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かくして臨海学校、出発当日。
未だ他のメンバーに慣れていないアヌビスを背中に、早苗は参加者が整列している様子を少し離れて見ていた。一応朝一で図書室へ行ってみたが、トトは相変わらず読書をしていてやってくる様子はなかった。
バルドルが参加するためか、軟式テニス部の生徒を中心にそこそこの数が集まっていて、生徒会長であるアポロンは点呼をとって名前の確認をして忙しそうだ。結衣は楽しそうにアポロンの手伝いをしていて、遠くからみていてもとてもお似合いの2人であると思う。

早苗ももしもう少し若くて同じ教室で机を並べていたら、神々の誰かに恋をしたりしていたのだろうか。親しい存在という意味では同じ教師であるトトだが、生憎とそんな甘ったるい関係になりそうな気配はないし、あの叡智の神に惚れるなんてなんとおこがましいことか。


「バラ?バラバラ?(どうしたの、元気ない?)」

「いえ、大丈夫ですよ。トト様がいらっしゃらないので、どうしてるのかなと」

「バラ!バラバラ、カー(来るよ!トトはシャナの料理好きだから。)」

「やぁっほー、シャナセンセ。暗い顔してどしたのサ」


アヌビスを背にしていることに気づいたのか、整列した列を外れて寄ってきたロキは、早苗の背後に向けてもやぁと手をあげた。アヌビスはロキが怖くないと理解したのか、顔を少しだけ覗かせるとロキの真似をして片手をひょいと上げている。


「トト様がいらっしゃらないので、私一人で引率なんだなと…ちょっと思っているだけです」

「あ〜、先生たち仲良さそうに見えて案外そうでもないの?オレが代わりにシャナセンセの心も体もあっためてあげようか☆」

「バラバラ!(アヌビスも!)」

「お、そっちの彼も乗り気だね?それっ、ハグ〜♪」

「カー!(ぎゅー!)」


後ろからアヌビスに、前からロキに抱きつかれて、早苗はなんだか面白くなって笑ってしまった。神様のはずなのにどうしてこんなにも関わりやすいのだろうか。トトやゼウスのような近寄りがたさはなく、2人とも純粋にこちらを気にかけてくれているのだとよく分かる。
ロキはそのまま早苗の頭をぽんぽんと撫でると、さてと言って体を離した。


「アホロンが困る前に戻ってやらないとね。」

「そうですね。ありがとうございます、ロキさん」

「…アンタ、ほんと鈍くて天然で真面目ちゃんで、見てて面白い。」

「嬉しくありません」

「そりゃーね、褒めてはないしィ!」


また独特な笑い声をあげて戻っていったロキに、早苗はくすくすと笑ってしまった。目ざとく暗い気分になっていることに気づいてやってきて、そして構うだけ構って戻っていく。早苗のことをしっかりと気にかけていてくれるからこそ出来ることだろう。それがとても嬉しかった。
少しばかり、ロキの水着を選ばなかったことが申し訳なくなったが、流石に教師の引率という立場で行く以上は、あんな布切れは着れない。

元気になったことはアヌビスにもちゃんと伝わったようで、団体が動き出すと2人の最後尾から意気揚々とついて行った。途中、前の方から「神の力で飛んでいきたい」だの「エスカレーターを使えば早いんじゃない?」などと聞こえてきたが、その度に結衣の訂正の悲鳴が後を追って聞こえてきたので問題ないだろう。


「ふふふふっふん ふーんふふふん ふふふんっふふふふーん♪」

「アヌビスさん、ごきげんですね」

「バラバラ!(だってこんなに良い天気!それにシャナも一緒だからね!)」

「ありがとうございます」


エジプトの曲なのだろうか、日本のものともまた違う民族調の曲を口ずさみながら、アヌビスはふらふらと蝶々を追いかけ、小鳥を眺め、草花を愛で…。早苗がしょっちゅう声をかけてあげなくてはすぐに置いて行かれてしまい、確かにこれはトトが他人に任せたくなるのも分かるくらい手が掛かる。
世の中のお父さんが育児に参加しない!という母親たちの気持ちもよく分かれば、参加したくないし参加しづらい父親の気持ちも理解できてきて、早苗はうっかり零れそうになるため息を必死に堪えなければならなかった。


しばらく歩くと生徒の団体は海に到着した。歩いてこれる距離に本当にあったのだなと関心して浜辺を見回すと、夏だからか海の家やらコテージやらがあり、観光地のような施設が作られている。ゼウスも妙なところに凝り性なようだ。


「それではこの後、夕食までは自由時間となります。しおりに記載された時間になりましたら、指定の場所、この浜辺に集まってください。荷物は各自の部屋に置いて外出が可能です。それでは、解散」


月人の事務的すぎる連絡事項で、精霊の生徒たちは方々に散っていった。
早苗もアヌビスが持っていたしおりに目を通し、まずは彼の部屋に彼の荷物を置きに行くことにした。部屋の場所を覚えてもらい、もしはぐれて一人になったらここに戻るように言い聞かせる。本当にただの子守だが、トトにアヌビスを任されているし他の生徒と馴染ませるにも時間がかかるかもしれない。となると、これが一番確実な方法だ。
早苗も生徒たちから少し離れた場所にある部屋に荷物を置くと、水着の上にパーカーを羽織ってアヌビスと2人で海に出てみた。


「バラ!カーバラ!!(凄い、凄い!シャナ、水がたくさん!…うぇ、塩辛い…)」


すんすんと匂いを嗅いで、指先で海水を舐めたアヌビスは顔をしかめた。他の生徒達が少ない場所を選んでみたが、アヌビスのはしゃぎようを見ると正解だったようだ。


「海の水は塩味なんです。あまり舐めると喉が痛くなりますから、やめておいたほうが良いですよ」

「バラバラ!(分かった!水は入っても大丈夫?)」

「ええ。それは問題ありませんよ」

「カー!(わーい!)」


バシャバシャと盛大な音をたてて海に入っていくアヌビスは、歳相応以下に楽しげだ。早苗もサンダルを脱いで浅瀬まで入ると、彼に何かあったらすぐに行ける距離で見守ることにした。
海に吹いている風にしては心地よく湿度の低いものが通りぬけ、髪の毛を軽く揺らしていく。爽やかな水色とも黄緑色ともとれるような風に、早苗は目を細めた。たしかこんな季節にピッタリのJ-POPがあったような気がする。

しばしお互いに水をかけあっていると、生徒の点呼や借りている部屋の手続きやらが終ったらしい生徒会のメンバーがやってきた。彼らもまた水着姿で、結衣も恥ずかしそうにしながらも水着を着ている。


「先生!水着姿も素敵、とーっても素敵だよ!」


女性の水着姿というのも見慣れないのか、アポロンは楽しげに駆け寄ってきて早苗の全身をくまなく見て、最後に満足気に頷いた。背後で結衣がちょっと寂しそうな顔をしていることには気づいていないようなので、早苗はからかってあげることにする。


「ありがとうございます、アポロンさん。でもそういう褒め言葉は、本当に好きな子だけにしてくださいね」

「それじゃぁ私は言わせてもらおうかな。矢坂先生、とってもキュートでセクシーで、魅力的だよ」

「ありがとうございます」


バルドルは天然さ故なのか恥ずかしげもなく言い切り、こちらが頬を染める番になってしまった。その様子が嬉しいのか面白いのかクスクスと笑われてしまい、ますます穴があったら入りたくなる。
そのやりとりが気になったのか背後からアヌビスが顔を出して、生徒会メンバーをじーっと見つめ始め、警戒こそしているものの、以前より平気になっているようだ。結衣がこんにちはと声をかけた途端早苗を盾に隠れてしまったが、そのあたりはご愛嬌としてもらおう。






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