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一週間ほど経過し、仮想年越しの日がやってきた。早苗は保健室ではなくアポロンたちの居るギリシャ神話の部屋に向かい、結衣と二人でおせち料理の準備をしていた。室内には門松やらしめ縄やらが飾られていて、ちょっと間違った場所に置かれていたりもするが、神々が楽しんでいることがよく分かった。
結衣が日本独特のおせち料理を作ると言っているので、早苗はロシア風にオリビエ・サラダ、ピロシキを。北欧神話組にあわせてドライミートとソーセージも用意することにした。料理も行事も、結衣が日本生まれのためかどうしても国特有のものに偏ってしまいがちだ。

早苗がドライミートを作り始めた頃、バルドルにも馴染みがある料理だったのかとても嬉しそうに「楽しみにしているよ!」とわざわざ言いに来てくれた。トールも興味深そうに料理する早苗の手元を覗き込み、ふと呟いた。


「……そういえば、アドヴェントもイヴもやらないまま新年になってしまうな。」

「アド…?えっと……矢坂先生、ご存知ですか?」

「アドヴェント。ノルウェーの行事で、クリスマスのことです。そういえば、クリスマスの行事はやっていませんでしたね…。」

「ああああああ、やってしまいました……我が家、クリスマスはあまりお祝いしたことがなくて…」

「実家が神社、でしたっけ?そう気を落とさずに…」


切っていた玉ねぎのせいではなく涙目になった結衣に、早苗はちょっと申し訳ないことを思い出させてしまったなと眉を下げた。クリスマスといえば恋人たちの行事。きっと結衣もロマンティックなクリスマスを過ごしたかったことだろう。


「新年だって大抵の国は家族や友人、恋人とか大切な人と過ごす行事です。それに振り袖だって着るんでしょう?アポロンさんもきっと喜んでくれますよ」

「そ、そうでしょうか……」

「きっと楽しく過ごせますよ。購買で最新の紅白歌合戦のDVDも借りてきたので、皆で見ましょう!」


幾分元気になった結衣と二人で料理を完成させ、揃っているAクラスの神々と共に、こたつの周りとテーブルの周りに集まって、それぞれに各国の年越し料理を楽しんでいる。テレビからは録画であるものの年越し番組の定番が流され、神々は楽しげな様子だ。
早苗もまたテーブルの方について、自分の作った料理を楽しげに口へ運ぶ神々を見て微笑んだ。自分たちの地方の料理を食べてはどんな料理か語り、他国の料理には珍しい味に目を丸くした。

ロキはどうやら「あーん」が気に入ったようで、スプーンやフォークで食べられるものは、どの料理でも一度は早苗に食べさせたがったし、数回は自分にもやってほしいと強請られた。更にはディオニュソスが持ってきた葡萄ジュースでお酌させられたりと、満喫しているようだ。月人や尊、ハデスあたりは二人のことを知らなかったようでその様子を見て驚かれてしまった。


「まじか…早苗先生、ついにロキと…くーっ、ロキには先生なんか勿体ないぜ!やっぱあにぃみたいなしっかり者と一緒の方が…っ」

「尊、本人たちがそれで良いと言っているのだから、他人が口出しして良いことではない。……確かに、センスは疑うが」

「ちょっとお二人とも酷いですって!ロキさんは…あー、その、手懐けられればまったく問題ないですよ。私はイタズラされたこともありませんし」


流していた歌合戦も佳境に入った頃、テーブルに居たロキ、ハデス、尊、ディオニュソスと早苗の5人は恋愛観の話になっていった。自然とロキを意識してしまい、頬が染まるのが分かる。
そんな些細な事でさえも、学生時代にはできていなかったなと思い、早苗はなんだか嬉しくなってロキの腕に抱きついた。


「なぁに、随分と積極的だねぇ〜」

「えへへ〜、ロキさーん。あったかいです。」

「え?まぁ、炎の神だし、他の連中より体温高いとかあるかもよォ?……ってちょっと、シャナ?顔真っ赤……っていうか酒臭っ!!」


ぼんやりする視界の中で、早苗の視界には「Juice」のボトルと「Wine」のボトルが瞼の黒にかき消されていくさまが映っていた。







ロキは自分の腕を掴んだまま倒れこんでくる早苗を抱きとめると、ディオニュソスをきっと睨みつけた。


「ちょっと〜、何やってるのさ!ワイン持ち込むとかぁ〜!」

「悪いッ!まさかそんなに酒に弱いとは思わなくって」

「でもディディ、それってディディのお気に入りのお酒だよね?それって度数が凄く、凄く高いんじゃなかった……?」


ロキはばっとボトルを手に取ると、途端に香ったのアルコールの匂いに顔をしかめながらボトルに書かれた度数を確認する。するとそこに、


「75%って何!?希釈アルコールでしょこれじゃ!!!!」

「でも味は葡萄の香りがよく出ててジュースみたいに…」

「それ余計駄目だから!ジュースみたーい♪って飲んでたら気づいたら酔っちゃうやつでしょ!」

「急性アルコール中毒とか大丈夫でしょうか…」


人間の体は本当に面倒だ。ロキがそう呟くと、うさまろと一緒に遊んでいたウーサーがやってきて、何やら早苗の額に前足を当てた。するとそこから淡い光が出てきて、みるみる内に赤かった早苗の頬は普通の肌色に戻り、体温も少し下がったようだった。
ロキはありがとうとお礼を言ってウーサーを撫でてやると、少し不機嫌そうになったもののウーサーはどやぁっと胸を張ってみせた。


「えっと、もしかして今この兎が何かしてくれたんでしょうか?」

「矢坂早苗の使い魔は、どちらも医学に秀でています。処置が行えても不思議ではありません」

「そうか、良かった。」


眠ってしまって目を覚まさない早苗を横抱きにすると、ロキはその場の神々に断りを入れて一旦自室へと連れて行くことにした。流石に眠って重たくなっている体を人間の力で運ぶのは骨が折れる。保健室はは向かわずに北欧神話の部屋へはいると、二階部分にあるロキの私室へと寝かせてやった。
室内には完成したばかりの振り袖を、資料として貰った雑誌の通りにかけてある。本当は初詣の直前に見せて驚かせようと思っていたが、ともかく今はしっかり休んでもらうことが先決だ。


「本当に人間って弱いんだねぇ。」


人間は弱い。そして神々に理想と願いを押し付けて、思うようにならないと神を恨む。そんな存在は苦手だし、正直関わりたくなんてないと思っていた。
そのくせこの箱庭に来ていた人間の草薙結衣は、無理に人間について学ばせようとするゼウス側で、さらに神経を逆撫でされた。反面、同じように教える側であった早苗は、学ぶよりも楽しむことを優先していた。最初はそれに好感が持てただけだった。

ところが箱を開けてみればどうだろう。他の授業に協力的でなかった神々も同じように早苗を慕い、授業がつまらないと愚痴を聞かせて、何か行事がある度に頼る。最初に出会って目をつけたのはオレなのに。何度そう思っただろう。

いつの間にか手に入れたいと思っていたら、実は箱はまだ用意されていた。
残りの箱を開いてみれば早苗は人間で、始めて手に入れたいと思った女性が人間だなど、全く笑えない。早苗が人間だと分かっても手に入れたいなど、全く笑えない。
その葛藤のせいでたくさん傷つけた自覚もあったが、それでもやっぱり「手に入れたい」「側に居てほしい」という気持ちは変わらなかった。そう思っている間に、彼女の方から行動させてしまったことは本当に申し訳ない。


「好きだよ、シャナ。…もし、元の世界に帰るっていう選択をするなら、オレは……」


ピョコン、と膝の上に白兎が飛び乗ってくる。気遣わしげに擦り寄る兎を撫でると、ロキは早苗の隣に潜り込み、年越しの少し前にアラームをセットして眠りについた。





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