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十二回目は結局、崩壊ではなくクロノスによるタイムリープが起きた。
それを知っているのはトトだけであるし、そもそも崩壊を避け、確実なタイムリープを行おうとしたのはトトだ。

トトはいつものように図書室で本をめくりながらため息をついた。


「トト様、これがトト様の分の正装になります!」

「くだらん。私は行かないと何度も言っているはずだが、貴様の稀有なミドリムシ並の脳みそでは理解できていなかったようだ」

「何をおっしゃいます!アヌビスも行くって言ってますし、焼きトウモロコシのお店も出るんですよ?」

「そもそも、何故収穫祭でのダンスパーティに正装が必要なのだ」

「ディオニュソスさんが主導でやってきた箱庭菜園、皆さんのちからが注がれたこともあってかすっごくたくさん野菜や果物が取れたんです!だから万国の収穫祭をあつめてやっちゃおうってなったんですから、踊る国もあったってことで、許してくださいな」


トトの背後で楽しげに男性用のドレスローブを手にする早苗は、満面の笑みでこちらへその衣装を見せつけている。
そんな彼女も花の刺繍が施されたブラウス、黒と緑のベースに草花が彩られたワンピース、編み上げのミドル丈ブーツ。清楚で可愛らしいドレスワンピースはスイスの民族衣装にも見える。そして己を意識してくれたのだろうか、エジプト十字と羽根をモチーフにした髪飾りもつけているようだ。

早苗は今回に限っては、時間遡行のことを覚えていない。しかし、ふんわりと暖かな好意を向けられているのが分かる。こちらもそれなりに、もちろん、生徒と教師という立場をわきまえた範囲で優しくしているつもりではある。がしかし、七月になった今もまだ恋人という関係にはなっていなかった。

早苗の数えていたリピート数が正しければ、今は十三回目の箱庭生活。
前回の最後、早苗の魂を喰らうことで記憶を見たせいなのか、トトは前回の記憶も、それ以前の記憶も持ち合わせて時間遡行をしてしまったようだった。新年度に事情は全てゼウスへ伝え、自分は思ったように動くので手出しはするなと伝えてある。
しかしながら今回は、早苗の方が何も覚えていないのだ。神々の枷を外すために奔走している彼女は大変好ましい。しかしどこか寂しさも同時に覚えてしまう。

なるほど、これが恋だの愛だのという感情か、と。トトは納得せざるを得なかった。






【05:私の最愛の人】





最愛の人、と言っても過言ではないほどの関係だった一回目から、すでに十年以上の月日が流れている。神々からすればそれは些末な時間とも言えるが、人間である早苗からすれば恐ろしく長い時間であっただろう。
トトは楽しげに出店を回る早苗を見ながら思った。こんなに短い時間であっても「最愛の人が自分のことを覚えていない」というのはとても辛いことなのに、早苗はそれを何年も、何回も繰り返していたのだ。


「トト様!ほら!結衣たちのお店も顔を出しておきましょう!」

「……視察ということにしておいてやる」

「やった!ありがとうございます、行きましょ」


校庭に立ち並ぶ屋台はほとんどが精霊の生徒たちが作ったものだが、時折神々のものも混じっている。商売上手なヘルメスは数店舗を並べて営業しているようだ。更に奥のほうには最後のキャンプファイヤーにも使うらしいヤグラが建っている。

早苗に言われて着た正装は、こちらもスイスの伝統的なもので、白のシャツ、金色のボタンと刺繍の赤ベスト、赤い縁取り刺繍がされたジャケットだ。ハーフパンツでないところは、流石に早苗が考慮したらしい。


「あれ!カドゥケウス先生も来てくれたんだ!」


花冠の屋台をしているバルドルに呼び止められ、早苗とトトは足を止めた。


「貴様は…その衣装は草薙の指示か……」

「結衣さんが選んでくれたんだから、着ないわけにはいかないよ!」


シャツにループタイ、そしてサスペンダーとハーフパンツ。確かにスイスの伝統的な民族衣装のひとつではあるが。トトは改めて早苗が選んだ衣装に感謝した。


「そうだ、早苗さんとカドゥケウス先生もどうぞ。」


バルドルに差し出されたガーベラなどをベースにした花冠を、そっと早苗の頭に乗せる。


「愛らしいな」

「えっ?」


らしくなく、口をついて出た言葉に、トトは思わず口元を手で抑えた。最初の一回は恋人同士で失敗しているのだ。もしかしたら恋人になることも失敗の要因なのかもしれないのに、うかつだったように思う。


「うん、早苗さん、とっても素敵だよ。私も一緒にデートしたかったなあ」

「ありがとうございます、お二人とも。バルドルさんごめんなさい、わたし、今日はトト様と一緒に居たいので」

「ふふっ、分かっているよ。楽しんで来てね」

「はい、バルドルさんも!」


行きましょう、と引かれた腕は自然に絡められた。
まるで、記憶に蘇った一回目の頃のようだ。

エスコートするのもされるのも、それが自然であり、当たり前のことであるように感じられる。早苗も違和感が無いのか、神々が関わる全ての店を回って、買い込んだものを休憩室に使われている二階の教室へ持ち込むまで、一度も腕はほどかれなかった。

休憩室には他の生徒は居らず、広々とカフェのようなテーブルと椅子のセットが並ぶのみだった。長方形のテーブルとその左右に三人腰掛けられそうな長椅子のセットが六つ、広々とスペースを使っている。観賞植物も置かれているのは、恐らく早苗か結衣の指示だろう。
窓際のテーブルへ買ったものを置いて、早苗は室内にあった備え付けのドリンクコーナーから二人分の飲み物を用意してくれた。
トトは早苗がこちらを見ていないのを確認すると、二箇所ある教室の扉を施錠した。


「この後、花火があがるんです。人気スポットは屋上らしいので、ここから静に見ませんか」

「ああ。」


トトは早苗に答えると、その反対側に座ることなく早苗の隣へ腰掛けた。


「トト様…?」


頬を染め、戸惑ったように言う早苗の両肩を引き寄せると、何の抵抗もなく彼女はトトの胸元へと倒れ込んだ。少しは抵抗しろ馬鹿者、と言いたいところだが、これは恐らく相手が自分であるからで。他の男神であればまず隣に座らせることはないだろう。

まだ戸惑ったような彼女の顎をとらえ、親指で頬を撫でる。


「貴様は、今回は何も覚えていないらしい」

「今回…ですか?」

「これは十三回目の箱庭生活だ。貴様は学年末、神々が卒業できなかった時、世界を壊す決定がくだされた時、時間遡行をして何度もこの一年をやりなおしていたらしい」


なにかを問おうとした早苗の口を、キスで塞ぐ。驚いた早苗の手が胸元へ当てられたが、押し返されることはなくキスは受け入れられる。それがどれほど嬉しいことか、きっと今回の早苗は分かっていない。


「前回の最後、この箱庭をもう一度と願ったのは私だった。貴様が起点とならなかったためか、覚えてはいないようだ」

「あの…トト様、わたしはトト様にとってどのような…人間だったのですか?」

「私の、」


言うことは躊躇われる。
けれど絡まった腕が、胸が触れていることなど気づいていない早苗の様子が、楽しげに上気した頬が、今トトを見上げる潤んだ瞳が。全てが原因だ。


「最愛の人間だ」

「っ!?……トト様の…最愛?わ、わたしが…!?」


驚いたような、嬉しいような、そんな顔の早苗にもう一度口づける。深く、どちらの体液なのかわからないほど濃密に。
息の上がった早苗が、トトの衣装をぎゅっと掴む。そんなちょっとした動作にも煽られるようにして、キスはより深くなる。


『只今より、収穫祭のイベント、花火大会を開始いたします』


ああ、このまま抱いて、自分のものにしてしまえたら。
そんなことを思った瞬間だった。


シュン


白い閃光が、窓ガラスを割って校庭から教室へ走った。
見覚えのある光だ。二回目の時にも見た、バルドルの光だ。


『皆様、物陰へ避難してくだ……


そこで途絶えた放送に、精霊たちの悲鳴がどっと湧いた。


「まさか…今まで順調だったというのに…何故」

「トト様…」


ぎゅっと抱きしめた早苗は怯えて身を縮こまらせている。見ているこちらまでもが苦しくなるような様相だ。
同じように位の高い神であり世界を壊す能力を持っているトトであっても、バルドルのこの光には手出しができない。ただ最後の時を穏やかに迎えられるよう、早苗をきつく抱きしめるのみだ。


「トト様…あそこ、結衣とアポロンさんが」

「何?」


見れば、アポロンに抱きしめられた結衣が必死にバルドルへ叫んでいるようだった。


「バルドルさん、ずっと結衣のことが好きだったみたいで、でも結衣はアポロンさんと両思いで……ロキからわたしがこのことを聞いていたので、二人にも隠すように言ってあったんです。」

「失恋のショックか」

「恐らくは」


必死に結衣を守ろうとするアポロンに、トトは何故だか自分が重なって見えた。


世界の終わりまで、あと少しだ。











2018/08/15 今昔





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