篠は与えられた本丸の縁側に腰掛けて、その庭をのんびりと眺めていた。

膨大すぎる霊力を抑えるため、戦いよりも儀式が得意な石切丸に稽古をつけてもらう毎日は、想像していた以上に充実したものであった。石切丸はご神体として病魔を切ることに秀でた刀だ。故に舞を奉納されることも多ければ、儀式の類にも精通しており、霊力を自らの意思で操る特訓も、舞の練習も見てくれている。
この季節感の薄い本丸で二人きりで過ごすというのも、幸せなことであった。
別段、家族というものに思い入れがあるわけではないし、ホームシックになることもない。篠は学校から帰れば石切丸と二人きりになれるこの本丸で過ごすようになっている。現世との関わりを断つ方が霊力が澄むような気がするのだ。

庭に植わっている桜の木から、ひらひらと舞い散る薄桃色のそれを、霊力だけで手まで運ぶ。指先にのった花びらを日に透かすと、世界が色づいたように感じた。


「休憩しなくていいのかな」

「いいのです。使っていないと後退してしまいそうで。」


お茶の乗ったお盆を持ってきた石切丸に、篠は隣に座れと床をぽんぽんして催促した。石切丸のお茶は美味しい。
篠は二人でお茶をはじめ他愛もない話に心を弾ませていると、なんだか心がひだまりのように暖かくなるのを感じた。家族や友達と居る時とは異なるその心の動きに、クラスメイトの女の子たちが言っている恋人という単語を意識せずにはいられなかった。

ところがふいに、その胸の高まりは違和感を発した。
目の前の地面がなくなり断崖絶壁になっているような、一寸先は闇といった緊張感が全身を駆け巡ったのだ。


「嫌な気が満ちてきたね」

「本丸は安全だと政府の方は言っていたのですが…」


周囲の気を探っているような石切丸の視線に合わせて本丸の庭を見回すと、彼の視線は別の時代へ移動するための門の場所で止まった。


「まさか外敵…


石切丸が言い切るまえに門を透かして見える景色が歪んだかと思うと、時代劇で見る落ち武者のような生き物や、骨で出来た蛇のような生き物が雪崩れ込んできた。
咄嗟に立ち上がった篠は、先ほど捕まえた桜の花びらを息で吹き飛ばして唱えた。


「我が小庭の神々よかしこみかしこみ申す。篠の名において、不浄を散らす者を呼ばん」


途端、空が曇り雨雲がたちこめ、霧雨がふりはじめた。その雨とささやかな風に桜の花びらが舞い上がり、小さな竜巻のようになったそれらは門の向こう側へと敵を追い返そうと押していく。
けれど門は閉じることはなく、押しても押しても連中は再度こちらへ入ってこようとしている。


「石切丸さ…門が、閉じてくれません」

「結界を張り直さないとならないな…私が切ってくる」


言うと石切丸は本体の大太刀に手をかけ、門を潜ろうとしている不届き者たちに斬りかかり、門の向こう側へと突っ込んでいった。
まだもう少しさきだろうと思っていた戦闘の予感に、篠は身震いした。そのとき、舞の練習用に着けていた髪飾りの鈴がなり、ふと思いついた。そうだ、門をくぐることは出来ずとも、こちらに残っていてもできることがある。





篠突く雨の物語 04





石切丸は周囲の敵をどうにかやり過ごしながら、六体ほど居る敵に手をこまねいていた。長く戦から遠のいている身、戦いの感覚が戻ってこないのだ。
あの場で篠に無理をさせるよりもこうして自分が刃を振るう方がいいだろうと思ったが、篠のちからを借りるべきであったかもしれないと少し後悔もしてしまっている。なんと情けのないことだろうか。唯一の主と認めた少女に頼りきりの己が悔しくてならない。


『旅立ちの風に乗せ、薄紅の夢を乗せ』


石切丸は、背後から聞こえた声にぞくりと背筋が粟立つのを感じた。
なんだ、この歌は。

己が生まれた時代とは異なる曲調のそれは、篠が生まれ育った時代のものだ。長生きしていると、新しい時代の文化も馴染むとはいかかないが理解し受け入れることができるようになってくる。
しかし、篠の歌う声は全く違和感を感じさせず、体の隅々まで染みこむように馴染んでいく。霊力の全てが、髪の毛の先から足の爪まで篠の声で染め上げられるような感覚。ぞくぞくと全身が興奮して落ち着かない。


『どこまでも届くような歌で 抱きしめて−−−』


ぐん、と。首の付け根から引っ張りあげられたような感覚がした。
己の身のうちに眠る霊力が膨張するのが分かる。歌が進むほどに、本体である刀に送れる霊力が増していく。
向かってきた短刀を咥える骨の蛇に左手をかざせば、そこから迸る霊力だけで押し返し砕くことができた。骸骨の短刀はその場で細かな光の粒子となり、空中に溶けていった。恐らくはこの世界を構成するものの一部へと還ったのだろう。


「これは、堪らないな…厄落としといこうか」


次いで向かってくる落ち武者のような姿をした連中に、己の刀を振るえば、物理的に切れた場所から霊力が移っていき、彼らもまた底から粒子となって溶けていく。
本来であれば、この肉体がいくら筋肉質であると言っても大太刀を振るう際には速度が落ちがちだ。けれど振ろうという意思があれば歌声によって増した霊力が後押ししてくれるように、軽々と振るうことができる。
己よりも少し小さな刀を持った落ち武者が向かってくる。速度が保てていても、反転は多少不利なままであるようだ。
石切丸が本体を軽く握り直す間に、太刀の落ち武者は石切丸の背後にある移動用の門へ斬りかかろうと目標を変えていた。石切丸は目をすっと細め、構えた。


「我が主に手をあげようとは…この罰当たりめ!」


幼い少女でしかない篠に、これほど執着しているのかと思い知らされた。石切丸を顕現させたことによって、お互いの霊力は似通っている。というよりも、石切丸に篠の霊力が大量に注がれているのだ。そこに歌声を介して霊力が上乗せされたのだろう。そう考察しながら、石切丸は本体である大太刀を鞘に収めた。
最後の太刀が世界の理に還っていくと、篠の歌も丁度そこで終わった。鳥居のような形の門をくぐって本丸側へ帰ると、篠がすっきりした笑顔で立っていた。


「おかえりなさいませ、石切丸」

「ただいま、篠」


昂ぶった感情のままで抱きしめると、篠の手も控えめに石切丸の背中へと回された。それが幸せでならないと感じる自分の心に、石切丸は焦りすら感じた。
人間の少女に神が恋をしてしまったら。その結末は様々な神話や昔話になっているとおりだ。刀剣の付喪神でありものを斬るということに特化した石切丸には神域は作れないはずだが、これほどの霊力が注がれた状態で、二人きりの本丸という条件があれば篠を神隠ししてしまうかもしれない。
兄弟でもある三条の刀たちにも触れさせたくない。自分の腕の中に閉じ込めておけば、彼女は敵に襲われることもなく、石切丸と同じように半永久的な時間を過ごすことができるはずだ。いずれ人間の寿命を迎えてしまう篠と死という別れで離れてしまうくらいなら…いっそ。


「私の歌は、届きましたか?」

「ああ、とても」

「見事な立ち振舞、戦いでした」

「武器としての本業だからね。普段は篠と篠の周りのものを祓い清めるのが仕事だけれど、たまにはこういうのも良いんじゃないかな。」

「私の歌は、戦いの対価に見合っていますか?」


石切丸はそこで気づいた。彼女にとっての歌や舞は、神々に捧げるものであるのだ。ひたすらに石切丸が戦い、傷つかないことを祈って歌ったからあのような効力になったのだろう。


「…あの歌で、私に霊力を送ってくれたんだね。ありがとう。お陰で忘れかけていた軍場で傷つくこともなかったよ」

「良かった…今までずっと一緒に居てくれたあなたが居なくなってしまったら、私は辛くて死んでしまいますから」

「初期刀の役得だね。…そうだ篠、あの歌は私や私の後に増える刀剣たちが戦っている間だけ歌うようにするんだよ、いいね」

「え?なぜですか。練習は…」

「練習はしても構わないだろう。でも、誰かをとても恋しく思っても、それを歌にしてはいけないよ。聡い篠のことだ、言いたいことは分かってくれるかい」


篠は迷う素振りも見せずにうなずいた。
石切丸はもう一度ぎゅっと抱きしめるとどうにか昂ぶった感情を治め、篠を抱き上げて本丸の中へと戻るのだった。








2016/06/23 今昔




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