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カシャン
足元に小さな金属音と共に何かが落ちた。
拾い上げてみると、それはアヌビスが身につけていた装飾品で、確かにそれは無理に外したのではなくて自然と外れたように見える。
「アヌビスさん…これ…!!」
その事実に気づいた早苗がはっと顔をあげると、私服姿だったアヌビスの体がふわっと光り、そして見慣れぬ上半身は裸で白や黒の刺青が施された格好に変わっていった。そして髪の毛の特徴的な跳ねの部分が耳になり、頭に被っている黒い布がふわりと靡いた。
「アヌビスさん……これが、本当の姿…」
「バラバラ!!カー、バラバラ!!(シャナ、トト!戻った、アヌビス元の神の姿に戻ったよ!!)」
冥界を司る死の裁判官であるはずの彼からは、神々しさすら感じるほどだった。始めた見た神という存在に、早苗は全身が何かに打ちひしがれるのを感じた。
「まさか、誰よりも早くアヌビスの枷が外れるとは…」
まだ学園が始まって半年だぞというようなトトの呟きが背後から聞こえる。確かに、理由は知らないが唯一教室に通っていない神であるにもかかわらず、一番に人間と愛について学び終えたということなのだろうか。
まともに結衣と対面することも出来なかったアヌビスの枷がはずれたことに、その場に居た神々も同じように驚きを隠せないようだった。
「アヌアヌ…枷が、枷が外れたのかい?」
「バラバラ。(うん、勝手に外れたんだ。)」
何を言っているのか分からないアポロンに通訳してやると、彼は本当に来るべき時が来れば外れるのだなと感慨深く頷いた。
アヌビスは外れた枷を広いあげると丁寧に両手で包み込み、そして人間の姿に戻ると嬉しそうに微笑んでみせた。今まで見た中で一番の笑顔に、早苗もまたおめでとうございますとほほ笑みを返した。
バーベキューも花火も、それから片付けも全て終えると、早苗は一人で自室へと戻った。アヌビスの枷が外れたことについてトトに色々と聞いてみたい気もしたが、ロキにからかわれたことが妙に気になってできなかったのだ。もう少し自分の気持ちが落ち着いたら、トトに枷について聞いてみようと、早苗はシャワーを浴びるとベッドに飛び込んだ。ふかふかのそれは学園にあるものと遜色なく心地よい眠りを提供してくれた。
翌日目が覚めると、早苗は生徒会が用意したしおりに目を通し、一日の自由時間があることを確認した。希望者はバルドルがヘルメスに頼んで用意した船で、ちょっとした船旅を楽しむこともできるようだ。行ってみたい気もするが、アヌビスを放っておくことも気が引ける。早苗はまだ乾いていない昨日の水着は諦めて、トトが選んだ水着に着替えると与えられた部屋から外へと出てみた。
一般家庭に生まれ育った早苗は夏の旅行なんてものも少ししか経験したことはないが、少なくとも心地よく照りつける太陽光と青い海が素晴らしいものであることは理解出来た。青と緑の水着がより爽やかさを引き立ててくれているような気がする。
早苗は海の家でうきわとビーチパラソル、シート、かき氷にドリンクを貰うと生徒たちが見える場所にパラソルを立ててシートを敷き、今日は一日のんびりしていようと座り込んだ。遠くの方にクルージング用にしては少し大きいのではないかというサイズの船が見え、幾人かの生徒がそこへ向かっているようだ。バルドルが居るということはロキも着いて行くだろうし、生徒会メンバーも行ってしまうだろう。
「一人でのんびりっていうのもアリだなぁ〜」
「そうでしょうか、保護監督の責任がある君は、いつどこに呼び出されるか分かりません」
誰も近くに居ないと思って油断していたら、気づけば背後に月人が居て、水着姿ながらバインダーに挟んだ臨海学校のしおりを真剣に眺めている。いつの間に登場したのか早苗には全く分からず不思議でならなかったが、彼の言うことはもっともなので頷き返した。
「確かに何かあれば私が行かなくてはなりませんが、この箱庭でそうそう危険なことは起こらなければ良いと思っています」
「不測の事態に備えるのが俺たち運営側の役目です。」
「…おっしゃるとおりです……」
そんじょそこらの大人よりもしっかりしている月人に、早苗はふうっとため息をついて返事をした。どうやら一人でのんびりするのではなく、2人でのんびり生徒たちの監督をすることになりそうだ。
せっかく水着なので海に入りたい気持ちもあったが、もとより一人で水遊びなんて寂しいことは出来ない。諦め半分で月人に座るように勧めて、買っておいたドリンクを手渡した。怪訝な顔をされたが、運営側が体調を崩しては意味がないと言うと納得したようで受け取ってくれた。
「ありがとうございます。…人間の体というのは、不便なものですね」
「でしょう?だからこそ、神頼みでより良い生活を送りたいと思うんですよ」
「…自力ではなく、神に頼むのですか?」
納得出来ない様子の月人に、どうすれば上手く伝わるのかを考える。神様と人間の感覚が違うことは百も承知だ。早苗は真面目すぎて頭の硬そうな月人に、どんな言葉を募れば分かってもらえるか考えながら口を開いた。
「例えば、不治の病にかかってしまった時。治せるお医者さんを探すことは自力で頑張れますが、お医者さんに頑張ってもらっても結局治せないかもしれません。そんな時最後に頼めるのは、人間に出来ないことをできる神様です。だから、頼りきりというわけではなく、心の拠り所だと思ってください」
「…その理論でいくと、俺にとっての神は矢坂早苗、君になるようです。」
何を言っているのかと月人の顔を覗き込むと、月人はペットボトルのドリンクを見つめて、くるくると中の液体を回しながら何か考えているようだった。月人からみて早苗が神というのはいまいち分からないが、彼に限ってからかいを言うとも思えない。
「俺たちは生徒会として与えられた任務をこなしていますが、遠足も運動会も、そして今回の臨海学校も。最後に俺たちが頼りに出来るのは君の存在です。」
「教師ですからね」
「それだけではありません。…君の側に居ると、とても暖かい。」
月人が顔をあげ、思っていたよりもずっと近い距離で目があう。月人はそのままふんわりとした雰囲気で口角をあげると、今まで一度も見たことがなかった喜びの感情を浮かべた。
突然の不意打ちに驚いて居ると、彼はまたすっと無表情に戻ってしまい、早苗は寂しいような物足りないような気持ちにさせられた。月人は更に言葉を紡ごうと口を開いて、結局何も言わずに口を閉じる。
「……月人さん?」
「ちょーっとちょっとー!シャナセンセってばその水着、あのセンセが選んだやつでしょォ?」
月人とは反対方向からロキが駆けきて、月人はロキに何か聞かれたくなくて口を閉じたのだろうなと、早苗も触れずにおくことにした。ロキは何故トトの水着は着れてオレの水着が着れないの、と頬を膨らませ、月人の反対側に腰をおろした。
随分と不服なようなので、一日に何着も着れないでしょうと返せば、明日は着てねと言われ苦笑するしかなかった。あの露出度の高い水着を着る気はさらさらない。
「そういえば…ロキさんはバルドルさんのクルージングには着いていかなかったんですか?」
「ん〜?まぁね。たまには別行動もイイかなって」
「珍しいこともるものですね。いつもバルドル・フリングホルニと行動を共にしたがるのに。」
確かに珍しいことだが、早苗は両側に座り心地よさそうに海風に吹かれている2人に、良い傾向だと思った。人間である早苗と関わることに抵抗を示さない。それだけでもロキにしてみれば大きな進歩であるし、先ほどのような表情を見せる月人も大きく成長したと思う。
出来るなら人間を好きになって欲しい。そう思いながら早苗は2人にかき氷を食べようと誘い、皆で頭がキンキン痛む感覚を楽しんだ。
第8話、終。
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