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翌朝目が覚めると、早苗はとんでもないことに気がついた。いつも以上に早起きしてしまったことはまぁ良いとしよう、問題は普段寝ている布団よりもとても暖かい環境にある。
目が覚めた瞬間に昨日トトに寝かしつけられたことに気がついたのだ。まして未だしっかりと抱きしめられたままであれば、慌てるなという方が難しい。
「目が覚めたか」
「はいっ!すみません、ご迷惑をおかけしました……ありがとうございます」
早苗が思わず見つめている内にトトも目を覚ましてしまい、慌てて謝罪とお礼を述べた。トトは真面目な表情のまま起き上がると、早苗の額に手をあてて1つ頷いた。
「熱もあらかた下がったか。明日の行事には問題ないだろうが…浴衣は辞めるべきだろうな」
「はい、そうします…」
結衣と二人で浴衣を着ようと言っていたのだが、どうやらそれは叶いそうにない。お出かけの許可をもらえただけ喜ばねばと、早苗はどうにか気を持ち直した。
と、そこではじめて、トトの手が額に当てられたままであることに気づき、ぽんっと顔から湯気がでた気がした。やはり、昨晩からトトの様子はおかしい。ロキたちが保健室が使えないことで不平不満を言うのは分かるが、それを解消するためにトトがここまでしてくれるものだのだろうか。
神様の価値基準がよく分からずに居ると、トトは早苗に今日は保健室を無理の無い程度で開けろというと、図書室へ戻るのか部屋を後にした。
朝食に誘えばよかっただろうかとも思ったが、万が一にも風邪をうつしては困る。ここではトトも人間の体なのだから、念には念を入れておいたほうが良いだろう。妙にドキドキしたままの心臓を抑えながら、早苗は着替えると朝食の準備にとりかかった。
お月見当日。授業は午前中で終っており、この後は全員が中庭に集まってお月見をする予定だ。早苗はすっかりと回復した体で食堂へ向かうと、預けておいたお団子やらついでに作った柏餅の入ったタッパを保冷バッグへ移した。いつもの仕事着である白衣のままなのが残念だが、アヌビスと一緒につくったお団子が食べられるので良いとしよう。
お団子の半分は兎の顔が描かれているが、残りの半分はゴマだったりあんこだったりと色々な味にしてある。
早苗がバック片手に校舎を出ようとすると、出入口を挟んで反対方向からトトがやってきた。
「お疲れ様です、トト様。昨日はありがとうございます。」
「構わぬ。」
言ってトトは早苗の隣に立つと、何やら一緒に外へと出てくる。そのまま月見の会場まで一緒に来てしまい、早苗は内心で首を傾げた。彼はお月見に参加するつもりなのだろうか。
「貴様がまた倒れでもしたら、私の仕事が増えるのでな」
「…私、顔に出ていましたか?」
「貴様程度が考えていることなど、筒抜けも同然だ。」
全くお恥ずかしい限りですと早苗がうなだれると、トトは頭を1つぽんと叩いた。その手がとても優しいような気がして、笑顔で足を進めた。
中庭には既に神々が集まってきており、ベンチとテーブルがいくつかと、それからススキがたくさん飾られている。提灯…というよりも、灯籠のようなものも置かれており、かなり雰囲気が出ていた。
既にあたりは薄闇になってきており、蝋燭が半紙越しに放つ橙の光はとても暖かい。何より、浴衣姿の結衣とそれを見て元気になったのかアポロンが率先して動いており、とても良い雰囲気だ。
トトと二人で少し離れたところから見ていると、アヌビスも言葉は通じないものの他の神々に混じって準備をしており、もう早苗が通訳をしなくとも何となくお互いの意思疎通はとれているようだった。
「生徒だけでこれだけ出来るのなら、教師が居なくても問題なかったかもしれませんね」
「アヌビスがここまで彼らと打ち解けるとはな。私も計算外だった。」
「トト様でも、予想やアテが外れることはあるんですね」
「…特に箱庭ではイレギュラーな存在が居るからな」
ふっと自嘲するように笑うと、トトは早苗の保冷バックを取り上げて生徒たちの方へと向かっていった。気がついた結衣にバックを渡すと準備が整ったら始めるぞというようなことを言って、またこちらへ戻ってくる。
受け取った結衣はにっこりとトトを見送ってから、アポロンたちが準備していたお皿のある場所へと駆けていく。それだけなのに、どうしてか妙に胸の奥がザワツイた。結衣とアポロンが恋仲であることは早苗も重々承知しているのに、何故か不安になったのだ。
まして早苗は別にトトとそういう仲ではない。それなのにどうして不安に思うことがあろうのだろうか。好きだから、と認めてしまうのは少々癪だったので、早苗は出来るかぎり平静を装い、戻ってきたトトに微笑みかけた。
「準備の方はいかがでしたか?」
「問題ないようだ。」
満足気に頬んだトトに、隠し切れない程心が粟立った。まだ熱の時に弱った心だけ元気になっていないのだろうか。だから、あの時看病してくれたトトが他の女性と関わるのが嫌なのだろうか。ひたすら、「好き」という気持ちを誤魔化そうと思考を働かせる。
そんな早苗の心中に気づいたのか、トトはこちらを見下ろすと口の端を持ち上げて意地悪く微笑んだ。
「矢坂、何か言いたげだな」
「なんでもありません」
「…貴様は本当に分かりやすい。私がバックを受け取ったことに喜び、次に草薙のもとへ行ったことに落ち込み…人間とは感情の起伏が激しいものだな」
トトの手が、早苗の顎を捉えて逸そうとした視線が強制的に絡んだ。彼の反対側の手は早苗の背後にあった木に添えられ、逃げ場がない。
「私が草薙に何を言ったのか、気になるのか?」
「…気にならないと言ったら、嘘になります」
「……私と矢坂は先に戻ると言ったのだ。あの様子であれば、私たちがこの場に居る必要はあるまい。」
「え?」
トトは両手を離すとすっかり冷たくなった風に上着を靡かせて、さっさと校舎へと戻っていってしまう。早苗が慌てて追いかけると、校舎の中に戻った途端、隣り合っていた手が握られる。
やはりトトに風邪をうつしてしまったのだろうか。彼のおかしな行動は全て早苗の部屋に来てからだ。
「あの、トト様?」
「黙れ、質問は許可していない」
「……」
二人分の足音が響くなか、保健室へと戻っていく。男性に手を握られるだなんて何年ぶりだろうかと、どうしようもない考えが頭に浮かぶ。
「矢坂」
「はい」
「貴様は『真実の愛』とは何だと思う」
そんな哲学的なことを聞かれても、トトの満足出来る答えは提供できないのではないだろうか。そう素直に思った。
だが聞かれて答えないのも失礼なので、早苗は出来るだけ簡潔に、けれど考えがしっかり伝わるようにと言葉を選んだ。
「生物学的には、子孫を残すために最も有利な伴侶を選ぶことだと思います。ですが、人間はそれだけではありません。禁じられていても相手の幸せを願ってしまう、相手が出来る限り幸せであるように願い、行動してしまうことだと思います」
「…では、『世界の全てを犠牲にしても、相手を幸せにする』のか?」
「そう思うこともあるかもしれません。ただ、私にはそれが真実の愛なのかは分かりません。もし私を好いてくれるだれかが世界を犠牲にしたとしても、私は罪悪感に呑まれてしまいます」
「…そうか」
トトはそれきり黙りこんでしまい、また廊下に足音だけが響いている。質問の内容もあいまって心臓の音がうるさいほど大きくなってきた。気まずい。ましてトトに隠し事が通用するとも思えず、きっと早苗の思っていることなんて筒抜けのはずだ。
先ほど早苗が結衣に対して嫉妬心のようなものを覚えたことも、先ほど見事に言い当てられた。
「また、心拍数があがっているな」
「……は、い。」
「貴様は私に好意がある。間違いないだろう?」
自信満々に言うトトに、早苗は眉をハの字にした。
自分でもいまいちよく分かっていなかった感情なのに、トトにそう言われただけで「あぁ、私はトト様が本当に好きだったんだ」と納得させられてしまうのだ。彼の言葉は早苗にとって魔法と同じだった。
「間違い、ないのだと思います」
「そうか」
先ほどの「そうか」とは違って満足気な声で言うと、トトは保健室まで早苗を送り届けてから図書室へと帰っていった。早苗は繋がれていた手にトトの温もりが残っているような気がして、早まる鼓動をどうにか抑えようとシャワーを浴びた。
第11話、終。
2014/06/25 今昔
トト様は愛する前に愛されてからそれ以上の愛を測ったように帰してくれるタイプだと思います。(末期
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