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早苗が男性につれていかれた場所は、赤い絨毯が引かれたファンタジー作品で王様が居るような部屋だった。豪華な内装と貴重なものであろう砂時計やら実験器具やらのようなものが置かれており、何かしら偉い人がいるのだろうことは想像できた。

が、肝心の玉座に座っているのは年端もいかない少年で、確かに威厳さは感じさせるがこの部屋にはおおよそ似つかわしくないようにも見える。


「ご苦労だったな、トト」


トトと呼ばれた男性は無言で頭を下げると、早苗をポイっと放り出して自分は扉まで下がって壁にもたれかかると、完全に我関せずな態度になってしまった。どうしてよいか分からず、とりあえず早苗は正座すると丁寧にお辞儀をした。


「矢坂早苗と申します。失礼ながら、ここはいったいどこなのでしょうか?」

「顔をあげろ、人間とは両極端だな。
 我が名はゼウス。そしてここは箱庭と呼ばれる空間だ。お前にはとある任を与えたく呼び寄せた」

「ゼウス…」


全知全能の神の名前を出され、微妙に信じがたい気もするが確かに神様と言われれば彼のまとう雰囲気にも納得だ。ということは、背後の早苗を放り投、げた男性トトはエジプト神話の古株であるトート神だろうか。


「我々神とそなたら人間の間にある溝は年々深まる一方で、今後の世界に破滅を導くと神々の間で結論が出た。そこで、矢坂早苗、そなたには神々が人間を学ぶ手伝いをしてもらおうと思う。ここ、箱庭にある神々の学園でな」

「私が…何故でしょうか?ギリシャ神話の全知全能の神、そしてエジプト神話の叡智の神がいらっしゃるというのに、ただの人間に何が出来ましょうか」

「我々神よりも同じ人間であるそなたの方が人間に詳しいだろう。生徒となった神々に人間について学ばせ、卒業へ導け。それに既に人間の代表がこの箱庭に一人来ておる。そなたはその手伝いをすべく学校医として勤めろ。神々が人間と愛について学び、全員が卒業出来るまでそなたも元の世界には帰せぬ」


待て、こら。
相手が神でなかったらこのくらい言いたいところではあるが、早苗はぐっとこらえてもう一度気になるところを問うてみた。


「…神々の学園から卒業するまで、というのはどの程度の期間なのでしょうか?私にもと居た場所で仕事があり、果たすべき勤めがあります。」

「安心しろ。もと居た世界に帰す際にはクロノスの力でもといた時間に戻してやる」


こいつ自分の親父のことこき使う気かよ。
と、相手が神でなければ言っているところだ。そもそもオールマイティーになんでもこなせる神ではあるが、トート神を顎で使うとは流石ゼウス。早苗はゼウスってこんな人だったのかと夢の続きを見ているような気持ちでため息をついた。


「承知いたしました。帰れぬというのであれば、ここでの勤めを果たしてさっさと帰るまでです。ただ、私から1つだけお願いがあります」

「聞いてやろう」

「私も神々について学ばせてください。教師の一人となるのであれば、せめて生徒となった神々については把握している方が、仕事の効率もよくなると思います。」

「構わん。そのことについては吾輩よりもトトのほうが適任だろう。教えを請え」

「ゼウス様、ジェフゥティ様、どうぞよろしくお願いいたします。」


もう一度丁寧にお辞儀をすれば頭上からあとのことはトトに従えと声が降ってきて、足音と共にゼウスはどこかへ行ったようだったった。顔をあげると背後からトトがやってきて、慌てて立ち上がると先ほど図書室で見せたようなニヒルな笑顔をみせた。


「貴様、なかなか見どころがあるな」

「勿体無いお言葉です」


トトの古代名を知っていたことを言っているのだろうと、早苗は微笑んでみせた。神話の中ではトキやヒヒの姿で描かれることが多いため、まさかこんな所謂イケメン姿で登場されると実感が沸かないというものだ。このままトトと上手くやっていければ良いのだがと思った矢先、


「だが、私も忙しい。気が向いた時に額を地面にすりつけて請えば、勉強をみてやらんこともない。」

「…善処します」


こいつ相当なクセモノだぞ。と、早苗は内心冷や汗が出る思いでトトに案内されつつ校内を見て回ることになった。

この世界にも一応土日休みがあるらしく、今日はちょうど土曜日にあたる休暇の日で、神々は学校に来ていないそうだ。静かな教室と体育館、図書室や音楽室を見て回り、最後に早苗の拠点になる保健室へと案内された。
保健室のなかは一般的な構造となっており、特に変わった様子はない。ただ、奥の壁に1つ扉があり、その中は早苗の私室として使う許可が降りているらしい。


「私は図書室に居る。何かあれば呼べ」

「ありがとうございます、トト様。」


肩にひっかけただけの上着を翻して去ろうとするトトに、早苗はふとした疑問が湧いてきた。そもそもトト神はエジプト神話の中でも広い範囲、長い時間信仰された神様であり役目も多い。そんな神様がなぜそんな態度なのだろうか。
他の神が妊娠中に「一年360日どの日にも出産してはならない」と言われた時には、月と勝負して時間を司る力を手に入れてきて、一年を365日に変えてあげたくらいの神様だ。こんなに偉そうな態度だが、本当は優しいという属性持ちなのだろうか。


「あの、トト様」

「なんだ。私は忙しい」

「1つだけ質問させてください。トト様がそのような態度でいらっしゃるのは、それが素の姿、だからでしょうか?」

「何?」


たかが人間が何を言っていると思われたのだろうか、眉を顰めて声を低くした彼に、早苗は内心ビクビクと震えながら言葉を続けた。


「すみません。ただ、私たち人間が知るトト様は死者の裁判の書記であり、そして様々な神を助けたとても親切で優しい神でしたので、その…イメージとのギャップに驚いてしまいました。」

「なるほど。貴様、神話に関して基礎知識はあるようだな」


明らかに話は逸らされたが、トトは機嫌良さそうに去っていったのでほっと胸をなでおろして保健室へと戻った。私室の部分へと入り込むと、まずはベッドとタンスの中身を確認した。純洋風の部屋かと思いきや、一部には畳が使われており一応日本人である早苗を気遣ってくれたのだろうか、内部は和モダン風な内装だった。
タンスを開くと保健医の制服と思われる、胸元にエンブレムの入った白衣が出てきた。他にも早苗が元の世界で贔屓にしていたブランドと似通った服がたくさん入っており、特に追加で何かゼウスやトトにリクエストせずとも問題なさそうだった。

部屋の更に奥にはミニキッチンも付いており、ある程度の食事も自分で行えるようになっているらしい。最後に風呂場を覗けば檜風呂で、これには流石に驚いた。
どうしてたかだか人間ごときにこんなことをするのかと気になったが、とりあえずもらえるものは貰っておこうということで、早苗は洋服を眺めて楽しんだ。姿鏡もあるので自分に当ててみるのはとても楽しい。
ふと、鏡に映る自分の姿に違和感を感じてよくよく考えれば、昨夜届いたものと同じ勾玉が胸元にぶら下がっている。つけた覚えはないが、そもそもここに来たことも謎だらけなので考えても仕方ない。


「落としても困るよね…」


そう思い首から外そうと持ち上げると、


バチバチッ


「いった…」


電気のようなものが首から走り、肩こりが酷くて痛みが走ったような感覚に早苗は勾玉のペンダントから手を離した。そして今度は加減して持ち上げてみるが、少し持ち上げただけでも静電気のようにピリピリとする。向きを変えるために回すのは問題ないようだが、それでも不便なものは不便だ。これをつけたまま風呂に入れということになる。

それもまぁ仕方ないかと寛大な心で受け入れる努力をし、早苗は保健室の設備を確認して回ると普段ではありえないが、22時頃には布団へ潜り込んで眠りについた。





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