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「トト様は、前世だとかそういったものは信用されますか?もちろん、人間ではなく神々に対してです」


トトの書類整理を手伝いながら、早苗は訪ねてみた。
今回は七回目。いい加減心が折れそうだった。だから本当は直接的に「実はわたし、七回目なんです」と伝えてしまいたかったけれど、「貴様の頭には空想と妄想しかつまっていないのか?」とあざ笑うトトが容易に想像できる。ので、ぐっとこらえて出てきた質問がこれだった。トトと仲良くなる前であれば鼻で笑って一蹴されそうな質問だけれど、こうして休日まで一緒に居てくれるなら答えてくれるだろうか。

今回は恋人ではないものの、一回目に恋人となった時と同じような流れできている。頭を撫でられたり、顎を捉えて視線を合わされたり、そういったスキンシップが多い。アヌビスが高い場所から落とした本から助けるため、腰を引き寄せられたりだとか。そういったことだ。
トトの中で早苗の優先順位が高いことに、ついつい頬が緩む。このまま行けば、これでハッピーエンドを迎えられるような気がしているくらいには。


「……貴様も知っているだろう。エジプトでは同じ体に魂が返ってくる。日本で言うような六道輪廻の生まれ変わりとは別物だ。神々で生まれ変わるというのならば、北欧神話のラグナロクがそれに近いだろうな」

「北欧以外に神々が生まれ変わるだなんてものは、少ないですよね。精々フェニックスのようなパターンでしょうか。あ、でもこれも神様ではなくって悪魔でしたっけ……」

「ほう、相変わらず神話説話民話に関してだけは勉強熱心なようだ。その少ない学習意欲を少しでも算術や物理に向ければ良いものを」

「興味が無いものを勉強するのは苦痛なんです、人間にとっては。職務なら別問題ですけれど、それでも興味の有無に関わらずというのは尊敬します」


暗にトトを褒めたつもりでちらっと視線を向ければ、満足げに口角があがった横顔が見えた。どうやら早苗の回答はお気に召したらしい。


「輪廻転生とは何のために起こる」

「私は魂が年をとることだと思います。体の年齢に似つかわしくないほど大人びた人は、きっと魂の年齢を重ねているのだと。」

「そこに意味があるのか?」

「いいえ、その意味を探すため、私や神々はここに居るのでしょう。」


しかし、分かったことがある。
分かってしまったことがある。
分かりたかったようで、その実、知らない方が良かったことがある。
トトは早苗がこの箱庭での生活をループし続けているという事実に、気づいていない。恐らくは結衣などと比べてちょっと出来た小娘だ、程度にしか思っていない。叡智の神であっても、自分の預かり知らぬところでタイムリープしている人間の存在には気づけ無いのだろうか。
いやそもそも、自分たち神々の知らないところで時間が巻き戻っている、はたまた別の世界、別の時間軸へと移っていく人間が居ることなど、想像もしていないのかもしれない。





【03:あなたの声が心揺らすから】





早苗は今日もまたトトの仕事を一部手伝うために、放課後になるやいなや図書室へと足を運んでいた。
お手伝いの内容は多岐にわたり、宿題の回収といった学級委員のようなものから、神々の基本的な情報から今までの行動や心情を記したカルテのようなものをまとめる作業、そして結衣と早苗が行ってきたことのまとめ。更にはトトとアヌビス、早苗の分の食事の調達だ。
もともと社会人だった早苗としては、仕事とプライベートが一緒になったようで忙しなくも感じられたけれど、二ヶ月もすれば慣れるものだ。


「バラバラ(お腹空いた…」

「ああ、もうそんな時間ですか。トト様、夕飯の支度をしてきます」


早苗は一応トトに声をかけると、いつもの通り集中しすぎている彼からは返事がない。もとから返事を期待しての行動ではなかったので、自分が作っていた資料が汚れないように簡単にまとめた。通学用バッグに入れていたエプロンを片手に、図書室の隣へ増設されたキッチン部分へと移動する。
このキッチンは、一回目とこの七回目でしか増設されていない。つまりは今回もトトとかなり接する時間が長いということだ。

早苗は食料庫を確認すると、ツナ缶とトウモロコシを取り出した。今夜はパンとスープに、サラダ、ツナコーンのハッシュドポテトを作ろう。コンソメもあるし。と誰に聞かせるでもなく言いながら作業に取り掛かった。

ハッシュドポテトを焼いていると、キッチンのドアが開いた。アヌビスがお腹を空かせて見に来たのかとも思ったが、顔をあげると予想外にトトが立っていた。


「トト様…すみません、お待たせしてしまいました。もうすぐ焼き上がりますので、あと少しお待ち下さい」

「構わん」


メニューにトウモロコシが使われていることを確認するかのように視線を走らせたトトは、そのまま早苗の背後に立った。それだけならば早苗も驚かない。しかしあろうことか、予想できようものか、トトの顔が自分の顔の横へ来たかと思うと、体に両腕が回る。


「トト様…?」


今は恋人でも何でもなく、ただの協力関係であるはずなのに。どうして。
まさか記憶が?

など、様々なことが頭を巡っては消えていく。確かに、頭をぽんと撫でられるようなスキンシップは多かったが、ここまで体が触れるのは一回目以来だ。


「あの、トト様、お料理しづらいのですが」

「貴様は一体何を考えている」

「一体なんのことでしょう」

「今年の夏に、バルドルの暴走を予見してみせた。草薙結衣やロキへのアドバイスは、とても人間とは思えぬ的確さだった。まるで未来が見えているかのような。何やら己が好いていた人間と通ずるものでも感じたのか、アポロンが相談をしてきた」


あだ名ではなく、神の名前を読んだことで真面目な話だと察することはできるが、早苗は何も答えることが出来なかった。
過去六回分の記憶で、これが来たら次には何が起こるのか。ある程度予測して動くことができるだけだ。


「嫌な…予感がしたので、最低の場合を想定して動いたまでです」

「ならば…何故、私やアヌビスの好物、授業の内容まで把握している。貴様の通っていたような学校では習う内容ではないはずだ。そして予習をしているような素振りも時間もない」


それはもちろん、前回までで学んでいるからだ。多少内容は違えど、トトの考えるカリキュラムは毎回よく似ている。テストの内容もだ。


「………私は」

「貴様は、何を隠している」


トトの手がコンロの火を消した。答えるまで開放する気もないし、すぐに終わる話でもないと思っているのだろう。
しかしここまで感づかれているということは、早苗の行動になにか神々を救う手立てがあると感じているのかもしれない。トトは奔放にも見える態度で他の神々や結衣に接するが、本当は心優しい神だ。でなければ、時の神様になどなる必要はなかったのだから。


「私、は」


だから好きになった。叩きのめすような、突き放すような言い方をするくせに、最後はきっちり救ってくれた。側に居ることを許してくれた。料理が美味いと言ってくれた。
だから、彼にも自分を。ひいては人間を好きになってほしくて、あの光に飛び込んだ。
今になって、涙がこぼれそうだ。


「トト様を、愛していました。いえ、今でもお慕いしています」


ぎゅっと、トトの腕が強まった。


「私は今まで、一回だけトト様の恋人になり、その後五回、トト様に恋をする生徒として過ごしてきました」

「時間遡行しているのか…」


小さく息を呑んだトトは、早苗の発言だけで察してくれたようだった。
更にきつくなった腕の拘束は、苦しいどころか嬉しいはずなのに、けれどやはり嬉しくて切なくて、とんでもなく、苦しい。


「最初の時、世界をリセットすることになったトト様はご自身の神としての能力を行使されました。私だけは助けようと言ってくださったのを断り、人間が浅ましくない、トト様が愛するに値するものだとお伝えしたくて、自らの身を投げました」

「貴様は……っ、本当に…賢い馬鹿だ」

「私が消える最後に聞いたのは、トト様からの『馬鹿者!』と、私の名前でした。」

「何故、今も繰り返している」

「あなたを、幸せにするために。…っ、でも!毎回毎回…神々は人間を捨て、世界をやり直す決断をしてしまう!」


涙がこぼれた。
筆舌に尽くしがたい、形容しがたい感情が全て込められた涙だ。


「次こそは…いつもそう思って春を迎えるんです。重たいと言われても仕方のないことだと思います」

「誰がそんなことを言った」


トトの指が頬の涙を拭い、両肩を掴んで向かい合わせになるよう回された。いつもの真面目なんだか仏頂面なんだか分からない無表情ではなく、目元に確かな優しさが見える。


「違和感の正体は貴様か。礼を言おう。その愚直なまでの素直さは、嫌いではない。早苗。」

「トト様…今度は……今回は、どうなるんでしょう」

「……」


言いにくそうな顔は一切せず、トトは淀むことなく言い切ってから、早苗の唇を己のそれで塞いだ。


「今朝の会議で、世界の再構築が決定した」


涙の味がするキスの最中、早苗は見開いた目をゆっくり閉じた。触れるだけだったそれが徐々に深くなり、頭の中がとろけてしまいそうだ。

五年半ぶりくらいにトトから贈られたキスは、絶望の味がした。










2018/08/08 今昔




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