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「これにて、ステージ部門午前の部を終了します。午後の部は13時半からとなっています」


かかりの生徒の声を聞きながらステージから降りる。弾き語りを終えて全身に襲ってくる倦怠感は心地よく、今からシャワーを浴びたら心地よく眠りにつけそうだった。
申し訳程度の仮装だった天使の羽を外し、ギターをケースに戻す。こんなに気持ちよく歌えたのはいったいいつぶりだろうか。火照る体を両手で扇いで少しでも冷まそうとしていると、係の仕事を終えたのか月人がやってきた。
彼もまた少し楽しそうに口元に笑みを浮かべていて、早苗の演奏が彼にしっかり届いたことを教えてくれている。自然とこちらも笑顔になって見つめ返した。


「君の音楽は不思議です」

「音楽は、神に祈りを捧げるためにも使われますからね。人間である私の歌が、神である月人さんに届くのもなんとなく分かります」

「…もし、俺が君と同じ人間だったとしても、俺は君の歌を好きだと感じたはずです」


言われて素直にお礼を言って微笑む。真っ直ぐすぎて気恥ずかしいが、褒められるのは嬉しいことだ。二人は生徒会からもらった焼きそばの差し入れをお昼に食べ、午後は二人ともスタッフとして駆けまわった。
ロキの悪戯に他の生徒が巻き込まれたりとトラブルも若干ありはしたが、文化祭は残すところ夜の仮装ダンスパーティのみとなった。早苗ももう一度天使の羽根を付けて参加しようか悩んでいると、どこかへ行っていた月人がひょっこりと戻ってきた。


「矢坂早苗、少しいいでしょうか?」

「どうされました?」

「行きたいところがあります。さぁ、行きますよ」


珍しく強引に早苗を急かす様子に、早苗は不思議に思いながらも後を追いかけた。月人はすでにウサ耳やらの仮装は外しており、ダンスパーティに出るつもりはないらしい。すでに空が茜色に染まっている中を、彼はなぜか学園の敷地外へと足を伸ばすようだ。

夕暮れの空の色を茜色と呼ぶことが多いが、字面ほど綺麗な色ではないと早苗は思っている。人名にも使われる漢字ではあるが、熟れ過ぎたトマトのような、鮮やかではない赤のような橙のような色。その曖昧さに日本人は心を動かされるのだろうかとも思う。
ふと、空とは違う色の赤色が視界に増え始め、そこで月人が足を止めたことに気づいた。彼は学園のすぐ外にある紅葉が見たかったようだ。
文化祭の準備の頃から落葉しているのでそろそろ散り終わるだろうかと思いきや、季節感の演出なのか葉が減る様子はない。延々と振り続ける緋色に染まった木の葉が綺麗で、二人はどちらからともなく立ち止まり、辺りの景色を見渡す。


「綺麗ですね」

「そうですね。こんなに綺麗に紅葉しているなら、もう少し秋のままで居てほしいと思います。ここの季節の移り変わりは、少しばかり急すぎます」

「俺の夢に、少し似ている気がするのです」


月人は足元に待ってきた紅葉の葉を一枚拾い上げると、手の中でくるくると回して言った。


「この景色が、ですか?」

「いえ、君がです。俺の見ていた宝玉に、似ているのです。もちろん見た目ではなく、纏う雰囲気の話ですが」


丁度少し強い風が吹き、足元と空中に舞っていた紅葉たちが空に舞い上がった。紅葉のカーテンの向こう側でこちらを振り向いた月人に、早苗はハッと目を奪われた。
綺麗、美しいという言葉で表すのは失礼に値すると思うほど、月人から目が離せない。出来るなら両腕を伸ばして、力の限りに抱きしめてしまいたいほど。
思わず両手を上げそうになったところで、早苗の両腕は強制的に下げられた。後ろから誰かに抱きしめられているような感覚に、脳内ではてなマークが乱舞する。月人の顔が、僅かに歪んだ。


「いい加減に、私のものに手をだすことはしないでもらおうか、ツクヨミ。いや、戸塚月人。」


アマテラス。と苦々しげに呼んだ月人に、早苗は背後で喋っているのがアマテラスであることを認識した。耳元で聞こえる声に、緊張で頬が熱くなるのが分かる。


「早苗。名前の件は考えてくれたかい?」

「は、はい。…苗字はツクヨミ、スサノオと同じ戸塚で、名前は太陽の『ヨウ』と書いて、『アキラ』、というのは如何でしょうか?中性的でアマテラスによくお似合いと思ったのですが」

「陽か。良い名前だ、礼を言う」


更に抱きしめる力を強くしてくるアマテラス−−−−陽に、月人は更に表情を消した。前のような心を置き忘れたような顔になった月人に、早苗は視線を外すことはするまいとじっと見つめる。


「戸塚陽。今すぐ彼女を離してください」


顔と同じく無表情な声の中に、わずかに怒りを含んでいるように聞こえた。それを陽も感じとったのか、耳元で小さく舌打ちが聞こえる。


「月人、今更何を言うつもりだ?彼女が八尺瓊勾玉の守り人である時点で、手に入らぬと分かっていただろう?この子は私のものだ」

「…矢坂早苗の意思を無視するのですか?」

「はじめから決まっている。早苗は私を選ぶ。この子が八尺瓊勾玉をその身に宿している以上、それ以外の結末は用意されていないのだ」


さっぱり訳の分からない話だった。早苗が八尺瓊勾玉を持っていれば、陽のものになるというのだろうか。確かに三種の神器の一つである八尺瓊勾玉は、天の岩戸に引きこもったアマテラスを引っ張り出す為に作られたとされているものだ。
しかし現代日本では陰陽の陽を八咫鏡、陰を勾玉が司るとされており、どちらかと言えば勾玉はツクヨミのものであるという考えが一般的なはずだ。それを口に出すことは躊躇われるので、早苗は陽に抱きしめられたままで二人の会話に耳を傾けた。


「八尺瓊勾玉も八咫鏡も、私のものだと知ってこの子に手を出すのか」

「俺は八尺瓊勾玉に惹かれているわけではありません。……ただ、矢坂早苗という女性と共に在りたいと思います」

「彼女が八尺瓊勾玉に選ばれた。それはつまり、この子が玉依姫の生まれ変わりであるという証拠だ。私たち兄弟すらも蔑ろにするような男が、女性を幸せにすることなど出来るのか?大人しく身を引いてもらおうか」


早苗は自分の意思が届かない場所で、何が起きているのかほんのりと理解した。
ただ、月人が兄弟を蔑ろにしている話には眉を顰めざるを得なかった。日本神話を読む限り、むしろアマテラスはスサノオと仲が悪いように思える。そもそもツクヨミの登場回数が少ないためなんとも言えないだが、それでも月人を悪く言われたことは良い気分ではない。


「陽さん、月人さんが兄弟…陽さんや尊さんを蔑ろにするというのはどういうことですか?」

「お前の耳に入れたいような話ではないが…聞くなと言っても聞きたがるのだろうね。」



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