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第二章「IDOL」


第19話「紫ですので」


外はもう暗く冬の星座が見え隠れするようになってきた。霜月と呼ばれる今月はそれに相応しく校庭の木々も鮮やかに着飾っている。キーアはそんな日本の素敵な季節に思いを馳せながら、シーケンサーの前に座っていた。組立てて先程まで吹いていたフルートもすっかり冷たくなり、もう一度吹こうとはちょっと思えなかった。
今日は一ノ瀬との練習日だ。レンの方はオケも大分完成してきたため、彼のサックスの伸び具合で調整する程度だが、一ノ瀬の曲は時間が合わずに進行具合が芳しくないのだ。


「一ノ瀬さん遅いです…」


「18時には行けると思います。」というメールを信じて曲を作っていたものの、時計の短針は既に9を指しており、レコーディングルームの予約も延長につぐ延長申請に疲れたので明日朝まで予約してしまった。
先程から何か連絡が入るのではないかとプライベート用のスマホも仕事用のスマホも気にしているが、さっぱり連絡は入らない。
いっそ帰ってしまおうかとおも思ったが、彼との少ない練習時間がさらに減ってしまうと思うと、とても帰りづらくなってしまい、3時間の待ちぼうけをくらっているのだ。


「とはいえ…ちょっと眠いです」


脳に酸素を送ろうとあえて喋ると、フルートを解体してクロスで丁寧に磨き、冬場でベタ付きやすくなってきたタンポに丁寧にクリーニングペーパーをあてる。
そういえばリペアマンの知り合いが、クリーニングペーパーをあぶらとり紙で代用出来ると言っていたなと思い出し、次に買う時は節約の意味も込めてあぶらとり紙にしようと決意する。

時間をかけて片付けても一ノ瀬は来ず、綿棒で細かい部分の埃をとって磨き、調整が狂っていないかも確認し、キーアはフルートケースを枕のように腕に閉じ込めて、その場に突っ伏して睡魔の誘いに抵抗なく従った。





夢の中に居る、とキーアは自覚した。優しく降っている雪とどこからか聞こえてくる綺麗な旋律。まるでシルクパレスに戻ったような気持ちになるその夢に、キーアは微笑んだ。
ところが突然、どこからか暗い風が吹いてきて


「俺と一緒においで」


低い声でそう誘った。けれどその声は、低く優しくなく、とても冷たいものだった。キーアは雪の中で、その声に連れて行かれないように必死に堪えた。


(夢なら早く醒めて…!)


「キーアさん!」






呼び声にパチっと目を開くと、そこはいつものレコーディングルームだった。目の前にあったスマホのディスプレイが、22時を示している。


「大丈夫ですか?うなされていたようでしたが…」


キーアの肩に乗った手が、そっと頭に移動して柔らかく撫でてくれる。そこまで考えて、キーアはようやくそれが一ノ瀬であることに気づいた。


「あ、一ノ瀬さん、お仕事お疲れ様です。」

「ありがとうございます。」

「僕、何か寝言言ってましたか?」

「いえ…特には……それより、こんな時間まで待っていてくださったのですか?」


暖房の効いた中ですっかり寝込んでいたせいか喉がイガイガした。キーアは無理に声を出して喉がどうにかなるのも嫌だったので、手荷物から一口お茶を飲んでほっと一息ついてから返事をした。


「えぇ、だって一ノ瀬さんに帰れとも言われてませんし、何よりただでさえ少ない練習時間ですから。待てるだけ待とうかと」

「お気持ちは嬉しいですが、君も中身は女性なのですから、あまり遅くなるようなら帰っていただいて構いません。」

「ありがとうございます。」


キーアの目がだんだんと覚めてきたのを見て、一ノ瀬が一度だけ歌いたいと言ってブースに入っていった。譜面は持っておらず、そのまま目でオケを流すように促してくる。せっかくなので録音する準備を整えてから、キーアはオケを流した。





---- このままほら動かずに 唇だけで確かめて

---- 私の目に写るのは君しか許されない






ゾクりと、背筋が震えた。歌詞も昨日と少し違う。
これが一般大衆に向けられた歌でないことはすぐに分かった。
独特の鼻にかけた歌い方に細かく繊細なビブラート。もちろんそんな技術面だけではなくて表現も、前回の練習とは見違える程上達していた。特別に他人の感情に敏感でないキーアにだって分かった。彼は今、キーアに向けてこの歌を紡ぎだしてくれていたこと。



一ノ瀬は歌い終わると静かにブースから出てきた。慌てて録音を止めて彼に向かい合うと、とても真剣な視線で捉えられる。


「一緒に練習していない間に、何があったんですか…?」


すると一ノ瀬は答える代わりに、自分の鞄から一冊の台本を手渡してきた。今放送中の月曜夜のドラマ、HAYATOが出演している学園恋愛物だ。


「今日、撮影がありました。」


言われて中をペラペラと覗いていく。自分の役名の部分に蛍光ペンがひかれ、セリフの各所に読み方の注意事項や滑舌に注意スべきところが分かりやすく書き込まれている。一際書き込みがされている部分に目がいき、セリフを読んでキーアは赤面した。



<僕は大好きだよ、君のこと>


<卒業してもずっと一緒に居たいんだ>


<恋してるんじゃないよ、愛してるんだ>



不思議とHAYATOの声で頭のなかに流れてきて、心臓がばくばくと鳴りはじめた。


「そのシーンは難関でした」

「書き込みも凄かったですものね…」

「……監督にも、実際に大切に思っている女性を思って演じるよう言われました。」


珍しいと思う。
HAYATOの恋愛物の演技は以前映画で見ているが、その時はしっかり役に入ってやれていた。今回は何か役に入り込めない理由があったのだろうか?


「撮影中の私は自然と…キーアを、思っていました」

「!?」

「君のことを大切に思う自分に気付かされました。そしてそれを歌いたいとも、思ったのです」

「……」


どう返して良いか分からない。誰かに"大切だ"と思われた経験がなさ過ぎて、どうしてよいか分からない。もちろん、女王やカミュだって大事にしてくれていたけれど、あれはむしろ家族としての感情であると思っていた。
困っているキーアを見てどう思ったのか、一ノ瀬は切なげな声で続けた。


「君と恋人になりたいと思っているわけではありません。我が儘だとは分かってるのですが、ただ、知っていて欲しかった。」

「確かに僕は、一ノ瀬さんの気持ちに答えることは出来ません。世間的には男性アイドルですし……」


何を言っているんだ自分!!心のなかで他の自分がキーアを叱咤した。


「でも……その、ありがとうございます。そう言っていただけたのは…初めてで…」

「私も、聞いていただいてありがとうございます。人の心は移ろいやすい。この感情が風化して、いつか良き読書仲間として付き合っていける時を待ちます。」


逸らせなかった彼の顔は、もう今にも泣きだしてしまいそうだった。


「ですがこれだけは……今の気持ちを歌に託すことだけは、許していただけますか?」

「もちろんです。今の歌、4月の一ノ瀬さんからは考えられないほどに感情豊かで、優しくて、温かくて、今もあやうく…」


(あなたに恋するところでした)


慌てて最後の言葉を飲み込むと、一ノ瀬は少し目を見開いて、その後直ぐに見ているこちらが蕩けるような微笑みを見せた。


「本番では、必ず振り向かせてみせます。と言いたいところですが、実際に振り向かれてしまっては早乙女さんの逆鱗に触れますからね。」

「振り向かないよう善処します」


言って目が合うと次の瞬間には二人して笑っていた。心がふわりと軽く、幸せで、この時間を終わらせたくなかった。


「あ、あと、僕からも我が儘をひとつ、言っても良いですか?」

「ええ、もちろんです」

「ファミリーネームではなくて、トキヤくんと、呼びたいです」


一ノ瀬が、固まった。
キーアは"付き合えない"と伝えてしまったのに、流石にズルすぎただろうかと彼の顔色を伺った。ところが、彼の口から飛び出したのは想像より遥かに暖かい声で、


「君が…そう呼ぼうと言ってくれるのならば……それで。」


本当に1つしか歳が違わないのか疑いたくなるほど、可愛かった。


「何ならイッチーでも…」

「それは絶対に辞めて下さい」


叶わなくても良いから、誰かを好きでいる気持ちを通したい。彼はとても強い人だ。
だからこそ折れやすいだろう。
なら、トキヤのその気持ちを支えられるような、そんな曲を送りたい。いつか僕と気持ちが通じることがあったら、その時に後悔しないように。そう思いながらキーアは帰り支度を整え、2人で職員室へ鍵を返すと寮へと戻った。




第19話、終。















2013/01/31

ピュアなトキヤ下さい。
なんか無印時代のトキヤでなくてDebutのトキヤみたいになってしまいました…
でもあの殺人考察以降の穏やかにヒロインを愛する彼も好きです。
シリーズ通して一番ストーリーと人柄が好きでかつ成長を感じる人ですね。

個人的には、真斗が逆に駄目になってしまいました…
性格破綻…orz あの騎士的な聖川様が好きでした。





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