その少女は篠といった。他に持ち合わせている名前はいくつかあれど、それはもう自分の中にだけしまいこんで誰にも明かしてはならない、あってないようなものになってしまった。持っていても使わないのであれば持っていないのと同じであるし、有名な言葉を使うのならば「宝の持ち腐れ」だ。


「宝の持ち腐れですねぇ」


篠は目の前のソファに腰掛けた男性を見やった。彼は政府の役員であり、現在審神者を束ねるために居る存在であるらしい。若年の篠から見ればオジサンと呼べるが、世間の大人たちからすればまだまだ若輩者と呼べる年齢の男性だ。


「はあ。そう言われましても、困ります」


篠は膝の上にある大太刀を軽く持ち上げて言った。


「このご本尊が盗まれるだなんて、誰が予想しましたか。盗人では到底扱いえぬ得物、石切丸。そのお言葉は今牢屋の中に居るであろう空け者に言っていただきたいです」

「残念なことに、私はもう直に言葉を交わすことはできませんのでね」


男性のその言葉に、篠はハッと感じ取ってしまった。
先日、石切丸という名前の大太刀を盗み出そうとした人間は、既にこの世には居ないのであろう。

篠の持っている霊力は、巫女でも審神者でも、ましてや陰陽師でもなく、向いているものが無いと言ってしまえるほどのものであった。若年である篠ではコントロールが不完全であり、力の大きさ故に暴走しがち。つまりは、優秀すぎて使えない、まさに宝の持ち腐れ状態だ。
今はまだ、時間遡行者と戦う審神者たちに対する制度は整っておらず、現在は設備を整える段階にある。各々に縁を結べた刀剣の依代となる刀を作り出し、もしくは拾得し、本体である刀剣から依代へと分霊を移す。審神者としての職務を命じられた者たちは、そのようにして自分の身の丈にあった刀剣と共に戦っているらしい。

政府は暴走しがちな篠に目をつけたのは、篠が生まれた頃よりであるらしい。ご神体から分霊を呼ぶことも、そしてそれの依代を用意することも、並大抵の霊力では行えない。場を清めるという巫女としての分野や、人外を味方に付けるという陰陽的な要素まで含め、審神者とは多面的な能力を必要とする。
ともあれ、現在の審神者たちは出生が巫女であったり陰陽師であったり、はたまた祓い屋であったりするため、そのあたりはマチマチのようだ。篠はその中でも特に新しいパターンとして政府が入手した駒といったところであろう。
歴史の古さ、ご神体であるという神格の高さ、大太刀であるという依代を作り出す霊力消費。三条派の大太刀「石切丸」を呼ぶためのそれらを全て問題としない程、篠の霊力は高いと思われているらしい。そして石切丸と縁を結ぶことで多少なり霊力が消費されれば、暴走の危険性も下がる。そういうことらしい。

これでも、あの日あの三柱と縁を結んだことで安定しはじめていたので、まだ危険な子供であると政府に思われていることは些か不満ではあった。
本来であればもっと霊力の安定する年齢になってから政府から「審神者になれ」という通達がくるはずだったのだそうだが、それが早まってしまっただけの話で篠は悪くない。悪いのは石切丸というご神体を盗み出そうとした空け者だ。


「さて、ここで石切丸の霊体を呼び出すことができますか?呼び出すことができれば、そのままあたなに審神者としての本拠地を与え、徐々に審神者業に励んでいただくことになります」


そう言う男性の言葉は最後までは紡げなかった。
彼が喋っている最中から篠は石切丸を鞘から少し抜き出し、指先で触れた。錆びてしまわないか心配だったが、霊力を与えるには血を与えることも手っ取り早い方法の一つなのだ。西洋のそういった魔術文化に比べると、東洋系の技術を持っている篠では血液を介して遅れる霊力は少ない。しかし普通に触れるよりも俄然多くの霊力を渡せる。
血を吸った石切丸はまるで月面のように輝き、そして篠の腰掛けるソファの背後に一人の人型を創りだしてしまった。緑色の着物を来た姿は、篠が幼い頃より馴染んでいるものだ。


「やあ。こうしてあの神社以外で会える日がくるだなんて。分かっていたことではあるけれど、なんだか嬉しいな」

「昨夜振りですね、石切丸さま」


石切丸は感極まったのだろうか、篠をぎゅっと抱きしめると政府の男性など見向きもせずに篠の頭を撫でることに熱中しはじめてしまった。政府役員の方と言えば、それを見て顔を赤らめるやら怒りたいやらよく分からない顔をして、もごもごと言った。


「あーではこれで、篠審神者の就任を認め拠点となる本丸を与えます。本丸との移動は政府の用意した専用の鳥居を使っていただくか、あなたほど霊力の高い審神者であれば石切丸殿のご助力次第では好きな「境界」を本丸への入り口に変えることも出来るやもしれません。霊力安定のために、しばらくは政府の鳥居…ゲートを利用してください。出撃などの細かな連絡は双方の契約間で呼び出す式神を利用します。あー、はい、石切丸殿、そろそろよろしいですか?」

「ああ、なんだ君、居たんだね。これはすまない、私は少々…篠には思い入れがあるものだから」


本当に政府の役人に気づいていなかったような石切丸に、篠はそっとため息をついた。どうも三人と縁を結んでから、石切丸は篠をとられるのではないかと躍起になっているように見えるのだ。
一番最初に出会ったのは石切丸で、篠という名前をくれたのも石切丸だというのに。彼はまったく心配性だと、篠はもう一度こっそりとため息をついた。





篠突く雨の物語03






216/05/14 今昔




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