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卒業式の当日。目が覚めると布団の中にウーサーとトッキー、それから白兎が潜り込んできていた。今日が最後だと分かっているのだろうか、早苗が起き上がって着替えだしても、ずっとくっついて回ってくる。
一年という時間同じ部屋で過ごしたかれら使い魔と一匹に、早苗は式の前に泣かないという決意が脆くも崩れ去るのを感じた。ウーサーを抱き上げ、毛並みを確かめるように抱きしめる。


「ありがとう、ウーサー。今までお世話になりました、トッキーも。白兎もね。」


今朝もやってきたロキと一緒に朝食をとり、二人は3匹を引き連れて卒業式の会場である体育館へと向かった。

舞台には花が飾られ、上手側には二人分の職員席、そしてセンターには10人分の卒業生の席、その背後には精霊の生徒たちの席が用意されている。トトの開式宣言はいつものように気だるげで、その後どこから流しているのかオルゴールアレンジの贈る言葉をBGMに卒業生が入場してきた。胸元に花を飾るべきだという前日にした早苗の提案はしっかりと組み込まれていた。
国歌斉唱は当然飛ばされ、そのまま卒業証書授与が行われる。アポロンから順番にABCの順番になっているようだ。その後ゼウスの式辞が入り、ついに早苗の祝辞読み上げもつつがなく終了した。
アポロンの答辞も終わると、精霊の生徒は光になって消えていった。ホタルが一斉に飛び立ったかのようなそれに、早苗は自分の目が潤んでいることに気づいた。


「これで、全て終ってしまいました」


月人が言った一言が、妙に大きく聞こえた。


「そうだね、終わってしまったよ。わたしは…まだなんだかもう少しこの箱庭に居たかったような気もするな」

「だが、出会いがあれば別れがあるのが当然だ。俺は大人しく、冥府へ戻るだけだ」

「あっれ、たーやんってば頬に涙のあとついてるよォ?」

「なっ!?…ってついてねぇじゃねーか!」


卒業証書の入った筒を持って騒ぐ神々に歩み寄ると、一番に尊が気がついて丁寧に頭を下げる。何事かと思って見ていると、運動部か何かのような大きな声でありがとうございました!と叫んだ。


「おれ、人間にもお前みたいな強いやつ居るんだなって、凄ぇ驚いた。確かに体は強くないけど、早苗先生は心が強い。ここで会えて、本当に…うれし……うっ」

「ありがとうございます、尊さん。私もお会いできて光栄でした。あと、泣きたい時は泣いて良いんですよ。」

「馬鹿野郎!おれは漢だ!!泣かねぇ……泣か………っ、ひっく…先生ぇ…」


泣きだしてしまった尊の頭をぽんぽんと撫でてやると、ハデスやディオニュソス、月人もお礼を言いに来てくれる。アポロンだけはどうやら結衣と一緒に戻れることが嬉しいようで、神々との別れも良い経験として乗りきれているようだった。

トトに促されて全員で学園長室へと向かうと、順番に元の世界へと帰るようにと指示された。学園長室の中が移動手段になっているようで、帰る世界毎に入るようにとのことだ。


「カー、バラバラ……(シャナとお別れ…アヌビス、寂しいよ)」

「大丈夫ですよ、アヌビスさん。私割りと信心深い方ですから、またお会いできるかもしれません」

「バラバラ…!(うん、待ってるね…!)」


たくさんの涙を振り払うように、アヌビスは一番に最後に戻るトトの背後へ戻っていった。両肩が時折はねているので、泣きたいのをこらえているのだろう。
早苗はここまで付いてきてくれたウーサーを抱き上げると、一番に帰るらしい日本神話の二人に声をかけた。両手でウーサーを差し出すと、尊がそっと受け取ってくれる。


「ウーサーを、連れて行ってあげてください。」

「え、おれたちで、いいのか?」

「しかと承りました。ウーサーのことは任せて下さい。…ここで君に教わったこと、俺も尊もずっと忘れません」

「おう、先生も頑張って神格化されるくらいの人間になってくれよ!そうしたらまた会えるだろうからな!」


そんな無茶なということを言い残すと、ふたりは結衣にも元気でやれよと声をかけて学園長室へと入っていった。
扉が閉まると、なんとも言えない空気が廊下に残ったメンバーの間に流れた。寂しいような誇らしいような空気の中で、アポロンが一歩前に出る。


「次は僕たちギリシャ神話に帰るメンバーで行こう。行こうよ」

「そうだな。」

「あ〜あ、そういえば一回も早苗先生と飲めてないや…また、一緒に居酒屋…だっけ?行こうね!」


ディオニュソスが早苗の肩を叩いて学園長室へ入ったのを合図に、アポロンとハデス、ディオニュソスが室内へと足を向けた。


「矢坂先生、本当にお世話になりました。私、先生みたいな女性になれるように、頑張ります!」

「ありがとう、草薙さん。私も草薙さんの強さは見習わなくちゃ…アポロンさんとお幸せにね」

「はい!……では、行って来ます!」


さようならは言わずにアポロンたちの後を追いかけていった結衣に、早苗はこらえていた涙がこぼれてくるのを感じた。結衣にもとてもお世話になった。あんなふうに充実した学生時代が過ごせていたら、どれほどよかっただろう。
「さて」とトトの声で、早苗は現実に帰ってきた。


「次は貴様らだ、バルドル、トール」

「え?ロキは行かないのかい?」


バルドルの疑問は最もで、早苗もトールたちと同じようにロキの顔を見やった。彼はいつものようにイタズラな笑顔で独特な笑い声をあげると、早苗を片腕で抱きしめた。


「オレはシャナと一緒に行くからいいの〜!」

「え!?…それって……人間の世界に行くっていうこと?そんなこと…」

「可能だ。ただし神には二度と戻れなくなる可能性もある」


トトの解説にトールまでもが目を丸くした。


「……良いのか、ロキ?」

「だって、毎日あんな無理して笑ってるシャナのこと、一人に出来ないでしょ。…バルドルやトールちんと離れるのはもちろん嫌だけど……オレは神としての努めとかこだわりないし、だったら人間界で役目のあるシャナを帰してあげて、オレがそれに着いて行くのが良いって思ったの!」

「ロキさん…あの、すみません……まさかあの日の朝って…」

「聞いてたよ。そんで先生捕まえて逆にオレを人間世界へ飛ばせって言ったワケ」

「…こやつ、流石餓鬼というべきか、何度リスクを説明しても聞く耳を持たなくてな、ゼウスと私が折れたのだ」


バルドルはそのやりとりで納得したのか1つ大きく頷くと、早苗に「お元気で」というような挨拶を述べると、ロキにはとびきりの笑顔を残して学園長室へと入っていった。トールもそれに続き、ロキと早苗の肩を1つずつ叩いて元の世界へと帰っていく。


「お二人とも、ありがとうございました!」


扉が閉まる前に叫んだ早苗に、二人が軽く手をあげて答えたのが見えた。

扉が閉まってしばらく無言で居ると、ロキも同じように言葉は出さずに早苗の手を握った。そしてトトを振り返ると思いっきりアッカンベーをしてから学園長室の扉を開く。中に居たゼウスは大人の姿で、身の丈程もある杖を持って魔法を使っているような僅かな光を発していた。背後から因幡の白兎もどきも駆け込んできた。
早苗はゼウスに向かって一度しっかりとお辞儀をすると、顔を上げて目線を合わせる。


「ゼウス様、短い間ではありましたが、大変お世話になりました」

「…礼を言うのはこちらだ。矢坂早苗、そなたの行いで枷が外れた生徒は多い。よくぞこの一年働いてくれた。特にそこのロキ。彼奴の変わり様は目を見張るものがあった」

「ほーらほら、早く人間界に返してよ〜」

「…ロキ。本当に構わないのだな?」

「くどいよ。オレはシャナを一人にしないって決めたの。バルドルにはトールちんが居るから大丈夫だし。」


奔放なロキの様子にゼウスは大きなため息をつくと、杖で床を一回叩いた。途端床が輝きだし、二人の体を光が包んだ。眩しくて目が開けていられなくなる直前、ロキの唇が早苗の唇の隅に触れた気がした。







学園長室からこぼれてくる光が収まるとトトは大きく息を吐いた、


「カー…バラバラ?(トト…本当によかった?)」

「何が言いたい」

「バラバラ、カーバラ(だって、トトもシャナのことが)」

「何のことだかさっぱり検討がつかぬな。何を勘違いしている。」


トトは置いて行かれたトッキーはという名前の使い魔を肩に載せると、早苗のネーミングセンスを不可解に思いながら、同じく理解不能だった矢坂早苗という存在に少しだけ引っかかりのような心残りのようなものを感じた。
ロキは本来北欧神話の神で、早苗は日本の生まれだ。人間界に送り出されて言葉が通じるか分からないし、この箱庭での記憶があるかも分からない。そのリスクも分かった上で神が人間に落ちるということはトトには考えられなかった。


「精々…幸せにしてやるといい」


もう届かない言葉をロキに向かって呟き、トトはアヌビスを伴って学園長室へと入った。






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