篠という名前を使う日は、案外すぐにやってきた。
ある日、いつものように緑色の男性に会いに行けば、そこには見慣れない紺色の男性と、それから黄色の男性が居た。着ている着物の色でそう捉えるしかないほど、篠の言葉では表せないほどに、その男性たちは美しかったしどこか神秘的だった。


「こんにちは。今日は大勢いらっしゃるのね」

「おかえり、篠。」


緑の男性はふんわりと笑い、ついで残りの二人もまるで桜でも舞っているかのような笑顔を浮かべた。


「そなたが篠、なのだな。なるほど、歴代の当主を上回る程の霊力と神気。あなや、魅入られるのはこちら…ということか。」


篠がじっとその男性を見てみれば、瞳の中に月のような模様が浮かんでいる。その横に居た黄色の着物の男性は、まるで犬の耳のように跳ねた髪の毛を起用に揺らして篠の視界に割り込んできた。その表情もまるで忠犬、まるで主人によく懐いた犬のようで可愛らしい。


「神に魅入られると碌なことはありませんぞ、篠さま。逃げるのならば今のうち…しかし、逃げる者を追うのも我ら狐の習性……」

「ははっ、小狐丸よ、篠が驚いておるぞ。いずれは”我ら”の主となるおなご、あまり誂うでない」

「そうだね。篠は私たちから見てというだけでなく、まだ人間としても年若い。あまりいじめないであげてほしいな」


その男性たちは、月の模様がある人が三日月宗近、犬のような人が小狐丸という名前なのだと教えてくれた。そして、いつも篠がおしゃべりしていた相手は石切丸というのだそうだ。
そこで篠は、石切丸の名前さえ知らなかったことにはじめて気づいた。
石切丸の淹れてくれたお茶を飲み、篠が持ってきたまんじゅうを食べる。いつもより少しだけ賑やかなお茶の時間はとても楽しくて、篠は彼らがどうしてここに居るのかなどということは些細な問題のように思えてしまった。

彼らは三人とも、人間とは違うように感じた。クラスメイトや先生たちと、決定的に何かが違うのだ。それをうまく言葉にはできないけれど、それこそ住んでいる次元が違うと感じる。周囲の人間と篠自身も何か違うように感じるが、篠を挟んでクラスメイトとは反対側に居るような、そんな感覚だ。
そしてそれが、以前石切丸の言っていた「真名を教えることがあってはならない」相手なのだろうと、なんとなく感じた。

石切丸にさえ、本名を名乗ろうと思ったら止められたのだ。石切丸よりもよく知らない相手に、渾名である「篠」以外を知られていいはずがない。
それに篠は知っていた。祖母から聞いたことがあるのだ、「名前はそのものを縛る効果がある」のだということを。


「篠さま、さあ呼んでくださいませ、この狐めの名前を。そのお声で」

「こ、小狐丸……さま…?」

「我ら三条は皆、お主に従う身。敬称は不要だ」

「小狐丸…三日月宗近……石切丸…?あなたがたは、私に従う身…なのですか?」


言われ、名前を呼んだ途端に世界が変わったように感じた。
今までよりも、世界の色がはっきりと認識できるような、見える色の種類が増えたような、コントラストがはっきりしたような、とにかくうまく表現できないほどに、変わったのだ。それは彼らを見ても明らかで、千年越しに出会った恋人へ向けるような熱い眼差しで篠を見ていた。
そこで篠は思い当たった。

きっと先ほどの名前は彼らの真名であり、そして彼らは人間ではないのだ。人外、怪異、妖怪、そういったものの類なのだ。そして篠は名前を呼ぶことで彼らを縛った。彼らが望んだように、「篠に従う者」として縛ってしまったのだ。囲ってしまった。呼んでしまった。喚んでしまった。従えてしまったのだ。





篠突く雨の物語02




2016/05/14 今昔




_