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真っ赤に染まった木の葉が舞う中で、早苗は一人の男性と対峙していた。


「美しいな」


早苗の髪の毛を、そっと彼の手が梳いた。心地よさに目をつむれば、彼は嬉しそうに微笑んでまた梳いてくれる。


「私はお前が愛おしくてたまらない。お前が生まれ変わっても、お前を見つけて何度でも愛を囁こう」


視界の中にぼんやりと映るのは、色素の薄い髪の毛と、豪奢な着物。
そして早苗に分かるのは、早苗が相手のことを心から愛しているということだけだった。






【 12:高鳴る 】






早苗がはっと目を覚ますと、いつもより少しばかり早く目が覚めてしまったようだ。二度寝をすると余計に体が辛いことは分かっているので睡魔を無視して起き上がると、視界の隅で紫色の頭が揺れた。
とそこで、早苗は昨夜何が起きたのかを思い出した。

月人と100m以上離れることが出来なくなってしまったため、彼は早苗の私室の畳部分に布団を持込、そこで眠っている。床から50cm程高くなった畳の部分には、ウーサーも一緒になって眠っている。
100mという制約なら、別に保健室の方で寝てくれてもいいのに、と思う。が、扉を一枚も挟んでいない場所に月人が居るという状況が少なからず嬉しいと感じている自分も居て、早苗は朝一でつきそうになったため息を必死で堪えなくてはならなかった。


「さて、朝ごはん作りますか」


早苗はテキパキと着替えを済ませるとまずは味噌汁作りに手をつけた。月人に合わせて和食のほうがいいだろう。彼なら文句も言わず食べてくれそうだが、生ハムとトーストを食べている彼は想像が出来ない。
早苗は炊いたご飯と味噌汁、塩鮭とのりを焼くと、起きてきた因幡の白兎に月人を起こしてくるように頼んだ。すると直後に「うぐっ!?」という悲鳴が聞こえたので、じきに起きてくるだろう。

料理がテーブルの上に整った頃、ウーサーと白兎を両腕に抱き上げた月人が起きてきた。少しだけ寝ぐせが付いている。


「おはようございます、矢坂早苗」

「おはようございます。さ、座って食べてください。」

「ありがとうございます」


椅子に座って朝食を食べはじめた月人は少し嬉しそうな顔をしていて、早苗は目を見開いた。こんなにも自然に表情を出してもらえるとは思わなかったからだ。出来るならずっとこうして笑顔でいて欲しいと思うし、そのために早苗が何かすべきだというのなら全力で取り組みたい。
月人にはずっと笑顔でいてほしいと思うのだ。そう思ってしまうのも指輪がもたらした効果だというのなら、作ったロキには頭があがらない。ついでに顔面に一発お見舞いしてやりたい。


「ごちそうさまでした。」

「お粗末さまでした」

「とても美味でした。これからは毎日この朝食が食べられると思うと…なんだか落ち着きません。」


悪い意味で言っているわけではないと見て分かるので、早苗は笑顔を返しておいた。お皿を回収してから月人には身支度を整えて教室へ行けるよう準備をするように言っておく。
二人は支度を済ませると揃って保健室を出た。教室と保健室は100m以上離れていると思われるため、まずはトトに相談しに行くべきだと昨夜決めたのだ。並んで図書室へと向かううち、前方に見慣れぬ姿をみつけた。
水色と白のグラデーションになった髪色に、白を基調とした着物。太陽のようなモチーフの髪飾りと中性的な顔立ち。少なくとも箱庭の生徒ではないことは確かだ。


「おや?」


着物の者はこちらを視認すると、まずは月人に目を向けて嫌そうな顔をし、それから早苗と視線があうと嬉しそうに微笑んだ。


「こんなところで出会えるとは…先ほどから気配がするとは思っていたのだけれどね、この目で見るまでは信じられなかったよ、矢坂早苗」


華がほころぶような笑顔で発せられた声は男性のようであり、けれど見た目は女性のようであり、早苗には判断がつかなかった。この神が何故こちらの名前を知っているのかもわからないし、この神が恐らく日本神話の神であろうことは分かっても、具体的にどの神なのかは分からない。
誰も何も喋らない。少し居心地の悪い沈黙を破ったのは予想外にも月人だった。


「アマテラス。何故ここに居るのですか?」

「お黙り、愚弟。私がここへ赴いたのはゼウスの呼び出しに答えてのことだ。それと…お前に会うためだよ、早苗」


月人の呼んだアマテラスという言葉に、早苗は目を丸くした。天照大御神、日本神話でもっとも力のある神と言っても過言ではない太陽の女神。しかしながらアマテラスを見るに、女性には見えない。
更に戸惑いを覚えるのは、アマテラスがこちらの存在をしっかりと知っていたことだ。生憎と早苗は結衣のように神社の生まれでもなく、神に存在を知られているほどの人間でもない。


「八尺瓊勾玉を持たせたからね。何度生まれ変わっても私には分かる。」


そう言われた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
今朝方まで覚えていた夢の内容がふっと脳内に蘇ってくる。そうだ、あの夢に出てきた男性はアマテラスにそっくりなのだ。
早苗が動けずに居ると、月人は早苗を庇うように一歩前に出た。


「ゼウスの元へ行かなくても良いのですか?俺たちも用事がありますので、これで失礼します」


月人はアマテラスにそう言い放つと早苗の手を取り、さっさと歩き出した。大胆な行動に驚きを隠せずにただ後をついていくと、後ろからもう一度「早苗」とアマテラスの声がした。月人は止まらないので首だけで振り返ると、アマテラスは微笑みを浮かべて言った。


「私にも人間と同じ名前を考えてくれないか。すぐにとは言わない。」

「わ、分かりました!」


廊下を曲がってしまい見えなくなる前にそう叫ぶと、早苗は手を引いていく月人の様子を伺った。あまり表情を表に出してくれないのでわかりづらいが、兄弟であるはずのアマテラスに会うのは嬉しくないのだろうか。
直接聞くのも躊躇われたので、早苗はともかく一緒に図書室を目指すべきだと考えなおし、ここは大人しくしておくことにした。



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