やばいな。
これ、死ぬのかな?
嫌だな。
「早苗!!」
足から器用に落下していた早苗の頭上で、声がした。素直に顔をあげられずに固まっているとそのまま体が温かいものに包まれる。耳元に熱い吐息がかかった。
「地面につくまでに、風の魔法で落下速度を落とすんだ」
艶のある、心地よい声を聞きながら、早苗の口が勝手に唱えた。
「急ぎ律令のごとくせよ」
風魔法のザンよりも柔らかい風が二人の下に吹きはじめ、落下速度をグングンと落としてく。
落ちていく過程で彼は早苗の膝裏と背中にしっかりと腕を回し、地面についた時にはもう所謂姫抱っこの状態だった。冷静さが戻ってきて顔を上げれば、想像以上の近さでレンの顔が視界に写り、
「ち、近い…」
「大丈夫、ハニー?」
あまり嬉しくないのが伝わったのか、レンは素直に早苗の足を地面に降ろし、背中に添えていた手でそのまま肩を抱き寄せた。
落ちてくる途中で掴んだ枝を、早苗は意味もなく抱きしめる。
「ありがと、でも何で一緒に落ちてきたの?」
「マイハニーの危機だったからね、考える間もなく体が勝手にね」
---- 姫を危機から守るのがオレの仕事だろう?だから体が勝手にね
まただ。レンと、あの夢に出てくる自分の側近が、被る。
更に樹の枝を抱きしめる力を強めて、気がついた。これ、ただの枝じゃない。木のような素材の杖に、先端には複雑な模様が彫り込まれた球体がついている。フォースが使う長杖、ロッドのようにも見える。
「にしても、よくあの高さから落ちて無事だったね。聖川の奴、管制室に連絡してくれてると良いんだが…」
レンはこちらの沈黙を恐怖ととったのか上を見上げ、聖川が連絡をとってくれているであろうことを示しながら、そっと背中を押して隅に座るよう促した。
もし、ここに一緒に落ちてきたのが真斗や音也だったりしたら、自分の方が冷静でいなくてはならないと思う分、今よりもしんどかっただろう。そう思うと一緒に落ちてくれたのがレンで良かったかもしれない。
---- 光栄だよ、姫
また声がした。
くるくると視界が回り、自分がどこを見ているのか定かではなくなってくる。
---- オレがずっと側で守るよ
---- 命を費やしても良い、だから側に居る
---- 誰がそんなこと許可したの、それはボクの仕事
---- お願いだから、嫌いにならないで
---- 嫌ならオレは、隣の部屋で寝るよ
---- 勉強はボクが教えることになってるでしょう?
---- いいじゃないか、姫と話したいんだ
フっと現実が返ってきた時、早苗は視界に捉えられる色が一色増えたような、何か違和感を感じた。
もちろん、人の目に捉えられる色は狭い範囲内で、決して紫より外側の色が見えるようになったわけではない。寒いはずの雪山なのに、全身を嫌な汗が覆っていた。
「ハニー、大丈夫?辛いならオレに言って。抱きしめて温めるくらいなら、ここでもしてあげられるよ」
正直、この女好きで派手な人を頼るのは嫌だ。彼が嫌なのではなく、そういう人を頼ってしまう自分が嫌だ。けれど、自分の意思に背いて膝を抱えていた右手ではレンの服の裾を少しだけ摘むと、それきり動かなくなってしまった。
「怖い?」
「平気。さっき、また魔法使ってちょっと体力消耗してるだけ」
また、声が聞こえた時に無意識に魔法を使っていた。あの魔法は本当に高威力で、自分への負荷が高いことは前回承知した。今だって、普段使っている風魔法・ザンを使えば良かったのに、体が勝手にあっちの魔法を使っていた。
「神宮寺…」
「なんだい?」
「神宮寺は、昔のこと覚えてる?」
「昔って、どのくらい?」
ぽんと、頭の上に大きな手が乗った。いつもチャラチャラしてるから分からないけれど、こいつもちゃんと男性なんだと再認識させられる。
「ずーっと昔。生まれる前」
ふっと、研修生時代の修了試験間近で起きた、あの虐め事件を思い出す。あの時助けてくれた彼は、そのまま早苗をトキヤに引渡し、けれど何処かへ行くでもなくポンポンと頭を撫でていた。
好かれているのだろうか?だなんて自意識過剰な気持ちが、心の隅っこでムクリと起き上がった。
「そうだね、不思議な夢なら見たことはあるかな」
「……どんな?」
「毎日、とある高貴な身分の女性にバラの花束を贈るんだ。昼下がりのティータイムにね。たまには他の花も贈るんだけど、彼女はいつもそれをバスタイムに使ってくれるらしく、お付きのメイドさんが楽しそうに受け取ってくれていた。」
また頭をポンポンされる。
「その女性に花を贈る、そして喜んでもらう。とても好きだと思うのに、別に一緒に居られなくても良い。そんなふわふわした幸せを感じる夢だった」
「嘘…」
突っ伏していた顔をちらとあげて、レンの顔を見やる。遠くを見ている綺麗な瞳は、その女性を本当に好きだと思っているそれだ。
「その人とは身分違いだったの?」
「そうだね、オレは一介の近衛にすぎなかった。」
「……でも、大好きだったんでしょう?手に入れたいくらい」
「ハニーには敵わないなぁ。女性の前で他の女性の話は絶対にしないと決めていたんだけれど。」
「私ね、夢を見るんだ」
レンが真面目な顔をした。早苗の声のトーンが下がったことだけが理由じゃない。彼も何か感じてるはずなのだ。
「私には寝る時も隣の部屋を使うくらい…ベッタリな側近が居て、毎日私にアプローチしてくれる人が居て、どんなに遠くにいても、絶対に私を裏切らない人が居て。幸せに女王様してる夢を見た」
「早苗…」
今度はポンポンとするのではなく、レンの大きな手はそっと頭を撫でてそのまま頬へ降りると、親指でそっと唇を撫でた。
「キミは、いつまでもオレの大切な人だ…」
---- 姫は、どんな未来が待っていても、オレの大切な人だ。
あぁ、あの時、私はしっかり返事をしてあげたのだろうか。何時もの戯言だと、有耶無耶にしてしまった気がする。そして今も
「うん、ありがとう。」
一番酷い言葉で、彼をそこに留まらせてしまうのか。他の女性へ向かわせず、かといってこちらに呼びよせるでもなく。
ウィンウィン
『ああ、やっと通じまシタ』
「セッシー、ありがとう、オレたちの座標はつかめるかい?」
『えぇ、何とか…テレポーターを落としたいので、そのまま北上してくだサイ。登れる場所があります。あと、帰ったらカミュに御礼を』
「了解、同行してる早苗が結構体力消耗状態なんだ。林檎さんに連絡をお願いしてもいいかい?」
『了解しました。』
プツンと連絡が切れると、レンは立ち上がってこちらに手を差し出してきた。素直に手を借りて立ち上がると、レンはとても嬉しそうにそのままエスコートして歩き出した。
途中から、クレバスの中にまたクレバスがあったり、キングイエーデという巨大な雪熊が出てきたりしたものの、二人はどうにこうにかクレバスの上へと出てきた。
本当に登ったすぐのところにテレポーターが落とされており、その前ではパーティーだった真斗と、トキヤたちのパーティーも揃っていた。
「白崎、無事で何よりだ…神宮寺、何故生きている」
「ありがとう、真斗くん。ご心配おかけしました」
「ですが、レンが着いて行ったお陰で、こちらの心配も軽減されたのですから、聖川さんは少し落ち着いてください。」
トキヤに宥められながら、まだオカンモードに入っている真斗に
「そもそも人気のない所で年頃の男女が二人など…」
「なに、あの魔法を使っただと?何故雪山で遭難しながら体力の無駄遣いを…」
と、お説教をされながらキャンプシップへ戻った。
念の為にとメディカルセンターに連れて行かれる間も、レンはずっと斜め後ろに付き従ってくれていて、果てには自室まで送り届けてくれたりしたものだから、トキヤや真斗から不思議な目を向けられてしまった。
「それじゃぁ、ゆっくり休むんだよ」
「うん、レンもありがとう。」
「おやすみ、Myプリンセス…」
手の甲に1つキスを落とすと、ウインクもつけてレンは立ち去った。その「プリンセス」という呼び方も、手の甲へのキスも、不思議と嫌な感じはしなかった。
Chapter.06 記憶の欠片 END
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