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【 01:繰り返す時間 】



矢坂早苗と書かれたネームカード兼会社へ出入りするためのICカードを翳して、早苗は帰宅しようとノートパソコンの入ったバックをかけ直した。締め日が近くなると流石に忙しくなり、多少の残業は致し方ないというものだ。もちろん、残業しないで済むに越したことはないが、そうも言ってられないのが社会人。残業代がきちんと出るだけマシだと思うようにしている。
会社からでると曇天からパラリパラリとわずかばかりの雨が降っており、そういえば今日は夜から明日にかけて天気が悪くなると天気予報で言っていたと思い出す。折り畳み傘はデスクにおいてあるが、そこまで取りに戻るのも億劫な量しか降っていない。早苗はえいやと決心すると小走りに駅へと向かうことにした。

中学時代、正直なところ音楽以外に趣味は無く友人関係は最悪と言っても良いくらいで、友達は数人、むしろイジメの対象になる側だった早苗は、高校卒業後に就職すべく地元の実業校へ進学した。そこから自分が予定していた通りに就職をし、社会人になって数年が経つ。他の友人たちを見て大学に行けば良かったと思うこともあるが、こうして自由になるお金があるというのは嬉しい限りだ。
早苗は通りすがった学生を見ながら自分の学生時代を思い出し、電車の中で小さくため息をついた。ひとつだけ叶うなら、学生時代に戻ってやり直したいことがあるのだ。


友達と、充実した学生生活を送ってみたい。


一人でいることの多かった早苗にとって、とても重要な悩みだった。
今でこそスマホを開けば様々なSNSでネット上の友達と話すことも出来るが、それだけが全てではないし、何より青春時代を分かちあった友人というのは他で得ることの出来ない存在だ。
そのような存在にはとても憧れる。憧れるばかりで、成人してしまった今となってはなかなか手に入らない相手だ。


『次は、目白。目白…』


社内アナウンスにハッと意識を現実に戻すと、早苗はまたしばし社内で揺られ、自宅の最寄り駅で人混みにもみくちゃにされながら降車した。
アパートに到着してポストを確認すると、メール便が届いていた。なにか注文をしただろうかと思い自室へ歩きながら封を開けてみると、中から瑪瑙の勾玉が転がり出てきた。手のひらにギリギリ収まるくらいに大きな勾玉だが、不思議と重たいとは感じない。


「買った記憶はないけどなぁ…」


小さく呟いて自室に入ると封筒の裏表を確認してみるが、そういえば差出人の名前は雨でボケたようになっていて読めない。ただ、瑪瑙の勾玉と言われてぱっと思いついたのは三種の神器の1つでもある、八尺瓊勾玉だ。それのレプリカか何かなのだろうか。
早苗は誰のものかも分からないそれをどうすることもできず、一旦封筒の中へ戻すと寝室のキャビネットへと置いて手早くシャワーを浴びると夕飯もすませ、明日に備えてベッドへと潜り込んだ。



 □ □ □



明るいわりに目覚ましが鳴らないな、と、眩しさから早苗は目を覚ました。
体を起こしてみて気がつけば、それなりに柔らかいはずのベッドはなく、何故か人工大理石のような素材の床の上に寝そべっていた。一晩ここで寝たにしては体は痛くないなぁと思いながら、周囲の様子を見回してみる。

ここは市立図書館のワンフロアのような規模の図書室のようで、ところ狭しとカラフルな背表紙の本が並んでいる。早苗はその図書室の真ん中で眠っていたようだった。


「カー、バラバラ!!!!」


突如、背後から小動物に吠えられた。
驚いて振り返るとそこには褐色肌の少年が居り、警戒心をいっぱいに表した顔でこちらを睨みつけている。髪の毛が耳のように一部だけ跳ねているのが可愛らしい。


「あの、すみません。ここはどこでしょ

「カー!!!」


どうやら小動物だと思ったのは少年の声だったようだ。
早苗には全く理解できない言語のような鳴き声のようなことを言う彼に、まだ夢の続きなのだろうかと思い込みたくなってくる。別の世界に来てしまったにしても、早苗には理由が分からない。オズの魔法使いならハリケーンに家が飛ばされるし、不思議の国のアリスなら兎を追い駆ける。そんな変わったことは何もしていない。

早苗は犬のようにこちらを警戒している少年を見て、怯えさせてはいけないと立ち上がれずに困惑した。さて、どうしたものだろうか。
ガラっと、扉の開く音がした。背後で誰かが図書室へと入って来たらしい。


「アヌビス、何をしている。そいつがここに来ることは言ってあっただろう?」

「カ〜……」

「はぁ…おい女、立て。」


少年が背後から飛びかかってきたりしないかと不安ではあったが、呼びかけに振り返って立ち上がると、褐色肌に白髪の男性に向かって、早苗はまず丁寧にお辞儀をした。ずいぶんと偉そうというか、良く言えば威厳ある佇まいの彼に、早苗は恐る恐る口を開いた。


「はじめまして、私は矢坂早苗と申します。あの、ここは一体どこなのですか?」

「黙れ、質問は許可していない。」


一瞬カッチーンと頭の上辺りで鳴った気がしたが、早苗はどうにかそれを顔に出さないようにすると、男性に向かってにこりと微笑んで見せた。喋るなというのだがら、相手からのアクションを待つしか無い。
その意思が通じたのか、男性はフッとニヒルな笑顔を浮かべると、付いて来いと一言告げて図書室の外へと出て行く。早苗も黙ってそれを追いかけた。





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