お名前変換




よく晴れた青空が見える日のことだった。







【 名前はまだない 】






私は花である。名前はまだない。
このゼウスが創りだした『箱庭』と呼ばれる場所で、私はディオニュソスという神の手によって生まれた花だ。どの世界にもない私に、品種やら学名やらといったものはない。そんな肩書はなくても、ディオニュソスは私に毎日水をやり、適度に肥料を与え、そして咲き誇った私を見て微笑みかけてくれる。
時折、彼の友人である太陽の神アポロンもやってくるが、私は彼が好きだ。植物としての命を持った以上、私が太陽に惹かれるのは当然だろう。同じ理由で冥府の神であるハデスは苦手だ。


「さーて、今日も部活動しますか」


今日もまた、ディオニュソスは私の元へやってきて手入れを始める。神話の神々が住まう世界とは違い、植物を育てるのに時間や手間がかかるのが面白いのだと、この前ひとりごとのように言っていた。
私はディオニュソスに笑って欲しくて、今日も今日とて目一杯に真っ青な花びらを広げて、私を見て!と風に揺れてみる。ゼウスやトトは私という命がここに宿っていると気づいていそうなものだが、ディオニュソスは分からない。だから怖がらせたり驚かせたりしないように、風に合わせて揺れるだけにしているのだ。


「今日も綺麗に咲いたなぁ〜。お嬢さん、いつも変わらずお美しい…なんてな」

(ありがとう、ディオニュソス。私も貴方に笑ってもらえて嬉しい。貴方の笑顔があればもっっと綺麗に咲けるでしょう)

「お、そうだ、今日は草薙さんに教わった肥料ためしてみようと思うんだ」

(草薙さん?人間代表の方ですね。ディオニュソス、貴方が楽しそうでなによりです)


噛み合うことの無い会話も飽きることはない。
ディオニュソスと繋がらない会話をしていると、彼の背後から彼とはまた違う明るい赤髪が見えた。少しだけ怖い。あれは炎の色だ。私は植物だから、太陽は好きだが炎は苦手だ。だって燃えてしまうから。


「あれー、何やってんの?っていうか花と会話とか可愛らしいィ〜」

「何やってるかって…ばっちり見てるじゃないか、ロキ……」


ロキと呼ばれた神はニヒヒっと愉快そうに笑ってみせると、ディオニュソスの肩に手を置いて私の方を覗きこんできた。花の姿である私と目があうはずもないのに、咬み合ってしまった視線をそらすことが、何故か私には出来なかった。
ディオニュソスとはまた違った真っ直ぐな瞳に、朝顔が杭から離れて成長することが出来ないのと同じように、離れることが出来なかった。それ程にこの私に恐怖を植えつけたのかと思ったが、そうではなく、ただロキの瞳は私を好奇心いっぱいの目で見ているだけだた。先ほど感じた未知に対する恐怖はない。


「へぇ〜、見たことない花だね。これギリシャ神話の花?」

「いや、違う。ここで育てたら偶然できたから、きっと名前もないしどこの世界にも咲いてない箱庭の花だと思う」

「そんなことも出来るんだ!さっすが葡萄酒の神。トールちんとか呼んできたら、もっと大きくなるかな?」


黒い色の爪をした人差し指でツンとつつかれ、私はくすぐったくて身を捩った。ディオニュソスよりもすこし強いが、それでも遠慮が感じられる触り方に私はくすくすと笑い声をあげたくなるのを耐えなければならなかった。見るに、あまり動植物と触れ合うようなタイプには見えないし、花をじっくり見るなんてこともないのだろう。
それでも瞳に宿った好奇心の光は消えることがなく、ディオニュソスもそれに気づいたのか私に視線を戻して言った。


「…なんだ、興味あるなら一緒に世話してみるか?」

「いいのォ!?じゃまずは名前決めてあげないとね。」


ロキは私から体を離すと顎に手をあてて考えだした。私も名前を貰えるということにソワソワとし始め、風も無いのにうっかり揺れてしまいそうだった。


「シャナ!」

「シャナ?こいつの名前が?」

「そう。呼びやすいし、綴りはこんな感じで…」


そこら辺に落ちていた樹の枝で地面に何やら文字を書き始めたロキに、ディオニュソスも私も首を傾げた。私に首はないが、かしげた。彼の書いている文字は私の知らないものだった。見るに、最近この辺りにいるトキが教えてくれたルーン文字というものだろう。


「悪い、俺ルーン文字読めないわ」

「えぇ〜、そういうことは早く言ってよォ。とにかく、この子の名前はシャナだから。で、世話って何からしたら良いの?」


私の名前はシャナに決まったようで、ディオニュソスがアポロンに呼ばれて戻っていくまでの1時間程を、2人は園芸トークで盛り上がっていた。本当に彼も私の世話をするつもりになったらしい。
ディオニュソスが帰っていくと、ロキはにっこりと口角をあげて微笑んで、こちらに振り返った。そして私は気づいたのだ。彼が私の存在に気づいているということに。だってそうでなければ、


「ねぇシャナ、早く姿を見せてよ。居るんでしょ?」


なんて声をかけてくるはずが無いのだから。
私は生みの親であるディオニュソスにすら見せたことがない姿を見せるべきなのか、少しばかり悩んだが、猫のような目をした彼に逆らって気まぐれに焼かれてしまっては怖い。私は思い切って花の中から、いつからか出来てしまった私という個体を表へ具現化させた。

始めての具現化は上手くいったと思う。胸元を覆う花びらのようなものに、下半身は蔦が巻き付いて半分程埋まっているような状態だ。それでもきちんと、私という意識を人間や神に似せた形にすることが出来た。


「あんた、その姿になれるじゃん。面白い!」

「ロキ…なにゆえ、私が居ると気づいたの?」

「だって、見たら分かるしィ!風もないのに揺れたり、不自然に動いてること多すぎ」


私の正体を見ぬいたことが余程嬉しいのか、ロキは楽しげに笑うと割れ物に触れるかのように私の頬を撫でた。ディオニュソスが始めて地面から顔をだした双葉に触れる時のような優しい手つきが心地よくて、私は思わず目を瞑って身を委ねた。そうしていると彼の手はそっと頬を撫で、首筋を撫でると髪の毛を一房とってそこへ唇を落とした。
どんな意味があるのか分からなくてじっとその様子を見ていると、ロキはまた楽しそうに微笑んで言った。


「アンタに会いに、またくるよ」

「そうか…では、私も、ディオニュソスを待つついでに、待ってあげないこともない」

「ニヒヒッ☆素直じゃないのも可愛いよ!」


そう言って走り去っていった彼に、また会えるのが不思議と嫌ではなかった、ディオニュソスにもこの姿を見せたら喜ぶだろうかと思う反面、驚いて嫌われやしないかとも思っていた。それがロキがこの姿を見ても可愛いと肯定的なことを言ってくれたお陰で、私は少しだけ前向きになることが出来たような気がした。









2014/06/11 今昔
続きます。中編なので、恐らくページを増やす形で行きます。




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