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早苗は燃えるような砂の上を、暑さで視界がゆらめくのを楽しみながら歩いていた。

熱いはずの足の裏は特に痛くない。制服とは違う、元居た日本で好きだったメーカーの服を着て、その上から透けるような素材の羽織をまとった姿は、妙にしっくりきた。だいぶ歩いているはずなのに汗もかかないし、喉も乾かない。不快指数が高そうな環境なのに、どうしてか居心地が良い。


「〜♪」


気に入っていた曲を思い出しながら口ずさみ、ふと前方を見る。
石造りの神殿のような建物がにょっきりと建っていた。門の奥には噴水のようなものも見えるし、涼しそうだ。早苗はまっすぐそこへ向かった。






【07:熱砂の宮殿】





砂漠のど真ん中(だと思われる)のに、その場所には噴水から止めどなく水が溢れ、石造りの水路がほうぼうへ走っている。まさにオアシスと言うべきそこには、神話かファンタジーに登場しそうな宮殿が建っている。アラジンのお話のイメージが近いだろうか。早苗は昔読んだ千夜一夜物語を思い出していた。
水路には様々な花が咲き、ヒヒやトリの石像も置かれている。宮殿の前庭のような作りになっているらしい。見渡しても人は居ない。居ないけれど、一人で居るだけでもとても落ち着くのだ。


「綺麗なところ」

「これを気に入るとは、貴様もなかなかの目利なようだ」


声に振り返れば、何度も繰り返した箱庭で見た、トトの姿があった。
背中には大きな翼、ゆったりとした装束に、黄金色に輝いて見える瞳。間違いなく、神の姿をしたトトだ。


「トト様。ここは…ヒヒの石像……トト様がいらっしゃるということは、あの鳥はトキですか?」

「いかにも。ここは私の神域と呼べるだろう。貴様が入り込んだことで、少し趣を変えているようだが…まあ良い。」

「ここが神域ということは………ずっとここに居ることもできますか?」


少しだけ不安が顔に出ていたのだろう、トトが眉を寄せた。


「何故だ。もとの世界へ帰りたいとは思わないのか?」

「帰ったところで、わたしはまた繰り返すことになるでしょう。だったらもうずっと、こうしてトト様のお側に居られれば。少しだけそう願ってしまいます」

「少し、か。」

「はい、少しです」

「早苗、貴様の願いは何だ」

「トト様の幸せ。そして願うならばその幸せの側に、わたしが居ることです」


早苗はいつもの問答をはじめたトトへ歩み寄った。箱庭で見るよりも一層、神々しく近寄りがたい雰囲気を醸し出しているけれど、早苗の知識が確かならトトは足が丈夫ではない。現に、建物の入り口にある石段に腰掛けたまま動こうとしない。
トトの足については諸説あるが、箱庭で神化した姿を見た時には大抵佇んでいて歩いていないことを考えても、恐らく歩くことを避けていると考えるべきだと早苗は結論づけた。
近寄ると、早苗が色々と考えてよってきたことが分かっているのか、トトの大きな手が早苗の頭にポンと載せられた。


「世界線、運命線、時間軸。様々な言葉で貴様が渡ってきた箱庭の世界について示すことが出来る。」

「はい。わたしは…何回も、トト様とついでに人間の暮らす世界を守ろうと繰り返しました。もう、数えきれないほどの崩壊を見守った」

「大きく運命を変える方法は、確かに存在している」


トトの言葉に早苗はばっと顔をあげた。もし、本当にそれが可能ならば、今度こそトトを救う未来へたどり着けるかもしれない。


「時間を手繰り渡り歩いたことで時空が切り替わる起因を集めた貴様は、もはや特異点と呼べるものへ昇華している。」

「特異点…?」

「そうだ、歴史や時代、運命を大きく動かす者や出来事のことだ。例えるならば、ジャンヌ・ダルク、マリー・アントワネット、徳川慶喜など歴史を動かした者たちもまた特異点と呼べる」

「ならば、わたしがなにかすれば、運命を変えられるのですね」


敏いな、と呟いたトトは頭を撫でていた手をするりと早苗の頬へ寄せた。優しく、そして愛しげに撫でられるその手に、そっと頬を寄せる。親指が唇をなぞっていった。


「そして特異点へ昇華する要素であるこの私。二人分の、今まで繰り返した全ての記憶を対価に支払う覚悟はあるか?」


今まで。
何度も何度も、繰り返して、愛してきた記憶。それはもはや早苗が人間として生きていた時間の何倍にもなる。生きる理由と言っても差し支えない。
それを、差し出す。

もしかしたらトト以外を好きになってしまうかもしれない。
トトが、他の誰かを好きになってしまうかもしれない。

そのリスクを超えることが出来るか?
トトはそう尋ねているのだろう。


「今までの時間は…記憶ではなくもはや魂に刻まれています。繰り返してもわたしは、トト様に恋をする。」

「……そうか」

「ですから、わたしの記憶を対価に、差し出します」

「私も、この想いが決して汚れることなく、褪せることはないと誓おう。」


立ち上がったトトの手が早苗の額へ移動した。
そして見慣れた光が二人の間から吹き出し、その勢いに二人の髪や服が大きくはばたく。暖かいと同時に恐ろしくも感じるその光が、終焉を迎えオグドアドを目覚めさせるための光なのだろうと思う。


「トト様。」

「なんだ」

「お慕いしております」

「ふん、貴様と私の愛が釣り合うと思うのか?早苗、例え世界が幾度の終焉を迎えようと、貴様は私を見つけ出す運命にある。私がそう定めよう」

「っはい」


全ては、再び光に包まれた。







2018/08/27 今昔
トト様の能力について神あそのラストだと世界を壊すことが出来る能力のように描かれていた気がしますが、「世界が終焉を迎えた時、また新しい世界を生み出すために創造神(オグドアド)を目覚めさせる」との記述もあるのだとか。
ただし、信仰された場所によってはトト様ご自身が創造神とされる場合もあるため、神あそはこちらの方を選んでいるのかもしれません。オグドアドの記述、神あそで見た記憶が無い…気がするので。




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