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「あ、キラ。やっと来たか」


モルゲンレーテの社屋の中。カトウ教授の個人室にやってきてえ、アインは珍しい客人に気が付いた。こういう時は父親が政治家でよかったと思う。
不躾かもしれないが、近づき、絶対に周りには聞こえない声で話しかけた。


「あの、カガリ・ユラ・アスハさん?」


すると少女はわかりやすくビクンと肩を揺らし、おろおろと視線を彷徨わせる。挙動不審な様子にも、キラとサイの話で盛り上がるほかの者には気づかない。
オーブの代表である政治家の娘がこんなラフな格好で出歩いているなど、恐らく周りに知られたら不味いことになるだろう。有名人の命を狙うものが多いのは、アインもよくよく実感している。


「お忍びなのでしょう?誰にも言いません」

「あ…あ、ありがとう。お前は?」

「あたしはアイン・アルスター。しがない歌手です」

「アイン!?本物か?」

「ええ。間違いなく本物です」


こちらが名乗ったとたん、怪しげな少女もといカガリ・ユラ・アスハは目をらんらんと輝かせて、両手をがっしりと握ってきた。


「私、お前の歌が大好きなんだ!!」

「あら…ありがとうございます」

「お前の歌う言葉は、いつも平和を願っている。お前のような歌手がいるからオーブは平和でいられるんだって、父も言っていた!」





グラグラグラグラグラ…





突如、ゆれた。そうそう地震が起きる国ではないが、かといって軍事力による戦闘で発生した揺れというのも考えたくない。


「隕石か!?」


しばらくたっても納まらない揺れに、アインたちは廊下へと顔をのぞかせてみるが、エレベーターは動いていない。一同は仕方なしに非常階段へと出てみた。するとそこには上へ向かっていく大人たちがもうちらほら居り、誰もが不安げな表情で歩いている。


「あの、何があったんですか?」

「知らんよ。」

「ザフトに攻撃されている!コロニー内にモビルスーツが入ってきてるんだよ!」

「「ええっ!?」」


平和な国、中立の国。だからこの国では争いは起こらない。
それがここに居るカトウゼミの子どもたちの認識であり、まさか他国から軍事力による介入をうけるなど、誰が想像しただろうか。
驚愕からみなが立ちすくむ中、カガリだけは階段とは違う方向へと走り出した。


「カガリ!」


慌てて追いかければ後ろからキラも追いかけてくる。
揺れはまだ納まらない。平和しか知らないここの人々はどうなってしまうのだろう。








「何してるんだよ、そっち行ったて…」


ようやくカガリに追いついたキラは、腕をつかんで無理やり振り向かせた。もちろんアインも手伝う。


「何で着いて来る!?そっちこそ早く逃げろ!!アインまで着いてきて…」


一段と強い爆風が吹いた。カガリの帽子が風に舞う。現れた素顔にキラは


「お……おんな…のこ?」

「……なんだと思ってたんだ、今まで」

「キラ、鈍いにも程があるわよ?」

「いや、だって…」


女の子の腕を握ってしまった罪悪感からか、キラもとっさに手を離す。
また背後で爆風がおきた。


「危ない…ね」

「いいから、行け!私には確かめねばならぬことがある!」

「行けったって何処へ!?もう戻れないよ。」


また走り出そうとしていたカガリは、キラの悲鳴のような声に、バツが悪いのか怒っているのか判らぬ顔で振り向いた。


「非難シェルター…確か近くにあったよね」


アインの提案に、キラはカガリの手を引いて走り出した。言わずともキラがそのシェルターに向かうことは分かるので、合わせて走りだす。


「こっち!」

「離せ、このバカ!」

「ばっ…」

「ぷっ」


キラがバカは言われたくないと思い振り向けば、カガリは涙を滲ませ呟いた。その後ろで小さくふいたアインが居る。ちゃんと着いてきている。


「こんなことになってはと…私は…」

「大丈夫だって、助かるから!」


走りながらアインは小さく首をかしげた。
一国の跡取りなのだから、自身の身を案じるのもわかる。そうでなくとも女の子だ。命の危機に直面して泣いているのかもしれない。
けれど、カガリからは自身の安全を考えることしかできない馬鹿の匂いはしない。もっと違うことのために涙している?とアインはカガリの目をじっと見つめた。


「工場区に行けば、まだ非難シェルターが開いてると良いんだけど…」


三人は立ち込める埃と遠くで聞こえる爆音の中をひたすら走った。







ようやく空気の綺麗なほうへとやってきたと思えば、そこはキャットウォークの上だった。下には巨大な人型の機械が三体、移動用の梱包をされて眠っている。
起動前の機体を守るように、オーブのモビルスーツが数体戦闘を行っていた。とはいえ相手はコーディネイターで、きっと戦闘に特化した遺伝子を持った人間だ。遺伝子に手を加えていないナチュラルの軍人では相手にならないだろう。現に今アインたちの前で繰り広げられている戦闘は一方的なものにみえる。


「これ……って…」

「あぁ……やっぱり」


力なく崩れ落ちたカガリを支え、アインは尋ねた。


「やっぱりって…あれはなんなの?」

「地球軍の新型機動兵器…」

「あれが、新型の…」


アインは記憶の引き出しをめちゃくちゃに荒らしながら探す。新型機動兵器…


----お前さんに、託したいものがある


カトウ教授の言葉がよみがえる。


----もし…まぁ、無いほうがいいのだが、もしもアレを使うことになったら、お前さんが乗らなくてはならない


理由は教えて貰えなかった。ただ、網膜認証のためにメガネのような装置で網膜をスキャンした。そして、取扱説明書のようなものと、ディスクを渡された。


----お前さんにいつも書いてもらっていたOSは、これに使われることになった。


キラとアインにだけだされる大量の仕事。二人だけが他の人よりタイピングやその他のことでも勝っていることは気が付いていた。身体能力も他のナチュラルである友人たちよりも余程優っていて、だから仕事を任されるのは当然だと思っていた。
それが当然なのなら、ここで自分が戦い、皆を守ることも当然なのではないだろうか。


「確か……黒の機体…」


小さな呟きは他の二人には聞こえなかったらしい。
カガリは柵を握り締めて叫んだ。


「お父様の…裏切り者おぉぉおー!!」


その声に気づいたのか、一人の女性がこちらを仰ぎ見た。
こちらが一般人といえ、軍事機密を盗み見たものを軍人が放っておくはずがない。


「冗談じゃない!」


慌ててカガリを連れて走り出す。
発砲された弾は柵に当たって黒いあとを残した。危機一髪の状況に、キラもアインも冷や汗が流れるのを感じた。


「泣いてちゃ駄目だよ、ほら走って!」

「キラ、ごめん、私カトウ教授に託されたんだ!行ってくるね!」

「え!?」


驚くキラをよそにアインは柵に片手を着いて下の階へと飛び降りた。



普通の人間(ナチュラル)なら、足の骨を折ってもおかしくない。けれど彼女は器用に着地する。振動で脳が揺れることもない。


「あ、忘れてた」


走り出したかと思えば立ち止まり、内ポケットからピルケースを取り出して、錠剤を口に放り入れる。


「よしおっけー」


小さな頃から欠かさないのが数時間おきに飲むこの薬だ。詳しくは聞かされていないが、持病を確実に抑えておくための薬らしい。ナチュラルは体が弱いこともあるから仕方のないことだ。
しっかり飲み込むと、お目当ての黒い機体へと向かう。幸いにも誰かがこちらへ撃ってくることも、流れ弾がくることもない。

黒い機体の入っているケースによじ登ると、コクピットを開くための作業に取り掛かる。外側に付いているボタンを押して指紋認証を受けると、「Welcome my master」という表示が現れてコクピットが開いた。寝袋に潜るようにして入り込めばハッチが閉じる。寸前に


「危ない、後ろ!!」


というキラの声が聞こえた気がした。お人好しな彼の事だ、誰か軍人を庇ったのかもしれない。頬の緊張が少し和らいだ。


「さて、起動して頂戴」


網膜認証の機械に目を読み込ませると、画面に英字の文章が現れる。


General
Unilateral
Neuro-Link
Dispersive
Autnomic
Maneuver
-Glipheptin-


「ぐりふぇぷたん…薬剤の名前か……」


黒い機体はぐんぐんと機動していく。気になったOSを開いてみれば、それはアインがカトウ教授指導ももとで書き上げたそれだった。


完全にグリフェプタンが立ち上がると、他の二体も機動して立ち上がった。


「戦わなくちゃ、いけないのか……」


アインは誰ともなく問いかける。






砂糖菓子のような平和は崩れ去った。








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