定の主のもとで最後まで戦い続けた者も居るだろう。
彼らにとって、一生をかけた沖田総司という存在はとても大きいはずだ。

そんな彼らの”新しい主”という存在に、桜はなりうるのか?
小さな疑問が頭をもたげたせいで掌がそわそわと落ち着かないし、嫌な汗まで出てくるような気もする。安定に至っては、あの優秀な審神者である篠が直前の主だ。桜自身を主と認めてここに居てくれているわけではないので、少々どころではない不安を感じずにはいられない。


「でもさ、主はもうちょっと手を抜いてもいいんじゃないの?」

「え?…私なんてまだまだやれてないことも多いのに、これ以上手を抜いたら本丸が維持できないよ」

「そういうもん?安定から聞いたけどさ、篠さんって人は本当に小さい頃から審神者をやってるらしいじゃん。そんな人と同じくらい出来る必要はないって話。」

「確かに篠さんは10歳くらいから審神者やってるって言ってたけど…ってことはもう8年とか10年とか審神者やってるのか…そりゃ強いし歌も上手だよね。」

「その10年とかの差を一気に埋める必要はないよね」


こうして美味しいごはんも作ってくれるし、と続けた清光はふふふっと柔らかく微笑んだ。その様子はなんだか桜の審神者名でもある花のように綺麗に見えた。神様なのだから人間離れした美しさがあって当然とも思うのだが、


ふと、その十年という歳月に目の前が狭まった。


「あ、あれ?」


と思ったのもつかの間で、視界に何か映っているのに頭のなかにその映像は入ってこず、体に柔らかく温かなものが触れたことだけがわかった。一拍遅れて、目の前にあるそれが清光の衣服であることがわかった。
濃い赤や鮮やかな赤が似合うというのは羨ましいな、爪もつやつやできれい。なんて思っていると、頭上から清光の焦ったような声が降ってくる。


「主、大丈夫…!?」

「清光、主の霊力で顕現されている君ならわかるでしょう?付喪神の顕現なんて、ある程度修練を積んでいるとはいえ、不慣れなことなんだから。まあ、2日体調崩さなかったのは褒められるべきことでしょ」


呆れ声の安定に促された清光に、桜はひょいと抱き上げられた。軽々と持ち上げてくれる彼に驚愕しつつも、その丁寧さがとてもうれしい。


「僕らは下位とは行っても神様の類。それを多少霊力があるからって人間が顕現させて使役するんだよ。身体に負担がかからないわけがないじゃない」

「そ、そうか…主、大丈夫?俺、無理させたいわけじゃないから、部屋、行こっか」







審神者の自室へと己の主を寝かせた清光は、険しい顔の安定と向かい合っていた。目の前では、やけにふっくらした座布団に主がもたれかかっている。


「ねえ安定、そんなに主が嫌い?」

「はぁ?何言ってるの?」

「だってさ」


安定が主を見る視線はとてもキツイ。前の主である沖田総司について話す時は、どことなく哀愁を帯びているが、穏やかな顔をすることが多い。それなのに今の主である彼女の前ではそれが一切ない。主として慕うというどころか、そもそも主従関係に納得がいっていないようだ。
清光が、使役する対象である付喪神の心を掌握できないのは主の実力不足も否めないが、ということを除いて言えば、安定は深くため息をついた。


「ねえ、清光は前の主って言ったら、沖田くんだよね」

「何言ってるの、あたりまえじゃん。そんで、お前の前の主は篠さんってことになるんだろ?」

「僕はね、違うんだよ」


座布団に凭れていた主が、すっと顔をあげた。驚きではなく困惑の顔をしているので、何か知っているわけではなさそうだ。


「僕の前の主はね、霧霞の前。」

「誰それ」

「…知ってる、篠さんがくれた資料にあった。確か…」

「そう、僕という分霊を最初に呼び出した審神者。篠さんの後輩で、やっぱり桜さんと同じように山城の審神者だったよ。」


驚愕と困惑の入り混じった主の声を遮ると、安定は少しうつむいてぽつりとこぼすように言った。


「霧霞の前、審神者になったのは十八の時だって。彼女はね、面布をしていなかった。山城を管理している政府の人に言わせれば『男を侍らせるのが趣味』なんだって。確かに面布やまじないで主の素性を隠されたら、僕達が持てる関わりっていうのはすごく少なくなるよね。
 でも彼女はそれを一切しなかった。篠さんにも一目置かれている言霊使いだった彼女は、とある刀剣をたいそう気に入って、『恋人』という関係性で縛り付けた」

「刀剣と…審神者が恋人?」

「そう。実際あるみたいだよ、篠さんの話では。刀剣の神様に惚れられて、絆されて、言いくるめられて。夫婦(めおと)になろうと神隠しされることが」


清光は目を見張った。
自分のことだからよくわかっているが、そもそも分霊では神域を持てないので神隠しなんてものはできない。それに刀剣はその性質から断ち切ることを得意とするため、神域といった空間を維持することには向いていない。つまりは、たとえ本霊であったとしても、神隠しはできないのだ。

それでも政府は念には念を入れておけと、審神者たちに面布の着用を義務付けている。他にも時間遡行軍から身元を守るだとか、審神者同士の諍いを防ぐだとかそういった理由もあるだろう。

だというのに、その審神者にはいったい何が起きたというのだ。


「驚いてるね、無理もないか。僕たちが神域を作るならいくつか方法があるんだよ。で、その刀剣の分霊は一番最低な方法をとった。堕ちたんだよ、神様から、ただのあやかしへ」


主の喉がひゅっと鳴った。


「彼女は惚れ込んだ刀剣が愛してくれないことに腹をたてて、言霊で縛った。その強制的に魂を操る行為によって堕ちた刀剣に、神隠しされたんだよ。というか、祟られたっていう方が正しいのかな、この場合」

「それは、誰がやったの?」

「あれ、桜さんも気になる?どの刀剣が堕ちたのか」

「……気になる。単純に興味があるだけなんだけど…」

「聞かないほうがいいんじゃないかな?まあいっか、篠さんにも口止めされてないし…」


安定はふっと微笑んだ。


「石切丸さんだよ」


言い切ってからちょっと困ったような顔になって、「長くなったけど、だから僕は人間が得意じゃないんだよ」と言って締めくくられた。
清光が主を盗み見ると、面布でボカされているが困惑していることは手に取るようにわかる。それが主従の関係というものだ。安定はおそらく、顕現した霧霞の前の霊力が根本にあるがために、他の主へ馴染むということが難しいのだろう。

これは面倒なことになりそうだ。

清光は心の中でだけ天を仰いだ。






2016/01/31 今昔




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