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それから臨海学校までの約1週間は、時間の許す限り図書室へと通いつめて遅れがちだった神話に関する勉強と、それから怪我への応急処置を学んだ。トトに臨海学校のことを意識させたかったことと、アヌビスと一緒に居る時間を長くすることで意思の疎通を試みたのだ。結果としては、相変わらずアヌビスの言葉は分からないし、トトは読書に集中していてさっぱりだったが、ともかくアヌビスと仲良くなることには成功した。世の中の男性の心を掴むには、やはり胃袋からだったらしい。
時折お弁当を持って図書室寄ると、匂いのないものにしているにも関わらずアヌビスにはバレバレのようで、いつもご飯をねだられるのだ。2人で図書室の片隅でご飯を食べることは多かったが、トトが交じることはまずなかった。
そんな臨海学校を二日後に控えた日、早苗は日課になったご飯を持って図書室へとやってきた。
「バラバラ!」
「こんにちは、アヌビスさん。今日のご飯はサンドイッチ…ツナと卵とベーコンレタスがありますよ。それからコーンサラダです」
「カー!!!」
サラダがあると言った途端目を輝かせたアヌビスに、エジプトではやはりサラダは食べないのだろうかと不安に思っていると、アヌビスはいつも食事をするテーブルを通りすぎて図書室の奥へ走ってしまう。慌てて追いかけると、窓際の風も太陽光も程よい席に居たトトの隣に座り、早く早くと急かすように机をペシペシと叩いてみせた。
「アヌビスさん?」
「カー、カーバラバラ!!」
「…はやく食べさせろと言っているな」
「それは構わないのですが…一体どうしたんでしょうか」
「はやくしろ」
「はい」
トトまでもよく通る低音で急かしてきたので、早苗は妙にドキドキしながらサンドイッチとサラダ、それからマグカップに入れてきたコーンの冷スープを取り出した。すると何故かテキパキとトトまでもが準備に手を出して来て、そこで早苗はようやく思い出した。
結衣と2人で臨海学校にトトを誘いに来た時、確か彼はとても幸せそうにトウモロコシを食べていなかっただろうか。
「もしかして、トト様はトウモロコシがお好きなので
「私に好き嫌いはない」
「…左様でございますか、失礼いたしました」
絶対嘘だ。
などと言えるわけもなく、早苗は大人しくトトのお皿にツナコーンのサンドイッチとコーンサラダを乗せ、隣にコーンスープを並べた。トウモロコシに別段詳しくない早苗が作った料理で満足してもらえるのかどうか全く分からないが、少なくともアヌビスはいつもの様に美味しそうに食べてくれている。トトも特に文句を言うことはせず、サンドイッチのパンの部分以外をたいらげた。
ほらみろ、やっぱり超偏食じゃないか。
とツッコミを入れたいのは山々だったが、これで機嫌を損ねるのも怖いので、早苗も大人しく自分の分を食べ終えると食器を片付けた。
「また食べてやらないこともない。」
「ありがとうございます。いずれポップコーンにも挑戦しようかと思います。」
ともかく、胃袋を掴んでしまえばトトも臨海学校へ来てくれるだろうと、早苗はほっと一息つくことができた。
「バラバラ!(うん、凄く美味しかった!)」
アヌビスからもお褒めの言葉をいただき、早苗はまんざらでもなく頬を緩めた。やはり女性としては料理を褒められるのは、お世辞だって嬉しいものだ。料理に限らず、自分がしたことを褒めてもらえるというのは幸せなことだし相手との距離が縮まった気がする。
「ありがとうございます、アヌビスさん」
「カー、バラバラ?(臨海学校でも、シャナが料理するの?)」
「えぇ、そのつもりです。……ん?」
「バラ?カーバラ?(ん?シャナ、どうしたの?)」
「ぇ!?」
確かに耳には、いつもの「カー」と「バラ」を使った言葉にしか聞こえていないのだが、アヌビスの言いたいことははっきりと伝わってくる。今までのように、お腹が空いているんだな、遊びたいんだなという漠然としたものではなく、きちんとした喋り言葉で理解出来るのだ。
2人が会話出来ていることに気づいたらしいトトも、少しだけ驚いた顔を見せた。
「ほぅ。貴様、アヌビスの言葉が理解出来るのか」
「はい、確かに私が喋るのと変わらない言葉で理解することが出来ます」
「バラバラ!?(アヌビスの言いたいこと分かるの!?)」
「ちゃんと分かりますよ、アヌビスさんの言いたいこと」
「カー!!バラ、バラバラ!(トト、凄いね!トト以外にも分かる人、居たよ!)」
言葉が通じたことが余程嬉しいのか、アヌビスは早苗の後ろに回りこむとぎゅっと抱きついて体を揺すってくる。小さい子供を相手にしているかのような感覚に、早苗はアヌビスの頭をそっと撫でてあげた。
それはとても暖かくて幸せで、いつか自分に子供が出来ることがあれば、こんな幸せを毎日感じることが出来るのだろうかと、まだ見えない未来に少しだけ思いを馳せた。
第6話、終。
2014/06/09 今昔
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