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全ての手紙を書き終えたのは夜も良い時間になってからで、早苗は翌朝一番に中庭の木の下にケースを埋めた。クリスマスやら冬の行事で中庭を使うかもしれないが、この木の根本を掘られることなんてそうそう無いだろう。
最後の仕上げと土をポンポンと叩くと、早苗は「これで良し」と呟いて教室へと向かった。


「…まぁ、ゼウス様なら見つけても抹消してくれそうだし」


廊下を歩きながら、時折声をかけてくれる精霊の生徒たちに手を振り、Aクラスの教室へとはいる。


「おはよ、シャナセンセ!」

「おはようございます、ロキさん。…ところでその怪しい色のケーキ、私は食べませんからね?」


ロキの机の上にある健康に悪そうな紫と青のクリームが乗ったケーキを指差すと、彼はつまらなさそうにそれを月人の口につっこんだ。途端、月人の悲鳴が響いて、やはり食べさせられる前に逃げて正解だったと安堵した。
月人の悲鳴というのもなかなか珍しいが、なにやら「梅干しが入っています」という呟きが聞こえたので、ケーキに梅干しでも入っていたようだ。


「あにぃ!!無事か!!?っていうか何をどうしたら梅干し入れて紫色になるんだよ…!」

「えぇ?たーやんも食べたいってェ?はい、あーん」

「……ロキ、やめておけ。それを食べればさすがの戸塚でも…」

「んぐっ!?」


尊までもが轟沈し、早苗は一限目の教科書を取り出しながら苦笑いを零した。最初のころは遅刻ギリギリに来ていた不登校組も、今では授業前にこうして遊ぶくらいの時間には来ている。最初とは比べ物にならないくらい打ち解けている証拠だ。
これならあと少しで卒業も出来るはず。暖かい気持ちになっていると、まだ始業の時刻でないのにトトが教室へと入ってきた。


「貴様ら、授業は取りやめだ。」


トトはそういうと教室の中をざっと見回して早苗と目を合わせると、小さく手招きした。


「トト様!今日の授業がお休みってどういうことですか?」

「正確に言えば、今日だけではない。今後一切の授業を取りやめる。各自寮へ戻り帰宅の準備をしろ。」


授業を辞めるだけではなく、学園を辞めるということだろうか。それにしても唐突だ。早苗が手招きに応じて立ち上がると、近くの席で結衣も勢いよくたちあがった。


「そんな、一体どういうことですか!」

「黙れ。…矢坂、緊急職員会議だ。こい」


早苗は神々に戻ったらちゃんとワケを話して聞かせるから、と言い残すと、サッサと教室を後にしてしまったトトの背中を追いかけた。
図書室ではなく学園長室へと向かっているらしい。トトはノックもなにも無しに扉を開いて中へと入っていく。続けて早苗が失礼しますとお辞儀をして入ると、中に居たゼウスが驚いて息をのむのが聞こえた。
顔をあげてトトの斜め後ろまで進むと、今度はゼウスが嬉しそうに微笑んだ。


「まさか、矢坂早苗を連れてくるとは。矢坂、お前はトトにまでも影響を与えたらしいな」

「ゼウス、さっさと要件を話せ。」


ゼウスの発言が気に食わなかったのか、トトは少し苛立った声をあげた。トトが苛立つことは珍しくないが、焦ったような感じがするのは珍しい。緊急事態だろうに、早苗は頬が少し緩みそうになり、慌てて顔を引き締めた。


「矢坂も居るので順を追って話そう。そもそもこの箱庭は、各神話の代表者が定期的に開いている集会で決定した措置だった。これは覚えているな?」

「はい、記憶しております」

「その集会で再度審議がなされた結果、今後この箱庭を継続したとしても神々と人間の関係は修復不可能という結論が出た。」


ゼウスは室内に置かれていた大きな砂時計のようなものを指さした。砂時計と違うのは、砂の落ちるスピードが一定ではないことだ。


「この砂時計は世界の寿命を示している。神々と人間の関係が悪化しはじめた時から、砂の落ちる速度は早まった。」


その言葉に合わせるように、ドサッと多めの砂が下へおちていく。


「……では、生徒たちや私を元の世界へと送り返すのですか?」


早苗はゼウスの審議を汲み取れず小首を傾げて問いかけると、トトが小さくため息をついた。どうやら最終決定については既に知っているようで、早苗の問いにはトトが答えた。


「今後改善しないと分かっているものを何故残す?…一度、人間を滅ぼすことが決定した」

「…え、滅ぼす……ですか?」

「そうだ。」


早苗は一瞬トトが何を言ったのか理解できなかった。それからゼウスにそっと視線を移し、彼もまた黙って深く頷いたのを見た直後、大きなため息がこぼれ出た。
神様とは感覚が違うと重々承知していたが、まさか上手くいかないと決めつけて人類滅亡など。予想の斜め上の遥か彼方遠くの発言だ。意味がないから箱庭辞めます、ではなく、意味がないので人類無くします。神にとってはこれが当たり前の判断なのだろうか。


「人間と神々との関係が悪くなると、世界が壊れかねない…とのことでしたよね?」

「そうだ。世界そのものを壊すわけにはいかぬ。故に、人類を滅ぼすことが決定したのだ。」

「ゼウス様、人類滅亡までの猶予はどの程度でしょうか?」


早苗が問えば、ゼウスは理解し難いとつぶやいて顔を歪めた。
きっと神には、残された時間で何か足掻いてやりたいという人間の根性も、皆とお別れをしたいのだという人間の気遣いや自尊心も理解出来ないのだろう。


「せめて最後に、お別れをする時間が欲しいのです。草薙さんに…それから、私にも。」

「よかろう。期限は今日を含め2日。明日の午後、15時に執行する」

「矢坂、貴様と草薙は人類と共に消すということはしない。…人類が滅んだ後、二人を消し去る。心しておけ」

「はい、トト様」


今日と明日。その間に気持ちの整理をつけて、人類滅亡に臨まなくてはならない。その間に、早苗はトトへの、結衣はアポロンへの思いを断ち切ってしまわねばならない。
その間に、何かできることがあるのなら、行動に移さなくてはならない。




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