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尊は兎の姿に戻ったうさまろを抱いている月人を見上げ、いつもと僅かながら違う表情を見せていることに気づいた。
「なぁあにぃ、早苗先生となにかあったのか?」
「矢坂早苗はうさまろを保護していました。俺はそれを引き取ったまでです」
そう言ってうさまろの背中を撫でている月人は、いつもより少しだけ、長い時間を共に過ごしてきた尊だからこそ分かる僅かな変化だが、確かにいつもより楽しそうだったのだ。無表情でミステリアスで格好良い月人が、今は口の端を持ち上げ穏やかな表情でうさまろを撫でている。
イタズラが好きで学園に非協力的だったロキでさえ教室へ通わせてしまった早苗のことだ、先ほどのやりとりだけで月人にも良い影響を与えたとしても不思議はない。なにより尊自身もあの女性からは悪いものを感じず、深い森の中にいる時のような爽やかで澄んだ清らかなものを感じる。
「楽しそうだ、あにぃが」
「俺の心境に大きな変化はありません」
「…そっか」
「ただ…」
本人は気づいていないのかもしれないが、それでも少しだけ、明るい雰囲気をまとっている月人のことが、尊は嫌いではなかった。
「矢坂早苗の側は暖かいように思います。彼女の使い魔たちが懐くのも、よく分かる」
「早苗先生と話してると、なんつーか落ち着くよな」
「はい」
その日の放課後。早苗がいつものようにロキとトールにお茶を振舞っていると、珍しいことに保健室の扉が再度開き、うさまろがぴょこぴょこと入ってきた。うさまろはロキたちを見ると警戒した様子で耳を立てたが、すぐに彼らがウーサーを抱いていることに気づいたのか、そのままピョコリとトールの膝に飛び乗った。
「いらっしゃい、うさまろ。ご主人様はどうしました?」
「俺ならここに居ます。」
うさまろを追いかけるようにして保健室へやってきた月人は、迷うことなくロキたちと同じテーブルにつくと、ロキの手から離れて寄ってくるウーサーを撫でた。
「戸塚兄が保健室に来るなんて珍しいねぇ」
「うさまろが来たがっていたので、俺は付き添いです」
「そんなこと言っちゃって〜、知ってるよぉ?今日たーやんと教室でシャナセンセの話してたの♪」
一体なにを話していたのか気になるところではあるが、早苗は曖昧に微笑むと月人には日本茶と羊羹を振る舞った。購買で先日問い合わせたところ、誰か他の神がまとめて日本食を注文したようで、他にも寿司やら蕎麦やらラーメンやらが揃っているとヘルメスは言っていた。
「確かに矢坂早苗の話をしていましたが、それと俺がここに来る理由に何か接点が?」
「戸塚兄弟も、シャナセンセーのこと気に入ってるんじゃないの?」
からかい口調で言うロキに、月人は真面目に考えこんでしまったようで、羊羹を匙に乗せて口に入れたまま動かなくなった。しばらくすると、月人の様子を見ていた兎たちが小首をかしげ、それに合わせるように月人も首をかしげた。
ロキはその様子をニヤニヤと楽しげに見つめ、気に入ったのか月人の残りの羊羹を勝手に食べて紅茶で流し込む。
「ほぉーら、少なくとも嫌いじゃないんでしょぉ?」
「俺は矢坂早苗が嫌いではないのでしょうか。」
「いや、質問で返されてもっ」
ぼーっとしているタイプには見えないので、恐らく自分の感情に疎いタイプなのだろう。実際にここまで疎い人(神)と接するのは早苗も始めてだが、年下に見えるせいか可愛らしいと思ってしまう。
尊の言うようにミステリアスな雰囲気ではあるが、それもまた思春期特有のアレに見えてくるのだから、歳を重ねるというというのは恐ろしいものだ。もちろん早苗もまだまだ若輩者であるという自覚はあるが。
「矢坂早苗には、うさまろが懐きました。また、彼女の言葉には他人を惹きつけるようなものがあると、戸塚尊は言いました。もしそれが事実であるのなら、俺も戸塚尊やロキ・レーヴァテインたちと同じように、彼女が嫌いではないのでしょう。」
随分と遠回しな言い方に早苗は可愛らしいなと微笑み、月人の更に追加の羊羹を乗せてやった。ありがとうございますとお礼を言って食べ始めた月人が、ひとかけをうさまろに差し出した時、あぁ彼も少し変わったのだろうなと気づいた。
今朝会った時にはうさまろを"式神"として見ていたが、式神としてみているのであれば食事は必要ないはずだ。今朝のあのやりとりで彼が何かしら感じ取って、人間のような心や思考を持ってくれたのなら嬉しい。
「……存外、不器用なんだな」
「トールさんも、人のことは言えないのでは?」
クスクスと笑えばトールもふっと頬を緩め、ロキと月人はまたうさまろとウーサーと因幡の白兎もどきとに囲まれて羊羹の取り合いを始めた。
ほのぼのとしているが賑やかになってきた保健室に、早苗は自然と笑顔になるのを感じた。
第5話、終。
2014/06/05 今昔
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