少女は、その薄い緑色がなんとう名前なのか知らなかった。普通に生きている分には薄緑だとか、黄緑色というだけでいいはずで、せいぜい若草色なんて言葉が出てくれば上等だろう。まして、その少女のように身の丈もそこそこの幼子となれば。


「やあ、今日もきたのかい?」


そのよく分からない色の着物を着ている男性は、少女の遊び相手だ。
幼稚園から帰ってきて一緒に遊ぶというのが普通だったので、恐らくは物心がつく前からこうして会って話をして、時折おやつも食べたりするのだろう。いつも、祖母が持たせてくれるお菓子は彼にあげるだけであったり、一緒に食べることもあった。どれも和菓子だった。

彼はいつも同じように少女が学校で教わったことを聞き、できたことを褒めて、そして頭を撫でてくれた。その優しく大きな手はとても安心したし、なにか良くないことがあっても振りのけてくれるような気さえした。
今日もいつもと同じ、自宅への長い石畳の階段を登って、家の門には入らずに裏手にある森へと足を踏み入れる。高台にある実家からはよく分からないが、街から見上げるとこの森はそれなりの広さはあるものの、鬱蒼と暗い闇が立ち込めているだけみ見える。しかし、少女が少しだけ意識をしてとある道を駆け抜けるだけで、そこには明るい広場が見えてくるのだ。
その広場には、お賽銭箱や狛犬こそないものの、神社か何かのような造りをしている建物がある。いつも話をしてくれる男性はそこに居るのだ。

男性は少女がそこに来ることが分かっていたかのように、ほかほかの緑茶を用意して、こちらに温かい眼差しを向けていた。


「うん、だってあなたに会わないと眠れませんもの。」

「そうか、それは光栄だけれど…君のお母上は怒らないかい?」

「お母さんは、あまりいい顔はしていません。でも、お祖母ちゃんは喜びます。あなたと会ったりおしゃべりすることを。どうしてなのかしら」


少女はいつもどおり祖母から貰ってきたお菓子の包を持って近寄ると、彼の腰掛けている縁側によいしょと登る。年齢相応にしか身長がない少女にとって、この縁側は少々高い。


「君のお祖母さんは、君と同じようにここに来ることができたけれど、お母上はそうではなかったからね。人間は自分に出来ないこと、見えないもの、知らないものはどれも不気味に感じてしまうものだ」


男性は和菓子の包を開くと小さく「おはぎだ、よかったね」と呟いた。そして更に1つずつ取り分けると、竹の匙と一緒に差し出してくれた。彼も一度緑茶で喉を潤してから、いただきます、と口をつける。


「それ、お祖母ちゃんも言っていました。私はお祖母ちゃんの影響を強く受けているのよって、だからお母さんはあまりいい顔をしないのよって」


もちもちとおはぎを飲み込むと、少女は続けた。


「私はお祖母ちゃんよりもとっても強いから、きっとあなたが気に入るとも言っていました」

「女系に受け継がれているからね、その目のちから、耳のちから、そして口のちから。確かに、君のことはとても可愛らしいと思うけれど、正直この因習も辞めてしまいたい」

「なぜですか?」

「5世代に一人、自分の婿に貰った相手が神の加護を受け、その婿との間に子を成すことで人間よりも少しだけ強い力を持つ。それが君の家の習わしだ。古くからの、因習だね」


少女はよく分からなかったが、確か、祖父の祖父が髪の加護を受けていたという話を思い出した。それから自分の父親にも、もう弱まるはずなのにどうして歴代でも指折りのちからを持って生まれてしまったのか不気味でならない、とも言われたと思い出した。
物心ついた幼少より、家族からさえ向けられていた「不気味」という言葉は、もはや少女にとって特筆すべき内容ではなかった。


「君のことを、見守りたいと思っているよ。妙さ…君のお祖母さんから聞いたけれど、君にももうすぐ、政府からの依頼がくるだろうから」

「見守る…?」

「そう。何処にいても、私は君を守っているよ。君の血筋には関係なく、私を慕ってくれる可愛らしい女の子を守るために、見ている」

「私のことを、守ってくれるのですか?」

「そうだよ、年齢に似つかわしくないほどに、強い魂を持ち、凛々しい声を持ち、清い考えをもち、ついでに古めかしい口調をもった君をね」


少女は頭に載せられた手のひらから温もりを感じた。それはどこか暖かく、それでいて冷たい、眩しさに目を瞑ってしまいたくなるような、ずっと見ていたいような、不思議な感覚だった。


「大丈夫だよ。私はずっと、君の味方だ」


そう言うと、男性は続けた。


「君の名前をあげよう。これから私と同じように、人間とは違うものを感じる誰かに出会うことがあれば【篠】と名乗りなさい。決して、己の名前…まして真名を教えることがあってはならないよ」






篠突く雨の物語01






2016/04/15 今昔




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