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これは、二回目の記憶。
昨年。否、前回である一回目の箱庭生活とはなにかを変えるため。早苗は今年の夏は夏祭りを行った。去年は結衣主導で夏の合宿を行ったが、それではバッドエンドを迎えてしまったのだ。だから、今回はいろいろと違うことをしてみよう。もしかしたら、運命が変わるかもしれないのだから。
早苗はそう決意していた。
黒に近い群青の着物を着て、暗い赤色の帯、草履の鼻緒も帯と同じ色。軽く上げた髪の毛には、トトをイメージして自作してみた羽飾り。ヘルメスに頼んで用意してもらった打ち上げ花火は、神々にも精霊の生徒たちにも好評だ。
何度も上がっては消えていく花火は、なんだか親近感が湧く。今度こそ成功すれば良いが、もしかしたら、何度かやり直すことになるのでは。そんな不安から、ため息が溢れる。
「ため息とは、らしくもない」
背後からの低い声に、早苗はぱっと顔を上げた。
「トト様!よかった、浴衣、着てくださったんですね。嬉しいです」
「…ふん、行かねばゼウスがうるさいのでな。」
「カー、バラ!」
「うんうん、ごめんね、まだ何言ってるかわからないけど、もしかしてアヌビス様も楽しんでくださってる?」
「カー!」
「良かった良かった!」
早苗と結衣とで用意した浴衣を身につけたトトとアヌビスは、早苗が立っていた横のベンチに腰掛けると、それぞれが焼きトウモロコシとりんご飴を食べだした。一回目の記憶を頼りに出店を指定したのが良かったのかも知れない。トウモロコシが必須であることは、もう言わずと知れたと言った感覚だったので、精霊の生徒たちにそれとなく頼んでおいたのだ。
前回、アヌビスとはすんなり仲良くなり会話も出来ていたのだが、今回はなかなか上手く会話が出来ない。仲良くなっているし、先程も耳のように跳ねた髪の毛をぴょこぴょこさせて早苗に頭を撫でるよう要求してくるほどなのに。何が足りないのかはいまいちわからない。
「未だ会話にはならぬか」
「はい…非力で申し訳ないです」
「否。そもそも会話できる者が居ぬのだ、貴様にだけ期待するのが馬鹿らしい」
「なんとなく、上辺だけなら何を考えているのか分かるようにはなったのですが…今後も精進して参ります」
「……精々足掻け、人間」
「はい」
応援なのか罵倒なのかわからない言葉に笑顔で返すと、トトは決して嘲りではない笑みを返してくれた。なんと穏やかな気持ちになれるのだろう。もしかしたら、今回も恋人として隣に居られるようになるのだろうか。前回の記憶が無くたって、もしかしたら…と考えてしまう。
きっと、何回繰り返したって同じように…
ふと、トトの向こう側に結衣が見えた。白地に赤い金魚の浴衣と、その隣に居るのは若草色の淡い浴衣を着たバルドルだ。視線をずらすとアポロンは月人やロキと一緒に焼きそばを食べながら花火を見ている。
誰の視線も無いと思ったのだろうか、バルドルが結衣の頬へと口を寄せた。
「っ!?」
驚いたのは結衣だけではない、早苗もだ。
一瞬驚愕してみせた結衣は次の瞬間にはとても幸せそうな笑みを浮かべた。前回は、その笑みはアポロンにしか見せていなかっただろうに。今回はバルドルに惹かれているのだろうか。
やり直しただけで別の人を好きになってしまうだなんて、結衣とアポロンは本物の愛で結ばれていると思ったのに。
「ほう、あの腑抜け同士が結ばれるか。」
どこか楽しげにつぶやいたトトの声も少し遠くに聞こえた気がする。
もしかしたら、たとえ本当の愛であっても、やり直すことでその愛もリセットされてしまうのだろうか。結衣とアポロンのように?だとしたら、もし今回も失敗して三回目がやってきたしまったら、トトと結衣という組み合わせを見ることになるかもしれない。
それは嫌だ。
例え前回も今回も結衣と仲良くやっているとはいえ、これだけは無理だ。トトの隣だけは譲れない。絶対に。
トトがそれで幸せになれるのなら…と一瞬考えてしまうけれど。それでも隣に居るのは自分でありたい。自分がトトを幸せにしたいのだ。
【02:ざわめく心】
本当の愛とはなんだろう。早苗の疑問は解けることはないまま、秋になり、季節は徐々に冬に入ってきた。
最近はバルドルが例の「病」で寝込むことが多く、教室は二人欠けることが日常になってきた。何が出来るわけではなくても側に居たいのだと結衣も一緒に欠席することが多いからだ。
「今日もか。心配だな」
尊がお昼に発したひとことで、空気が冷たくなることも無いくらい、日常になってきている。
「まあ、ユイが一緒に居るから、なにか起こったら呼びに来るでショ。ねえシャナ」
「そうですね。わたしたちに出来るのは…大人しく見守ることです。あ、後は結衣のノートをとっておくことですかね!」
余計な手出しはせず、求められた時求められそうな時に手を貸す。ロキがそれを望むことは一回目で把握した。今回もロキとは仲良くやっているので、早苗はそのスタンスを貫くつもりだ。
「シャナは本当に人間なのか疑いたくなるくらい、物分り良いよねえ。」
「……ロキよりも物分りが良いな」
「ちょっとトールちん、言いがかりでしょ、ソレ」
穏やかに進む食事に、早苗が飲み物のカップを口へ運んだ瞬間だった。
シュン
眼の前を光が通った。前髪が少し、はらはらと舞う。見覚えがあった。一回目の世界でも。これは
「バルドルさんが!」
勢いよく立ち上がったのはロキと早苗だった。二人は扉を壊す勢いで廊下へ飛び出すと、保健室へと走り出した。途中、早苗は首だけ振り返ると
「皆さん、巻き込まれないように注意してくださいね!!」
それだけ叫んでまたトップスピードへ移行した。
まさか。まさか!
だって結衣と一緒に居ることで安定していたのに、どうしてバルドルのちからが暴走しているのだろう。この世界で結衣が本当に愛しているのはバルドルであろうに。その愛を持ってすれば心が安定して世界の崩壊を招くバルドルの能力は眠りにつくだろうと。そんな話をつい先日、結衣と二人でゼウスから聞いたばかりだというのに。
必死な顔のロキと二人で保健室にたどり着くと、すでに焼けただれた枷をつけたバルドルが、無表情で立っていた、浮いていた。その姿はすでに学生の制服ではなくて、神のものだ。長いプラチナブロンドが風になびいている。
チカラの奔流でバルドルを中心に風が巻き起こっているようだ。目を閉じたいほどには強い風が、早苗とロキの髪の毛や衣服を揺らす。そしてその風にのるようにして、時折光線が走るのだ。
ふと視線をずらせば、バルドルの足元にうずくまり、脇腹を抑える結衣が居た。バルドルの暴走に巻き込まれたことは考えなくとも分かる。
「バルドル…」
「ロキさん、ミスティルテインはありますか?」
「ある。けどやるならオレがやる。ラグナロクを…迎えるしかない」
暴走したバルドルを止められるのは、バルドルの母であるフリッグが「バルドルを傷つけない」契約を結べなかったヤドリギ「ミスティルテイン」のみだ。一回目では使わずに済んだが、今はもう止められそうにないバルドルの様子に、ロキも早苗も覚悟を決めるしかなかった。
「それを使う必要はない」
夏祭りと同じように、背後からトトの声がした。いつもより濃いその気配に早苗が振り返ると、早苗は目を見開いた。
上裸に大きな翼。ゆったりとした装束と金色の杖。あの日、一回目の最後の日に見たトトの神としての姿だった。
「ゼウスやアマテラスによって定められていた事象が発生した。」
「それは…バルドルさんが結衣を傷つけるということですか」
「その通りだ。よって世界は我が手によって作り直される。」
トトの神としての職務には世界の再生のため、一度壊すことが含まれている。一回目に聞いた内容が頭の中に反芻された。
神々しい…実際神なので神々しいという表現が正しいかはわからないが、とかく、目を離せないほど美しいトトの姿に、早苗はそっと近づいた。月と、時間と、医療と、様々なものを司るトトの声は、とても重みのあるものだ。
「矢坂早苗。そして草薙結衣。お前たちもすぐに消えることになる。」
「はい。トト様のお力でなら…本望です」
早苗が言ったことは事実であり、そして半分は嘘だ。
なんとなく予感がする。次に目を開けたら、きっとそこは箱庭だと。
世界を、トトの光が包み込んだ。
2018/08/07 今昔
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