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第二章「IDOL」


第37話「春休みですので」




春麗ら。
なんて可愛らしくて穏やかな気持ちになれる言葉なんだろうと、そう思いながら初めて早乙女学園に立ち入ったあの日から、もうすぐ一年がたとうとしていた。
3月も半ばに入って気温は暖かくなり、事務所寮の回りにもタンポポやつくし、並木には新緑が戻り始めて、春の訪れを告げはじめている。

キーアはここ一週間で秒刻みのスケジュールでCMソング2本の収録とその内1つのCMへの声の出演、それからAADのニューシングルの練習をこなしていた。
その合間にトキヤとレンがオーディションを受けて見事合格した化粧品の宣伝モデルの指導をしながらそのCMソングも歌うことになったり……
今年は麗らかな空気を満喫する間もなく葉桜の季節を迎えてしまいそうな程には忙殺されていた。


「キーア、そこは和音の3度なんだから低めにとってよね」

「すみません……」


ニューシングルのカップリング曲には、AADならではの切ないラブソングが採用された。今日でその練習を終えて明日には録音、そしてそれが完成すればオフになるのだが


「どうしたのさ。流石に調子悪すぎじゃない?スパイウェア?ウイルス?それともCPUの劣化?」

「藍じゃないんですから…インフルエンザでも風邪でも加齢に伴う身体能力の低下でもありません。」

「じゃぁどうしたの」

「……なんというか、その…」


キーアが一番気にしているは、この練習室で二人っきりという状況なのだが、そもそもの原因が藍に誕生日プレゼントを渡した時、


---- もし、本当にこれが"恋"や"愛"という感情だったとしても


言われたあの言葉の続き。

もし本当に藍が自分を好いていてくれたなら、どうなるんだろう。そんな他愛も無いことが頭にひっかかって、思うように歌えないのだ。
アイドル失格だなぁと思うけれど、一応年頃の女の子なわけで。そりゃ気になる男の子が自分を好きかもしれないとなったら嬉しいしやっぱりちょっと頑張ってみようかななんて気持ちになって当然だ。と、月刊の少女漫画雑誌にかいてあった。

と、そこまでで思い出したのがトキヤとレンのことで、彼等だって自分を女性として見たうえで"好き"と言ってくれた。

確かに彼等の時にも驚いて倒れるなんてことにもなったけれど、藍に対してのように期待は抱いていなかったように思う。
レンもトキヤもまだ自分と同じ年頃で、一番近くに居る女の子に惹かれることは至極当然だと思っていたし何よりパートナーという関係性があったからだと言われればそれまでで。

では自分は藍を男の人として好きなのかと考えると、直ぐにイエスと答えることも出来なくて。


「ちょっと、何一人で百面相してるの?なんて使い古されたセリフ言わせないでくれる?」

「あ、すみません…またぼーっとしてしまって」

「抜けてるのはいつものことだから別に良いよ。でも、悩み事で練習に身が入らないって、プロとしてどうかと思うよ」

「あぅ……すみません……」


藍は大きくため息ついてみせると、キーアの頭をわしゃわしゃと撫でて言った。


「もしこの前のボクの発言で悩んでいるなら謝るよ。」

「藍の勘はすごいです」

「勘じゃなくて統計だよ。」

「藍は……例えばですが、女性二人に好意を示されたらどうしますか?」


キーアがぼそっと呟いたそれに、藍はまたしてもため息をついてから今度はキーアをぎゅっと抱きしめて言った。


「両方無視するしかないね」

「どうして?」

「アイドルは恋愛ご法度。それに、今ボクの興味の対象はキーアに向いている。学園に通っていた一年でボクの持つデータから大きく成長していたからね。データの再取得の最中なんだ、他に目を向けるつもりはないよ」

「……ありがとうございます。」


その"興味"は"恋"ですか?
そう聞けたらとても楽なのになと思いながら藍の肩に顔を埋めると、藍はそっと背中を撫でてくれながら、練習中の曲を口ずさみ始めた。
ずっと抱きしめて落ち着くまでそうしてくれた藍のことを、キーアはやっぱり他の人と違うように見ていることを自覚した。

もっとも、他の男性と比べてという話であれば、当然ながらレンやトキヤだって特別な意味で"好き"だと思っている。二人に対する"好き"は似ているけれど藍に対する"好き"とは全く違う。


「難儀です……」

「暗いセリフ禁止」

「あぅ…」


結局、その日の練習は適度な時間に切り上げることになり、キーアは藍と一緒に事務所寮へと帰って来た。









「にしても、今日は本当におかしかったよ」

「すみません…」

「暗いセリフ禁止」


自分たちの階に到着してカツカツと床を鳴らして歩いていると、突然藍が立ち止まり、前方を無言で指で示してきた。何事かとキーアも黙って指の先を目で追うと、


「おぉ、帰って来たか。キーア、飯食わせろ」

「アイアイにキーアおかえりー!」

「遅かったようだな。確か、今日は練習だけだと聞いていたが」


扉の前にしゃがみこんだ黒崎に、寿弁当の袋を両手にもった嶺二、それからカミュの持っている紅茶はきっと自分で砂糖を足したものだろう。なんだか懐かしいメンバーにキーアは駆け寄って部屋のドアをあけた。


「皆さんお久しぶりです!お茶してきましょう、お茶!」

「さっすがキーアちゃん分かってる〜!家からご飯持ってきたから一緒に食べようよってミューちゃん誘ったら何故かランランも着いて来たんだよね〜」

「俺はタダ飯にありつけるから来ただけだ。それにもともと今日はキーアにたかろうと思ったしな」

「ふん、これだから愚民だと言うのだ。キーアに料理を作らせるとはな。」

「ほら、ご近所迷惑になるでしょう。さっさと入ったら?」


まるで本当の家族のような4人と一緒に夕飯を食べて、食後のお茶をして。キーアは考えこんで落ち込んでいた気持ちが軽くなるのを感じた。
やっぱり家族って素敵だなと思いながら、夜は更けていき、満腹になった黒崎と実家に帰るという嶺二が帰宅した後、残った3人は思い思いに過ごしていた。


「……っ!!キーア!このクッキーは一体なんだ!!」

「どうしました?…お口にあいませんでした…?」


テーブルに置かれたクッキーを摘んだカミュが普段の執事キャラからは到底想像出来ないような鬼の形相で叫んできた。
そんな変な味付けはしてないはずと慌ててクッキーを一枚頬張るも、特に変わったところはなく、むしろちょっと上手に出来ているくらいだ。
バレンタインの時に甘いモノが苦手なパートナーたちのために聖川と一緒にさっぱり系のお菓子を練習したお陰だろうか。


「キーアそのクッキー、トキヤとレンに作ったのと同じ味付け?」

「は、はい、そうですけど……」

「はぁ…キミのパートナーたちも大概偏食だけど、カミュには敵わなかったみたいだね」


言うと藍はキッチンから勝手に蜂蜜を持ち出してきて、スプーンですくってクッキーの上にたらし、そしてカミュに食べてみろと言いたげにお皿をずいと押した。
カミュは先程の鬼の形相とは打って変わって、穏やかな表情でその蜂蜜まみれのクッキーを頬張る。


「ふむ。流石は美風だと言わざるを得ないな」

「プレーンクッキーじゃ、カミュには甘みが足りないんでしょう?まったく、味音痴。」

「この良さが分からぬから愚民と呼ばれるのだ!キーア、練乳のストックはあるか?」


シルクパレスに居た頃とは別人じゃないかと思うその振る舞いに、ちょっとだけため息をついて冷蔵庫から練乳を取り出して渡してあげた。カミュも母国語で喋ればもっと紳士的になるのかもしれないが…

練乳と蜂蜜をこれでもかと載せたクッキーを頬張る残念男子を見ながら、キーアは適当にCDを選んでコンポにセットした。
いつまでも兄代わりの残念男子を見続けるのも何だかなぁという気になったので、とりあえず一番上に放置されていたCDをかけてみる。

懐かしい柔らかい音で主旋律が奏でられる。色にするなら銀色。一面の銀世界とは良く言われるが、視界いっぱいの雪景色、シルクパレスの日常的な風景を描いた曲。キーアが生まれて初めて作曲したものだった。


「なにこれ、ボクのDBに無い楽器の音だね」

「シルクパレスの伝統楽器なんです。透き通って綺麗な音でしょう?」


一応は貴族の人間であったために習っていた楽器たち。この伝統楽器をはじめ弦楽器が得意だった。もっとも、バイオリンやビオラは別だったが……


「キーアの演奏だ。シルクパレスに居た頃、初めて作ったと聞かせてきた曲だな」

「処女作がこのレベルか……基礎値が高いとは思っていたけれど、ここまでとは」


処女作の意味がイマイチ理解できなかったけれど、キーアは藍にほめられたのが嬉しくて両側の頬がだらしなく緩んでしまうのを感じた。
そんなキーアを見て今日何度目かもはや分からないため息とともに藍が言う。


「ここまでの演奏が出来るのに、どうして今日の歌は駄目駄目だったの?」

「なんだ、調子が悪いのか?プロ失格だな」

「ちょっと、なんていうか……歌詞に気持ちが乗せられなくて…」


嘘は言っていない。
歌詞に出てくる二人は何か大きな壁、それも自分たちの力ではどうしようもない壁に、どうすることも出来なくて仕方なくお互いの命を奪うことで来世では一緒になろうと誓う。そんなストーリーで歌はすすんでいる。

けれど、キーアはそんな大恋愛なんてしたことはないし、アイドルという立場上そんな恋愛が出来るとは思っていない。ファンの方全員が自分の恋人なのだから。


「でも、経験の無いことを歌うのなんて今回がはじめてじゃない。どうして今回のは出来ないわけ?」

「多分……自分の心情と大きく違うから、だと」


怖怖と藍に想ったことを言ってみて、またカミュからプロ失格宣言をされるかと思いきや
カミュは手を顎にそえて何やら考えはじめてしまった。


「そもそも、キーアの場合は恋愛経験なんてほぼゼロでしょう?相手に言い寄られることはあっても絶対に発展しないだろうし」

「まて美風、キーアが言い寄られたとは何事だ。まだ嫁にはやらんぞ」

「カミュは過保護すぎるんだよ。キーアだって来年度で19になるんだよ?統計学的に見ても、一般的な女子の多くが恋人を作りたがる時期だ。」


何で一般的な女の子の行動を統計したデータを持っているのか、と聞いてみたいところではあったけれど、キーアはロケットパンチが飛んでくるのが嫌で聞けなかった。
カミュは藍に聞くのを諦めたのか、キーアに向き直った。


「誰かに、恋心でも寄せられているのか?」

「え……回答内容によっては自分で言うと凄く自意識過剰な人に見えそうですね」

「いいから答えろ」

「はい、好きだと言っていただいたことはあります」


カミュは少し、寂しそうな顔で考えてから


「お前は、好きなのか?」


小さく静かに聞いてきて、キーアはなんだか罪悪感に胸を支配されそうだった。そうだ、女王は異国の殿方に恋をして、決して叶わぬと知っていて、だからキーアにもそんな思いをしてほしくなくて、カミュとくっつけようとしていた。


「僕は……分かりません。男女の恋愛というのは難儀です。今はお仕事が楽しいので、そちらに専念したいと思っていますから」

「そうか。…まぁ、ある程度の年齢になっても特定の相手が居なければ、俺がお前と入籍することになるだけだ。同郷ということもあって早乙女からの反対もあるまい」

バシュッ!


女王との約束らしきそれを言ったカミュに、藍が突然拳を繰り出した。
運動神経もピカ一なはずのカミュが少し焦ったようにかわす。

キーアが突然のことについて行けずにぽかんとしていると、


「それは、キーアも認めていることなの?」


違うって言ってよね、と言いたげに藍に見つめられる。


「い、一応国に居た時は男性恐怖症でカミュ以外の男性と関われなかったので、それでも良いかなとは思ってました。今は…よくわかりません」

「ほら、聞いたでしょ。キーアが納得してないのに結婚だなんて。」

「これは我がシルクパレスの王族に関する問題だ。貴様のような愚民ごときが口出しして良い問題ではない」


正しくは相手を罵る時に「貴様」は使わないんじゃないかというツッコミは、辛うじてキーアの喉の中だけで収まってくれた。
視線が交わって火花が散るというよく漫画やアニメである光景だけれどそれをこんなに間近で見ることになるとは思っていなかった。カミュと藍の間には確かに火花が散っていて、キーアは慌てて口を開く


「待ってよ藍!カミュだって本当は僕なんかお嫁にいらないって思ってるかもしれないでしょ」

「そんなことはない。幼い頃から共に育ち、好ましいと思うところもあれば当然に嫌だと思う部分もあったうえで、この婚儀の案を受けている」


待て、聞いてない。


偶然にもカミュたち正統派貴族に救い出されたからこんなふうに人と比べれば優雅に振る舞えるようにはなっているけれど、本当はどうかわからない。
あのまま執事のセバスチャンと二人過ごしていたら、もしかしたらもっと粗雑な女の子に育っていたかもしれない。そんな僕のことをカミュが好きなはずがない。

と、何故かカミュの気持ちを否定する言葉たちが、一気に頭を駆け抜けて消えていく。藍は一瞬目を見開いたのを元に戻し、


「だったら、その制限時間までにキーアを奪い取れば良いんだよね」

「え!?ちょっと藍!?」

「国に帰したくないんだ。ボクの相方が務まるのはキーアだけだよ」


藍はキーアの手をとるとぎゅっと引き寄せて抱きしめ、じっとカミュを睨んでいた。
カミュは藍がロボであることを知らない。ただの14歳の男の子が言っていることとしか見ないはずだ。

怒られてしまうだろうかとそっとカミュを伺うと、彼はいつもの穏やかな顔をして近づいてくるとキーアの頭をそっと撫でた。


『俺は、相手が誰であろうともキーアが幸せならそれで良い。』

『え…?』

『俺以外が近づくだけで炎をまき散らしていたお前が、そうして男性の相棒と組んでいる。大した進歩だ。それが恋になるというなら、俺は応援しよう』

『カミュ……』


母国語でそっと言うと、額にキスを1つ落とすと今度は日本語で挨拶をして帰っていった。キーアは藍の腕の中でどうして良いか分からずに、ただその腕の暖かさだけを感じた。
カミュが藍を認めたのだろうか。それともキーアに甘いだけなのだろうか。圧倒的に後者だと思うが、それでも喧嘩にならなかった安心感からか体の力が抜けて藍に全身を預けた。


「シルクパレス語は難解だからDBに入っていないんだけど、さっきのカミュの翻訳してくれない?」

「あぁ、すみません、気が回らなくて。なんていうか…僕の男性恐怖症が治るのは喜ばしいことだから、藍と恋に落ちるならそれを止めたりはしないと。」


聞いたままを言えば、藍の頬がほんのりと染まり、らしくなくあーだとかうーだとか言葉にならない声を発した。


「…言語中枢がやられたんです?」

「はぁ…恋に落ちる、ね。」


こんな鈍い子じゃそんなことにはならないんじゃないかと。
藍が一抹の不安を覚えたことはキーアには分からなかった。






第37話、終。







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