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第二章「IDOL」

第01話「アイドルですので」







春麗ら。なんて可愛らしい言葉があるそうだ。
キーアはいつも通りの時間に目を覚ましてシャワーを浴び、自分で朝ご飯とお弁当を作り、真新しい早乙女学園の制服に袖を通していた。本来であれば今日は学生寮から通うはずだったのだが、最後の仕事の関係で初日のみここからの通学となってしまった。

必要な衣類や小物は既に学生寮へと送られていて、元々シンプルだったキーアの部屋の中は、質素というよりは「無」といった雰囲気になっていた。


「それでは、いってきます」


鍵をかけてリュックを背負い直すと、キーアはローラースケートで早乙女学園へと駆け抜けた。
男子生徒用の一番ノーマルなデザインのブレザーに、したは指定のワイシャツ、それとズボンは勝手に改造して良いとのことだったので、好きにアレンジしている。春先でまだちょっと寒いので念のためにコートも羽織ってきた。
とある漫画を読んで憧れていた通りにローラースケートで桜並木の下をスイスイと走って登校する。ほんのりと暖かい四月の風が心地よく、キーアは軽く歌を口ずさみながら昇降口へ入っていくと、流石に物珍しさからか視線が痛かった。キーアは小さくなりながら自分の下駄箱を探してどうにか靴を押し込むと、上履きに履き替えてSクラスの教室へと向かった。

道中も大分視線が痛かったものの、やはりこの容姿が珍しいのだろうと諦め半分でSクラスの教室に入った時だった。


どんっ


ちょうど教室を出ようとしていた人と盛大にぶつかって尻餅をついた。骨を打ったせいで結構痛く、若干涙目になっていると


「おっと、悪いねオチビちゃん」


本当に同年代なのか疑いたくなるほどの艶っぽい声が、差し出された手と一緒に振ってきた。


「ありがとうございます。」


素直に手を借りて立ち上がるとキーアは丁寧に御礼を言ってから、ぶつかった彼の顔を見上げた。オレンジ色の綺麗な髪の毛に色っぽい目元。本当に同年代なのか疑いたくなる。
男性とぶつかったことに思わず固くなりながらも、キーアはどこかで見たことのある彼を必死に思い出す。確か彼は…


「確か、神宮寺レンさんですよね。すみません、前方不注意でした」

「オレの方こそ。…にしても、このオレが一瞬女性かと思うほど可愛らしい坊やだね。名前を聞いても?」

「申し遅れました。僕はキーア。Sクラスの作曲家です」

「オレは神宮寺レン、アイドルコースだ。」


彼のキザっぽい仕草に背後の女子生徒が黄色い声をあげる。ついでにキーアの耳は「キーア君っていうんだね!」「かわいい〜」と言うセリフもばっちり拾ったが、男の娘設定なら大丈夫だろうと、とりあえず彼女たちにもニッコリと笑っておいた。
その後、何故か打ち解けてしまった神宮寺とその取り巻きに囲まれながら入学式へ向かい、そしてまた教室へ戻ってくるとホームルームが始まった。

このクラスの担任は日向だそうだ。林檎だったら性別偽り仲間として色々相談出来たかもしれないのになと、キーアはちょっとだけ残念に思いながらも自己紹介で何を言おうか考え始めた。


「トップはこのオレ、神宮寺レンと決まっている」


何やら神宮寺は一番に自己紹介をしたいらしい。酔狂な奴だと思いながら、彼のサックスに耳を傾けた。
趣味だという割りに腕は良いらしく、彼の性格が良く出た艶っぽい演奏だった。と、そこまで思ったところで、ハッとキーアは思い出した。シャイニー…もとい、学園長から直々に受けた指令があることをすっかり忘れていたのだ。


---- 才能を持っていると思った人材のピックアップとサポート


目立つ目立たないに限らず、生徒の目線で良いセンスを持っている生徒が居たら、埋もれてしまわないようにサポートをしてあげる。キーアはこの早乙女学園の卒業オーディションなるものへは出場しない。別枠で生徒と教師の中間の立場にたつことで、スキルアップすることが目的だからだ。
けれど、その卒業オーディションに挑むのは作曲家とアイドルのペア制度。そのために自分の実力を出しきれない生徒が居ては困るので、潜入捜査のような任務を受けたのだ。

キーアは思い出したその任務に、各自の自己紹介をしっかりと聞いていた。神宮寺の次に良い子だと思ったのは、日向と空手の組手をした来栖翔。キーアは手元の付箋に小さく名前をメモした。

他にも2人程付箋に名前をメモした頃、一ノ瀬トキヤの自己紹介が回ってきた。入試で出会った時に説明していた通り、双子としてやっていくようだ。HAYATOの引退宣言がされていない以上、二重生活になってしまう彼の身が心配だ。
そんな意味も込めてキーアは付箋に「一ノ瀬トキヤ」と書き込む。


「うーし、最後は奴か。キーア、立て」


日向に呼ばれてびくっと立ち上がると、思ったよりも椅子が大きな音をたてて驚いた。


「彼はキーア。聞いたことある奴も居ると思うが、シャイニング事務所の正所属アイドルだ」


そこまで言うと教室がザワメイた。当然だろう。アイドル養成学校に現役のアイドルが通ってきているのだから、バカにされていると思うし、何よりライバルとしては大きすぎる壁、超えられない壁になってしまう。


「日向先生よりご紹介いただきました、AADのキーアと申します。本年度、音楽知識と作曲を学び直すために早乙女学園へ通うことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします。」

「どう宜しくしろってんだよ」


キーアの前の席に座っていた男子生徒が苦々しく吐き捨てた。それに賛同するように教室の半分くらいが文句を言い始める。自分が男子生徒と認識されているせいか、神宮寺と仲良くなったからか、女子生徒は割りと大人しくことの行く先を見守る姿勢を決め込んでいるようだ。


「そうだよ、アイドルなのに何でわざわざ学園に通うんだ?」

「つか、お前がここに居るせいで、誰かアイドル志望の奴が学校落ちたんだろ?」

「バカにするのもいい加減にしろよな」

「しかもなんだよ、AADって。十分人気出てるし居る必要ねーじゃん」

「どうせ俺たちのことバカにしてるんだろ、自分は成績悪くても将来困らないからって」


キーアが黙って意見を聞いているのを、日向も口出しせずにだまって見ていた。どうやらキーアが自分でどうにかしようとしているのを、しっかり察してくれているようで、口元に挑戦的な笑みを浮かべて「頑張れよ」とこちらに伝えようとしているらしい。


「僕に言いたいことはこれで全てでしょうか?成績優秀なSクラスにしてはボキャブラリーが無いようですね。」


最初に意見してきた前の席の男子生徒が勢い良く立ち上がり、振り返りざまに右ストレートを放ってきた。左の席の女子生徒が小さく悲鳴をあげたが、キーアは悠然とその拳を受け止めて、そのまま掴んで手前に引き寄せると、彼の足をひっかけて上手に姫抱っこしてあげた。
突然のことに、文句を言っていた男子生徒たちも他の生徒たちもポカンと黙り込んだ。


「アイドル志望にしてはスピードが足りませんね、作曲家コースでしたっけ?」

「アイドルコースだよ!!榊 彰彦だ!!」

「おや、そうでしたか、それは失礼いたしました。では安心してください、僕は作曲家コースの人間なので貴方のライバルにはなりえませんし、皆さんの洞察力が無いようなので申し上げますと、Sクラスだけ他のクラスよりも人数が1名多く奇数人数になっています。僕の人数枠は特別に設けられているので、僕のせいでどなたかが学校に落ちたということはありえません。」


キーアが一息にそこまで言うと、榊は呆然とこちらを見上げるばかりで何か言い返そうというような気力は既に失ってしまっているようで、張り合いないなと付け加えた。


「それともう一つ。AAD程度で人気と言われても困ります。何より僕は正式な学校などで音楽の勉強をしたことがありません。そこでシャイニー…学園長が勉強の機会を与えてくださったのです。」

「彼の存在に文句があるということは、芸能界のトップである早乙女さんに楯突くのと同義であると、皆さん認識されたほうが良いのではないですか?」


キーアの言葉尻にかぶせるように、一番前の席で一ノ瀬がつぶやいた。よく通る声は教室中にしっかりと響いて、男子生徒も大人しく自分の席へ座った。
キーアも仕方なく榊という生徒を丁寧に降ろし、まだ何か自己紹介をする必要があるか日向の方へ目線をやると、彼が満足気に微笑んだのでそのまま着席した。

その後、日向から「アイドルは恋愛ご法度」というルールを含めた学園の校則や施設についての説明を受け、最後に卒業オーディションの説明となった。


「知ってると思うが、この学校ではアイドルと作曲家がペアになって曲を作り上げる。その曲を卒業オーディションで発表し、その成績で事務所に所属出来るかどうかが決まるからな。ペアの本決めは来月。それまでに組みたい奴を決めなくちゃならない。自分の運命を託すやつだから、しっかり選ぶんだぞ」


日向の言葉にさっそく仲良くなったのか、女子生徒たちが顔を付き合わせて盛り上がり始めた。まるでバレンタインにチョコを上げる相手を話し合っているような様子に、キーアは一抹の不安を覚えつつも、日向の説明を頬杖をついて聞いていた。


「ちなみに、ペアが"不慮の事故"なんかで居なくなった場合には、このクラスはキーアが仮のペアとして活動していくから、承知しといてくれ」




聞いてない。




そのセリフに女子生徒が更に盛り上がってしまい、日向が慌てて故意に彼と組むのは駄目だと付け加えると途端に詰まらなそうな声が各所からあがった。
ちょうどそこでチャイムが鳴り、この後収録があるという日向はホームルームを終了して
さっさと教室を出て行ってしまったので、仮ペアについて聞くことは出来なかった。

キーアは特に友達という人が出来た訳でも、このあと仕事があるわけでも無くさてはてどうしたものかと、とりあえずもらったプリントたちを鞄に詰め込んでいた。目の前が影り何事かと顔をあげると、相変わらず無愛想な一ノ瀬がこちらを見下ろしていた。


「お久しぶりです、一ノ瀬さん」

「お久しぶりです。この後、少々お時間よろしいですか?」

「えぇ、構いませんよ。何なら、お昼ごはんご一緒しません?」


確か学園内に個室有りのカフェがあったはずだと言えば、一ノ瀬はこちらが意図を汲み取ってそう言ったのが分かったのか嬉しそうに口元を歪めた。珍しく負の感情以外を出した彼をばっちり見たらしい神宮寺が、面白くなさそうにこちらを見ていたが、彼は彼で女子生徒に囲まれていたのでキーアは特に挨拶もせずに、一ノ瀬とカフェへ移動した。


早乙女学園内のカフェ。作曲家がコーヒー片手に作業が出来るように、もしくはペアが打ち合わせに使えるようにという配慮なのだろうか、店内にはいくつもの個室が並んでおり、店員に個室をお願いすると一番奥の個室へ通された。
一ノ瀬がコーヒーを、キーアはホットココアを注文し、誰かが来ても良いようにと
念の為に五線譜と筆記具も取り出して置いた。それを見て準備が整ったと判断したらしい一ノ瀬は、さて、と話を切り出した。


「キーアさんには隠しても無駄だと思っていますので、お話しておきます」

「そうですね、HAYATOがここに通うんですから、やはり何かしら理由がありますよね」


一ノ瀬はHAYATOであることを否定せず、どうせバレているのでしょうというような雰囲気で、コーヒーカップを片手に話し始めた。


「正直、HAYATOを演じるのは苦痛で仕方がないのです」


でしょうね、とキーアは胸の内で相槌を入れた。この寡黙で真面目な文学少年が、あの天真爛漫で常時テンションマックスなHAYATOを演じているかと思うと見ているこちらまで疲れたような気がする程だ。


「そこで、早乙女さんの助けを借りて改めて一ノ瀬トキヤとしてデビューするべく、この学園に入学したのですが…やはりバレては反感を買うということで双子という設定にしているのです」

「なんだか、すみません。僕も似たような立場なのに堂々と身分を明かしていて…」

「いえ、それは早乙女さんの指示なのでしょう?であれば、逆らえません」

「ありがとうございます。で、HAYATOの事務所にこのことは……?」


ふっと思いついて聞いてみると一ノ瀬は一瞬固まってしまい、あぁこれは内緒なのかと、キーアは察した。


「では、今までと同じ高校に通っている想定ですか…マネージャーさんにもバレないようにとなると、かなり大変なことになりませんか?」

「ですから、一番話を分かっていただけそうな貴方にお話したのです。」


いつも譜面通り台本通りに完璧な彼からは想像出来ないほどに、一瞬だけ疲れた顔を見せた一ノ瀬に、キーアは母性本能がくすぐられるのを感じた


「ボロを出すつもりはありませんが、万が一の時に誰かのフォローがあるのとないのとでは雲泥の差がありますから…。キーアさんなら」

「任せて下さい!」


思わず彼の空いていた左手を両手で包み込み。立ち上がってしまいそうになるのを頑張って耐えながら続けた。


「僕が精一杯カバーします。出れなかった授業のノートもまとめてお貸しするので遠慮無く、余すところ無く頼って下さいね!」

「は、はい。ありがとうございます。」


自分が誰かの人助けが出来るかもしれないと、妙にテンションのあがってきたキーアは若干勢いに押され気味の一ノ瀬の左手を握ったまま、ニコニコといつまでも笑っていた。





第01話、終。




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