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黒い爪の指先が、早苗の頬をなでおろす。そして顎を捉えるとクイッと持ち上げられて、唇同士が触れ合った。


「私、人間なのに良いんですか?」

「シャナ。アンタが人間だったとしても、オレはアンタが欲しい。」

「嬉しいです」


そういって絡み合った舌を堪能するロキの首に、早苗もまた強請るように腕を回した。
制服はすでにリボンがほどかれ、下着が見えるほどにブラウスもはだけている。キスをしながらシャツの中に手が入ってきて、器用にホックを外された。器用な神様だ。早苗はそんなことを思いながら、十二回目にしてはじめてロキと体を重ねた。
ロキも早苗もお互いにお互いが本気で惚れているわけではない、としっかり把握している。けれどお遊びという程の軽い気持ちなわけでもない。ただ、お互いに帰る場所があるから一線を設けて、離れがたくならないよう気をつけているのだ。


その日の夜、図書館へ向かうトトを見かけて泣きそうになった。
なんでこんなことをしているのだろう。大好きな彼を救う努力もせず、ただ何回も繰り返してきた寂しさを埋めるためだけに、体を売り飛ばすような真似を。


それからしばらくして、早苗は月人を自室へ招いていた。


「早苗…、可愛い」


満月の光がよく差し込む自室で、早苗は月人に抱きしめられていた。月人は早苗の髪の毛へ香りを楽しむように口づけ、時折目元にもその唇を寄せる。そして愛おしさだけを込めた視線でこちらをとらえて離さない。
そんな月人の顔を両手で包むと、早苗は柔らかいキスを贈った。

神々は人間が嫌いであったり興味がなかったり、そんな理由で送り込まれてきているはずの箱庭。けれど早苗が声をかえてきちんと関わりを持とうとすれば、誰もがこうして心を開いてくれた。流石に回数を重ねているだけあって、誰がどんなことを思っていて、何を言われたいのか何をされたいのか、把握しはじめている。
それを利用して全員が無事に卒業できるように頑張ってきたのだ。前回の十一回目までは。

けれど何をしても、トトの隣に居ることを諦めてまで卒業への道のりを尽力しても、これっぽっちも成功しないのだ。毎回毎回、世界は崩壊を迎えるか、卒業できない神が居たことでクロノスにより強制的にタイムリープしてしまう。不思議なことに、クロノスのタイムリープが使われた場合でも、なぜか早苗以外はタイムリープのことを把握していなかった。もうこの箱庭は何かが狂っているのかもしれない。


「月人さんと陽さんのことが解決してよかったです。」

「早苗のおかげです。君が居るから、頑張ることができた。話をすることができた」


月人は早苗の唇を食むようにしてから続けた。吐息が唇に感じられるほど、顔が近い。


「俺も、誰かを愛することができると、知ることができた。」

「……でもいずれ、私たちは別のところへ帰ることになってしまう」

「それでも…それまでは、君の心がどこにあっても構わない。俺は早苗を好きで居ても良いですか?」


優しく撫でられた頭に、何かが足りない気持ちになる。トトはもっと、心をかっさらっていくような、優しいけれど違うなで方をしてくれた。
まあ、それでも。


「嬉しいです…月人さん」


この寂しさを埋めるためなら、なんだって良いや。
心の中で呟いて、ロキにも暴かれた体を月人に晒した。






ロキと月人、そしてその後すぐにバルドルも、籠絡するのに時間はかからなかった。三人は早苗に心酔するように侍っていたし、それに気づいたディオニュソスはそれを面白がるように早苗の側へ来た。
けれど周りに居る神が増えれば増えるだけ、何をしていても満たされない気持ちが増えていく。誰と居れば安心できるのだろう。
わかりきったことを考えていたある日、早苗と結衣は学園長室へと呼ばれた。
今回は結衣とはそこまで仲良くない。なんと言っても、結衣が惚れていたらしいバルドルを横から頂いたのだから。


「世界の崩壊が決定した」


学園長室へ入ると同時に、大人の姿をしたゼウスが口を開いた。早苗の予想通りの結果だ。こんなふしだらな生活を送っていて、卒業なんてできるはずがないし、神々と人々の関係性が良くなるわけもない。
今回の結衣という存在から見たら、たった一回しかないチャンスになんてことを、と思われてしまうだろう。けれどすでに早苗から見れば、何度も繰り返したうんざりする一年なのだ。申し訳ない気持ちもあるが、結衣ほど本気になることは難しい。


「早苗…!」

「なあに?」

「あなたが、もっと真面目にやってれば!!」

「わたしは至って真面目だよ?」

「馬鹿なこと言わないで!」


胸ぐらを掴まれる。結衣をここまで怒らせたのは、十二回目にしてはじめてのことだ。


「なんで、あんなことしてたの?」

「あんなことって?わたしは皆さんのメンタルを持ち直すお手伝いしてただけでしょ」

「それがどうして、か……から…っ!じゃあどうして、トト様のこと見る度にあんな辛そうな顔して、夜の中庭でこっそり泣いてたの!?」


見られていたのだろう。あのロキへはじめて体を任せた日のことを。
結衣の発言を聞いたトトが、視界のすみっこで目を見開いた。今回、怒りと呆れ以外の感情をまともに見たのははじめてだ。


「早苗はずっと、なんでか最初から、トト様のことを目で追ってた!好きなんだと思ってた!なのにどうして…どうして他の皆さんのこと……」

「……っふ、あっは母は母は!!!わかんないよぉ!!わたしにだって!!」


笑いがこみ上げて止まらない。


「知らないよ!なんで、どうして、わたしだけが毎回記憶を持ったまま箱庭での一年を繰り返してるの!?結衣は知らないかもしれないけど、わたしは箱庭での生活は、今まで十一回失敗してきた!」

「なに…それ……十一回?」


困惑している結衣に、更に笑いがこみ上げる。


「真面目に頑張っても、何回も世界は壊された!何回もわたしは死んだ!何回も…何回もトト様を救おうとした…でも今まで!誰も幸せになれなかった!だから今回はわたしを愛してくれる誰かを探そうって…あはははは!そう思っちゃうよね!!」


だって、どんなに頑張ってもトトが側に居させてくれないこともあった。どんなに繰り返してもトトを幸せにすることが、できない。だったら繰り返す必要なんてない。
でも、ほんの少しだけ残っている良心が、トトを幸せにしたいと。あわよくば、その隣に居たいと、願ってしまうから繰り返すのだ。


「トトよ、時間遡行の痕跡はあるのか?」

「いや、そのような事象は確認されていないが…奴の発言が本当でなければ理解できないことも、この一年で多かった。発言の的確さを考えれば、矢坂早苗が十二回目であることは信用に値する」

「愛ゆえに巡り、愛ゆえに狂うか…哀れな人の子よ」


笑いと涙が収まらない早苗に、トトが近づいてきた。こみ上げてくるような笑いは止まらないが、トトの視界に自分が映っているであろうことに歓喜する気持ちも湧き上がる。


「ふっふふ……トト様…?」

「早苗…」






【04:泣きたいのは誰か】





トトは早苗の手をとって引き寄せると、笑いを抑えるようにキスをした。深い口づけに見ているこちらの頬が染まる。そう思った次の瞬間には、喉笛に噛み付いていた。血がしたたる。


「トト様…大好きです」


結衣は目の前の光景に悲鳴をあげそうになった。あげたかったけれど、驚愕で声にもならなかった。ヒュウっと空気が漏れる音をたてて動かなくなった早苗を抱きしめ、トトは思案するように動きを止めている。

早苗が先程言っていた十二回目という言葉が本当だとしたら、あんな行動に出てしまうほど辛くなったのだろうか。結衣には想像することしかできないが、何度も世界や人間の終わりを見せられ、自分も死んできた。気が狂うのも理解できるような気がする。


「と……トト様、早苗は」

「少し待ってやれ。最高位の神とはいえども、人間の魂を喰らったのだ…まして、恐らくは恋人同士だった者なのだろうから」

「魂を…食べた!?」


トトは口元の血を拭うと、動かない早苗に1つキスをした。その行動はとても優しいもので、結衣は血がなければ素敵なドラマと錯覚しそうになっっただろう。


「早苗…矢坂早苗は、八尺瓊勾玉に選ばれた人間で、最初の時に私の恋人だった。神の世界へ連れ帰り、人間の世界はやり直すが早苗だけを生かそうとした時、何を考えたのか私のちからで消えた。」

「自らの意思で、トトになにかを伝えようとしたのか」

「そこから今まで…何度も箱庭の世界を繰り返し送ってきたようだ」


ぶわり。
風が吹いたかと思うと、教師としての姿のトトは消えていた。美しく大きな翼と、ゆったりとした神々しい装束。結衣がはじめて見る、トトの神としての本来の姿だった。エジプトの月神であると納得する姿と威圧だった。


「ゼウス。私も繰り返そう。人の子が一人で背負うには重すぎる、特異点の責務を共にする」

「ははっ、トトの心をも動かすような記憶であったか。良いだろう、我ら神にも図りし得ぬ、幸せな未来を探してくれ」


結衣が”はじめて”見る世界を壊す能力は、強烈な光だったけれど、どこか美しいと思わされた。








2018/08/10 今昔
ここで藤田麻衣子さんの秋風鈴を聞いていただけると、より雰囲気が出るかと




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