お名前変換
第二章「IDOL」
第23話「わたしですので」
ミルクティー。
牛乳のまろやかさで口当たりが良く、使う茶葉によって香りが変わるので自分好みのものを作り出すという作業自体も楽しめる。また温かくして飲めば体を内側から暖め、生理痛を緩和する効果もある。
ということで、キーアの本日お昼のお茶は暖かいミルクティーだ。茶葉はカミュが昔セレクトしてくれたものを愛用している。
「お…お腹痛いです………」
「薬は飲んでいるのですか?」
「飲んでます…」
「流石にこればっかりはどうしようもないからね。暖かくしているんだよ?」
「はい…っていうか言わなくても分かっちゃうんですか…?」
キーアは机の上につけていたオデコを離して、目の前で食後のお茶を楽しんでいるレンを見上げた。きっと今自分のオデコは少し赤くなってしまっているだろうけれど、そんなこと気にしてられない。
とにかく、男装している上で一番困る『例のアレ』で動けない程にお腹が痛くなってしまったのだ。ここのところ朝晩の冷え込みが激しかったことで、体調が万全ではなかったらしく、今日だけはどうしても乗り切れない程痛い。
「早退するなり保健室で休むなりしてきたらどうだい?」
「嫌、でも…」
どこに居ようが痛いことに変わりはないのでいっそ授業を受けようと思っていたのだが、
レンがそっと耳元に顔を寄せて囁いてくる。
「そうやっていて、男装がバレるよりはいいんじゃないかな?幸いにも今日はイッチーのノートを取らなくても良いからね」
「ぁぅ……トキヤくん、すみませんが午後のノートだけ後日お借りしても良いですか?」
ここまでお腹をかかえて痛がっていたら同じ女子なら気付きかねない。ここはレンの言う通り早退しておいて、午後体調が良くなったら練習しに戻ってこよう。キーアはトキヤの返事を聞く余裕もあまりないままに、のろのろと弁当や教科書を片付けて昇降口へ向かった。
「…体調不良でしょうか?」
「おや、イッチーって以外とウブで無知?」
「黙りなさいレン。」
キーアが寮に戻っていった後、レンはトキヤを見やって思う。もしかして今回の体調不良は自分たちのせいではないかと。トキヤに気持ちを告げられて混乱していたようだったから、もしかしたら相当なストレスだったのかもしれない。女性は感情が体調に反映されやすいし、今日のような日は特にだ。
「まぁ、あまりストレスをかけちゃ駄目ってことかな」
「………」
分かったような分かってないような顔のまま、トキヤは弁当を片付けて読書に入ってしまう。レンはちょっとため息をつくと、いつこちらに来ようか伺っていた女子生徒たちをウィンクで引き寄せた。
「痛い…」
キーアはどうにかローラースケートを慣性航行させて寮の自室へと帰ってこれた。こういう時は一階で良かったと心底思う。
口では「痛い」と言い続けてしまうものの、先程よりは大分痛くなくなってきた。
部屋に転がり込んで暖房をつけ、キーアは毛布に包まるとテレビを付け、教科書をひろげると丸くなって休日と同じ体勢に入る。
これが一番暖かい。
「それにしても、今日はレンもトキヤもいつも通りでした」
先週末の夜。
2人の内緒話を聞いてしまった後のことが思い出せない。
けれど2人は今日、いたっていつも通りだった。自分が昨夜の話を聞いてしまったことはしっかりバレているだろうに、これは気を使わせてしまっているのだろうと思うと、早退してしまったことが悔やまれる。
嶺二が出ているバラエティを見ながら教科書で予習しているうちに、学校も終わる時間になった。キーアはテレビを消すと昨夜聞いていた藍のアルバムをもう一度ループ再生にして、もぞもぞとベッドの中に潜り込んだ。
ぴんぽーん
寮のベルが鳴った。
一十木や来栖なら勝手に入ってくるだろうし、聖川や四ノ宮は突如訪れる程には仲良く無い。レンかトキヤ、はたまた榊ということになるだろう。
チャイムの主が誰であろうと返事をしないのは不味いかなと、キーアはのそのそと扉へ向かい
「はーい」
気怠げに返事をして扉を開けた。するとトキヤがバインダーと教科書類を抱えて立っており、
「体調は大丈夫ですか?午後のノートだけ、届けておこうかと思いまして」
キーアはちょっと気不味いものはあるもののお茶だけすすめると、トキヤは素直に部屋にあがってきた。彼用にコーヒーを出して一息つくと、改まった感じでトキヤは言う。
「君に謝らなくてはならないことがあります」
「謝罪、ですか?」
「…レンから、昔の話を少しだけ聞きました」
お腹の底が冷たくなった。急に思考回路が鈍ったような気がする。それでも、週末に藍と話したお陰かすぐに思考回路は復活して、すんなりと言葉が出てきた。
「謝らないで下さい。ただ、他の人に話してはほしくないですが…」
「当たり前です。誰も好き好んで相手を傷つけたいとは思いません。」
「…ありがとうございます。来ていただいて。なんだか僕も落ち着きました」
キーアの言葉に帰って来た微笑みは、土曜日に藍と居た時と同じくらいの安心感とそれからまた普通に接していけそうな期待をくれるものだった。
その時、
りりりりりりり
仕事用のスマホから黒電話の音が鳴った。日向とシャイニーからの連絡に設定されている着信音にキーアは慌てて断りを入れると飛びつくように受電した。
『HAHAHA〜ミーでーす☆』
「シャイニー!お久しぶりです」
キーアが受話器を持ったままお辞儀をすると、頭を上げたのが分かっているかのようなタイミングでシャイニーは続ける。
『急遽、1時間後に事務所集合デース。ミーでも断れないクライアントからAADの出動要請がでまシター』
「社長でも断れないクライアント、ですか…?」
『YES!!ということで、遅刻せずにきてちょ〜だい!』
一方的にそれだけ告げると、電話はプープーという音に切り替わってしまった。仕方なくキーアはトキヤに電話の内容を告げて謝ると、簡単に支度を済ませてポンチョ風のコートを羽織って寮を出た。
事務所で履き替えれば良いかとローラースケートで出て、意外と早く事務所に着けば藍が入り口で仁王立ちして待っていた。
「お待たせしました!」
「急いではいたみたいだから怒らないでいてあげるよ。でも早くして。」
「はい」
ガチャガチャいわせながら靴を履き替えて、藍に引きずられるように応接室へ入ると、キーアは人の良さそうなスーツ姿の男性に引き合わされた。シャイニーはいつもの調子だったけれどその男性をとても丁寧に扱っている様に見えた。
「彼等がミーの事務所が一押しする少年アイドルユニットAADデース。そしてミスター美風あーんどミスターキーア、彼はとある事務所の取締役でーす。」
「おや、君は…」
立ち上がり握手を求めてきた男性と目が合った。どこかで見覚えのある顔に必死で記憶の引き出しを開けては閉めてしていると
「HAYATOオーディションの審査員さん!!」
「久し振りだね。あの時は惜しかった…今のHAYATOを見てもらうと分かるけど、君はちょっと優雅すぎたというか、所作が綺麗で親しみやすさという点で落ちたようだったね」
「お久しぶりです。あの時は本当にありがとうございました。大分落ち込んでいたもので…その、お声をかけていただいて元気に帰宅できました」
あの頃より少し疲れた顔をしているような気がするが、確かにHAYATOオーディションの帰りがけ、名刺を渡して「君いい線いってた」と言ってくれた審査員で間違い無い。
「それで、もし良ければうちの事務所で開催するクリスマスパーティで余興に20分くらいAADの歌を披露してもらえないかと思うんだ。」
「いいの、シャイニー?一応ボクら顔出し厳禁でしょう?」
「そこは安心してほしい。今年のパーティは殆どが関係者だから、君たちもレコーディングや何かで会ったことがある人たちばかりだと思うよ」
スマホについている皮のキーホルダーが温かく熱を持って、存在を主張したような気がした。身動ぎすると、2人のイニシャルをかたどった金属がぶつかり合って、軽い音をたてる。
「シャイニー、このお話お受けしても良いからこそ呼んでくださったんですよね?でしたら僕、是非ともお邪魔させていただきたいです!」
後ろで藍がふぅとため息をついて、こうなったら止まらないよとシャイニーに口添えしてくれたお陰か、案外あっさりとクリスマスパーティへの参加が決定した。
その後は藍と2人で20〜30分程度という枠組みでの構成を決めることになり、事務所の一室を借りて自分たちの音源を聞きながらさっそく作業に入った。が、初めて考えるということと、さらに2人の持ち歌に明るいポップスが少なく難航した。
「いっそクリスマスの明るい歌、いっこ作っちゃいたいです…」
「ボクですらその方が良いかもしれないと思うくらい、AADは暗かったんだね」
「しかも恋の歌も全然成就してないじゃないですか…何で今まで気づかなかったんでしょう…」
「ボクたちの声質を考えると仕方のないことだね。で、グチばかり言っていても始まらないから、有名どころのクリスマスソングをカバーするなり、新曲作るなりしないと、時間なくなるよ」
舞台はそんなに大きくないようなので、いっそ演奏も自分たちでしようということになり、藍のシンセサイザーと、キーアは口が塞がる管楽器は避けてギターを選んだ。
曲はクリスマスをテーマに、AADオリジナルの切ない曲・明るい曲・インストを1曲ずつ、それとクリスマスの王道ということでWeWishYourMerryChristmasをAADアレンジで演奏することになった。
「アレンジだけど、ボクがやる?それともキーアがやりたい?」
「2人でセッションしながらやりたいところですけど…時間が合うかどうか…」
「全曲弾き語りになるからね。ボクのほうで仕上げて譜面だけ送るよ」
「分かりました、お願いします。」
藍はこれで話は終わりだと言わんばかりにメモ用紙をまとめはじめたので、キーアも慌てて荷物をまとめると戸締りをチェックして鍵を返しにいった。その後は一緒にキーアの夕飯を買いに行って、学園の近くまで送ってもらって解散になった。
買ってきたサラダとお惣菜に、ラップにくるんで冷凍しておいたご飯を解凍して簡単な夕飯を済ませると久々の仕事に疲れてしまい倒れこむようにベッドに潜った。
次の日、レンとの練習を終えて戻ってくると、PCのメールアドレスに藍から譜面が届いていた。WeWishYourMerryChristmasは初めて手をつけることになるからと、早速ギターの譜面を送ってくれたようだ。
『むっず!!!』
譜面をプリントアウトして眺めていたのだが……思わず母国語が飛び出すくらいには難しそうだった。今までのギター演奏は基本的に耳コピで、聞いたように弾けば良いだけだったから出来ていたものの、改めてこういう譜面にされると取っ付きづらいものがあった。
かといって練習しないと出来ないことに変わりないので、キーアは早速ギターを取り出してチューニングすると、譜面台に楽譜を置いて取り敢えず弾いてみた。
「うぃーうぃっしゅ ゆーあめーりくりっすまっす」
のんびり指を動かすと、思っていたよりも簡単にできてしまい、
「あ、楽しい…」
気がつけば歌うことよりもギターの指を追う方に集中してはいたが、何だか弾くだけでとても明るい気分になれるアレンジだった。
ばたん!
一曲引き終わった時、突然寮の扉が開けられて赤い固まりが飛び込んできた。何事かと目を丸くしていると、一十木がギターを背負って走ってきたらしく、きらきらと輝くお日様顔負けの笑顔で迫ってきた。
「キーア!!俺とセッションしよう!!」
「い、一十木……近いです…」
ごめんごめんと離れた一十木は譜面の入ったファイルを付き出して、もう一度セッションを要求してきた。
「今の曲すごく明るくて楽しそうで…そしたら俺も弾きたいなーってなって飛び出してきちゃったんだ!」
「犬ですか、君」
本当に柴犬のような子だなぁと思いながらも、キーアは一十木の譜面を取り出してみた。丁寧に書き込みされているその譜面は、恐らく一十木の作品ではないだろう。この時期にさっと持ってこれるということは彼のパートナーの作品だろうか。
「一十木、これは誰の作品です?」
「春歌だよ。俺、あの子のパートナーになれてホント嬉しい!!で、これ卒業オーディションの候補なんだけど、リードギターも欲しいからさ、一緒に弾いてみてよ!」
「なるほど、そういう作品でしたか。僕のギター、趣味程度ですが良いですか?」
「もちろん!!」
キーアが小さいアンプを2つ持ってくると一十木は慣れた手つきで楽器をセットし、メトロノームのネジを巻き終わると132くらいかなーなんて言いながら重りを調節した。
「よし、じゃぁやってみよう!」
交互に奏でるアルペジオから始まり、その明るく疾走感のある曲はまさに一十木のイメージである太陽や赤色、明るい陽射しのような曲だった。
2人はトキヤが「いい加減にしなさい!」と怒鳴りこみに来るまで、思う存分にセッションを楽しんだ。
第23話、終。
次へ
2013/02/05 今昔
僕もイッキとセッション出来るくらいにギターが上手になりたいです。
今まともに吹けるのフルートとアルトリコーダーくらいしか…orz
_