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第二章「IDOL」
第22話「愛ですので」
「誰にも奪われたくない。」
レンは自分の口から飛び出した言葉に驚いた。最初はちょっと気になっていただけだったのに、どうしてこんなにも執着しているのだろうか?
気持ちが大きくなったのか、トキヤというライバルが現れたからか。
理由はもはや何でも良いのだけれど、とにかく誰にも渡したくない。
「それは私とて同じことです」
トキヤがぎゅっと目を細めた。お互い気が立っているせいか話の終着点が見えず、トキヤがついに後日話しあおうと言った時だった。
どさっ
何か重量のあるものが倒れる音がした。何事かと差し込む外灯の明かりを頼りに見渡すと、窓際にキーアが倒れていた。
「キーア…?」
「今なんと?」
レンが慌ててキーアに駆け寄ってみれば、眉間に皺を寄せて苦しそうにうなされていて、全ての話を聞かれてしまったのだと、頭のなかで誰かが言った。
「自室に、戻っていたのでは無かったのですね」
「……今更だ。部屋に運ぼう」
そっと抱き上げた彼女の肢体は、服で誤魔化されてはいるもののやはり女性のもので、女装なんてしてよくバレなかったものだと感心してしまう。
2人で彼女を部屋に運び込みベッドに寝かすと、トキヤが保冷剤を見つけてきて適当なタオルで巻くとキーアの首元に置いた。少しだけ和らいだ表情にほっとしながら毛布をかけ直すと、レンはトキヤに軽く目線をくれてから
「こんなに混乱する理由、聞いたことあるかい?」
小さく尋ねればトキヤは首を左右に振り、無言でいいえを答えた。勝手に話してしまって良いものではないかもしれないが、レンは自分の聞いた上辺だけを話すことにする。
「キーアは幼い頃に、父親から虐待されていたらしい」
「虐待…?」
自分と同じ様な反応に苦笑いしながら、レンは続けた。
「お国の事情ってやつらしいけど…父親やその部下に5歳やそこらから性的虐待を受けてきたんだ。それで男性が無条件に苦手で、恋愛感情を持たれると途端に気持ち悪くなるそうだよ」
「ですが、教室では普通に過ごして…」
「それだけ慣れたってことだろうね。ボスや先輩アイドルたちのお陰で。また"そういう目"に遭うのが嫌なんだろう。男性に好かれたくないんじゃないかな」
そこまで聞いて何を思ったのか、トキヤはさっと部屋の外へと出て行ってしまった。レンもそっと彼女の頭を撫でてから電気を消し、トキヤの後を追った。
「おい待てよ」
早足に自室へ戻ろうとしていた彼を引き止めると、普段とは正反対に表情豊かに怒りと困惑をあらわにしたトキヤは嫌々振り向いた。
「私のせいです。好きだというのに傷つけた。」
「オレだって話を聞いていなかったら同じだったかもしれ
「ですが!先程の空き部屋での件は、貴方の言い分が正しかったことになるでしょう?」
表情を出せても頭の硬さは変わらないらしい。
「とりあえず、オレたちが過剰に意識していたら彼女だって気を使うだろ。だから一先ず休戦して、普通にしていよう」
「……分かりました。これ以上キーアの負担になるのは嫌ですから」
納得したらしいトキヤを促して、レンはそれぞれの自室へ戻った。気晴らしにやったダーツも当たりが悪く聖川に心配される始末で、レンはその日早々にベッドに入った。
<<悪魔の子が人間様と交われるんだ、感謝しろよぉ?>>
<<忌み子を産んでしまったお前もまた、既に人間様の足元にも及ばん存在だ>>
<<聞こえぬよ、悪魔の子。>>
やめて!
はっと目を見開いた時、キーアは自室のベッドに横になっていた。レンとトキヤの話を聞いていて気を失ったところまでは覚えている。
自分がしっかりと毛布をかけて枕元に保冷剤が置いてある状況からして彼等が運んでくれたのだろう。明日から余計な気を使わせてしまうかもしれない。
不安もあったけれど、襲い掛かってくる恐怖から逃れるためにキーアはきゅっと目を瞑った。結局、また悪い夢を見るのも怖くて眠れないままに時間だけが過ぎていく。
時計の秒針の音とはこんなに大きかったのか。
気がつけば既に日付が変わり、流石に寝ないと明日の授業に響く。キーアはポータブルのミュージックプレイヤーで藍のアルバムを聞きながら、もう一度目を閉じた。
次に気づいた時にはもういつも起きる時間になっていて、キーアは慌てて身支度を整えながらスマホを取り出した。
藍にメールを入れて昨夜ちゃんとOKの返事をしていたことを確認し、何時に来ても大丈夫ということをメールすれば、即座に昼前に来ることが帰って来た。
藍の宣言時刻まで時間があるのでシュークリームの準備をして部屋の片付けをして。そうして動いていることでお腹のダルさも昨夜のことももう大丈夫な気がするのだから不思議だ。
ぴんぽーん
間延びしたチャイムにドアを開けると、時間ピッタリ狂うこと無くやってきた藍が、やぁと短く挨拶をしてずんずんと部屋に上がってきた。こうされてもあまり嫌な感じがしないのが不思議でたまらない。
「やっぱりというか、相変わらずというか。もうちょっと部屋の中くらい自分の趣味だしても良いんじゃない?」
「そうもいかないんです、勉強を教えてほしいとあがりこんでくる子も居ますから…」
「ふぅん、断れば良いのに」
「チャイム鳴らすのに返事またずに入ってくるんですよ、そのこたち」
キーアはキッチンから自分の飲み物とシュークリーム二人分を持ってテーブルへ戻り、部屋の中を興味深そうに眺めていた藍の隣に腰掛けた。
「…体調、悪いの?」
「藍には何でもお見通しですね」
「体温が若干高いし、動きも緩慢。いつもが俊敏というわけでは無いけどね」
丁寧にシュークリームの皮を剥きながら、藍ぼそっと言う。
「辛いなら断っても良いのに」
そういえば、自分の中にキャンセルするという選択肢がなかったなと、キーアは気づいた。なんでだろうと考えてみるも、サタンを倒す譜面を取り出した時と同じく、様々な答えが浮かんでは消えて結局良く分からない。
「藍とお話したかったんです。あとお菓子も食べてもらいたかったですし、声が聞きたいし、メール貰って嬉しかったですし」
「無理してるでしょ」
驚くほど良い滑舌で喋った言葉尻を拾い上げるように藍が言った。彼に隠し事が通用しないのは分かっていたことだけれど、キーアはうっと言葉に詰まった。
「何があったの?」
短くそっけないけれど優しい声音に、キーアは緊張の糸が解けるのを感じた。そこで初めて自分が張り詰めていたことに気付き、やっぱり難儀だと思う。
藍にも上辺しか話していなかった昔のことをしっかりと再度説明したうえで、トキヤに好意を持ってもらっているらしいこと、それを告げられて困ったこと。それからやっぱりどうしても怖いと思ってしまうことをかいつまんで話した。
「キーアはその一ノ瀬トキヤが嫌いなの?」
「そんなことありません!僕の曲を好きだと言ってくれて、真剣に向き合ってくれる人です」
「じゃぁ好きなの?」
「す……きです。とても素敵なパートナーだと思っています」
「じゃぁどうしてそんなに怖がるのさ」
怖い?
「私、トキヤくんを怖がってるんですか?」
「というか、男性を、じゃないの?」
きょとんとしてしまったキーアに、藍が畳み掛けるように言ってくる。
「知らないよ。ボクに考えられる可能性を述べただけ。」
確かに、ただパートナーとして良いひとだと思っていたけれど、それは彼の好意に気づかないための予防線だったのだろうか。
けれどそれが本当ならとっくにトキヤの気持ちに気づいていたことになってしまうし、自分がそこまで自意識過剰だとは思っていないし、キーアはさらに混乱の渦に巻き込まれた。
「わかんないの?じゃぁ、これは怖い?」
藍はそう言って隣に座っていたキーアの両肩をつかむと、自分の方に思い切り倒し、後ろから抱きしめる様な形で腕の中に閉じ込めてしまった。
びっくりとドキドキが一緒にやってきたものの、怖くも無いし嫌でもないのでキーアは首を左右にふった。
「じゃぁこれは?」
聞くやいなや藍はキーアの両手をさっとつかむと後ろで固定してしまった。その格好よりも藍が何か企んでいるのだろうかと思うと怖くなり、キーアは素直に怖いです。と言った。
「キーアは相手が害意を持っているか敏感に感じ取れる。だから相手に敵意が無いなら安心しても良いんじゃない?」
藍はそのままふんわりキーアを抱きしめると肩に顎を乗せてくつろぎだした。体温が伝わってくるのも伝わっていくのも何だかとても心地よく、耳元で歌われ始めた藍の歌を聞きながらそっと目を閉じた。
---- 陽射し一杯のソファ 君の居ない部屋
---- 一人じゃ広すぎて 持て余し気味
藍が一曲歌い終わる頃には、キーアは腕の中で静かに寝息をたてていた。先程までの張り詰めて疲れた雰囲気はすっかり和らぎ、もともとのふんわりした表情に戻っている。
「無茶しすぎだよ、キーアは」
彼女の中での優先順位は常に他人が上に行って自分が下に行く。回りに上手く合わせられるとも言えるけれど、こんなに疲れてしまっていては、これから先学校でも業界でも精神をすり減らしてしまうだろう。
昔のことを引きずっていることも良く分かった。そしてそれを断ち切って欲しいとも思った。
ユニットを組んだあの日、博士が何かしたようで藍の中で彼女の優先順位はとても高い。秘密をばらさないことなどのトップシークレットの次の分類だ。
それが今までの日数を経て
「最重要事項、だよ」
自立型の思考回路なのだから、自力で優先順位を書き換える事もできるのは当たり前だけれど、それでもこんなに大きく順位を動かされたのは初めてだった。
「愛故に…ね」
藍はそっとキーアをソファに寝かせると、毛布をかけ、お茶とお菓子を片付けてこっそりシュークリームとクッキーを摘むと、もう一度彼女の頭を撫でてからそっと部屋を出た。
第22話、終。
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2013/02/04
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