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目覚ましを鬱陶しく思いながらどうにか止めると、早苗はガバリと勢いよく起き上がった。こうでもしないとベッドが恋しくて三度寝をしてしまいそうだったのだ。
それからいつも通りに和食で朝の食事の準備をすると、ウーサーと因幡の白兎を両腕に抱きかかえ、布団に潜って眠っている月人の上に落とした。本物の兎ならこんなことは出来ないが、二匹は元気に飛び跳ねると月人を起こすべく布団へ潜り込んでいった。
しばらくしてうーんと唸って伸びをした月人におはようございますと声をかけ、食卓に二人分の食事を整えていく。


「おはようございます」

「おはようございます、月人さん。さ、しっかり食べて今日は頑張りましょうね」


まだ眠そうな月人の前に適度に盛りつけたご飯の茶碗を差し出し、彼が焼き海苔を使って器用に海苔巻きを作るのを見てから早苗もいただきますと両手を合わせた。昨夜作った里芋の煮っ転がしはなかなかに美味しく出来ている。
月人もおかずを綺麗に三角食べして満足そうに「美味しいです」と呟いてウーサーにも煮っ転がしをお裾分けしている。本物の兎では絶対に見られない光景なので違和感はあるが、いつも一緒にいてくれる使い魔と月人が仲良くしてくれるのは嬉しかった。

二人でのんびりと朝食をすませ、お互いに着替えやら何やらを済ませると文化祭の空気を感じ取っているのかテンションの高いウーサーを引き連れて生徒会室へと向かった。
扉を開くと、さっそくハロウィン風の仮装を楽しんでいるのか狼男の耳と尻尾を付けたアポロン、ヴァンパイアなのか牙と羽根を付けたバルドルに、魔女衣装の結衣が出迎えてくれた。


「おはようございます、先生!先生の衣装も準備してあるんですよ!」

「おはようございます。草薙さんの魔女っ子可愛いですね。」

「先生にはこれを着てほしくって!」


結衣は楽しげにダンボール箱を漁ると、大きな紙袋を取り出した。ちらっと覗いているのは薄い布でが針金の枠に張られたもので、妖精の羽根のようだ。


「よ、妖精…?」

「はい!ティンカーベルの衣装をヘルメスさんに用意してもらったんです!あ、月人さんには兎の耳を是非」


結衣に兎耳のついたカチューシャをつけられた月人は、その長い耳を興味深そうに触り、それから足元をうろついていたウーサーの方へしゃがみ込んだ。お揃いですね、と言う月人に、ウーサーははしゃいで月人の手にパンチを食らわせている。
早苗は露出の多すぎる妖精の衣装に戸惑いながら、ステージに立つから曲のイメージに合わない、ともっともらしい言い訳を述べて衣装を押し返した。

100m以上離れられない制約から並んで歩くことがすっかり習慣になっている。ウサ耳が気に入ったらしく外す様子のない月人と共に、開会式の会場である中庭へと向かう。精霊の生徒たちも思い思いの仮装をしており、なかなかマニアックにな人間界のものを模倣した衣装の生徒まで居る。誰だろうか、ネオロ●時代「アンジェリー●」からジュリアス様なんて仮装を考えたのは。


「皆さん、楽しんでいただけそうですね」

「はい。ですが君の出番は午前の最後です。開会式の後は自由時間になりますから、その間に準備を済ませておかなくてはなりません。俺も舞台を離れられませんから、出し物を見て回るのは午後になりそうですね」


月人と二人、ステージの脇に待機していると、生徒会長として開会宣言を行うアポロンのスピーチによって文化祭が始まった。
視界に見える範囲では、ディオニュソスの園芸部が葡萄ジュースの販売を、ロキとトールの新聞部が号外雑誌と悪戯グッズの販売をしているのが見える。生徒会の屋台は無難に焼きそばを売っているらしい。
早苗はステージで始まった一発芸大会を横目で見ながら、舞台袖でギターのチューニングを整えた。仮装がルールになっているので、仕方なしに早苗も天使の羽根を背中につける。いつもの白衣に天使の羽根は少し地味な気もするが、一応教師という立場なのでこの程度で問題ないだろう。


「矢坂早苗、予定が早まっています。もうすぐ君の出番になってしまいます」

「分かりました」


ちょっと皆張り切りすぎではないだおるか。予定よりも30分近く早い時間に呼ばれ、早苗は心配そうにしている月人に微笑みかけてからステージ袖に移動する。
今ステージの上に居る生徒を含めて2組の生徒たちが残っており、早苗の発表をもって午前のステージの部が終了する予定だ。


「なんだか今の君は、とても意気込んでいるように見えます。」

「そうでうね。久々に人前で歌うので、なんだかソワソワしています。でも緊張よりワクワクのほうが大きくて…早くステージに立ちたくてしょうがないんです」


少し高い場所に立つ自分。それを見上げてくる客席のお客様。その場の全てを自分の演出が左右するという緊張感と、目一杯歌える演奏できる高揚感。ステージで生演奏の醍醐味はやはり客席との一体感だ。
社会人になってからそんな機会も減っていたこともあり、あと数組で順番が回ってくるというのに緊張と高揚感で心臓が破裂しそうだ。年甲斐もなく飛び跳ねたりしたい。


「矢坂早苗、君が嬉しそうにしていると、俺も少し、ステージが楽しみになります」


臨海学校で見せたのと同じような柔らかい微笑みを見せてくれた月人に、早苗はそっと背伸びをして頭をなでてみた。きょとんと不思議そうにする月人の頭で、兎の耳がコテンと揺れる。


「これは、一体どんな意味があるコマンドなのでしょうか?」

「一体どこでそんな知識を覚えたんですか。ただ、今の月人さんがなんだか可愛らしかったので撫でてみました」

「…人間は、可愛いと思うものを撫でるのですか?」

「そういう人も居ますよ」


不思議そうにする月人の頭を本番前の高揚感を逃がすように撫で続けていると、彼はそっと片手を早苗の頭に乗せた。そしてそれを左右にそっと振り、そして満足気に微笑んだ。


「では、俺が君を可愛いと思ったら、こうすれば伝わるのですね」


不意打ちだ。裏表のない彼だからこそ、これは、反則だ。他の人なら、からかっているのか、と聞き返すこともできるのに、彼が相手ではそんなことは言えない。
髪の毛が乱れない程度に撫でられた頭は心地よく、緊張はほぐれ、程よい高揚感だけが胸の中に残る。


「ありがとうございます、月人さん。」


すぐに回ってきてしまった順番に、心残りを感じながら早苗は月人の手をそっと下に下ろすとギターを持ってステージへと登った。



生徒たちから向けられる視線。遠くにアヌビスとトトが居るのが見える。その隣に居る和服の神は恐らくアマテラスだろう。様々な人が早苗の歌を聞こうと思ってくれている。それはとてもありがたいことだ。
早苗はステージに持ち込んだ椅子の上でギターを少し構え直すと、指で押さえて奏で始めた。




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