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どうしてだろう。
どうして、こんなことになっているんだろう。

眼の前にあるのは、大きな鏡に映された崩壊していく世界。
地球だとか、太陽系だとか、天の川銀河だとか、そんな規模ではなくって。もっと大きな、世界という括りで崩壊していく、光の粉になって消えていく世界。そこで暮らしていたであろう人々も、早苗や結の家族たちも、どんどんと消えていく。

一体何を間違えてしまったのだろう。早苗は結衣と手を取り合って、その鏡の中を見ていた。


「どうして、私達は間違っちゃったんだろう…早苗、私達、どうしたら良かったんだろう」

「わからない、わたしにも、わからないよ…」


学園長室、二人の後ろに並び制服を身に着け人間の姿のままで見ていた神々は、そんな二人を痛ましげに見ていたように記憶している。結衣と恋人同士だったアポロンが小さく妖精さんと口にしたのが聞こえたし、早苗と仲が良かったロキは顔の横に垂らした髪の毛を弄びながらも、チラチラと鏡を見て、早苗たちを見てと忙しない。
ついに立っていられなくなった結衣を支えるようにしてしゃがむと、早苗はトトを見上げた。何時も通り、仏頂面とも無表情とも呼べる顔の彼から視線が返ってくる。

ああ、それだけでこんなにも心が沸き立つ。
あの時のように愛が籠もっていなくても、その目が自分を映すというだけでこんなにも幸せだ。


「私達も…消えるんですよね、トト様」

「わかりきったことを聞くな、痴れ者」

「わたしは…次もがんばります」

「何?」


訝しげにこちらを見たトトに、早苗は制服のリボンをぎゅっと握りしめて答えた。


「もう一度、頑張ります。今度こそ、みんなを救うために。」


結から手を離して、もう少しで消える世界が写っている鏡へ手を伸ばすと、早苗の体も光となって消え始める。よし、前回までと同じだ。
そう、これは三回目。こうして自分の体が崩壊していくのを見るのは三回目なのだ。


「トト様、わたしは、あなたと、あなたが大切に思ってくださったもののために…何度でも。」


これは三回目の記憶。
きっと次はまた、この箱庭へやってきた、あの春からはじまる。





【01:あなたに会いたくて】






ほらやっぱり。
早苗は桜並木の下で小さくつぶやいた。
これは四回目の記憶。

毎回始まる場所は違えども、必ず春の箱庭。はじめてこの箱庭へやってきたあの日へ戻ってくるのだ。首には勾玉のペンダントを下げた状態で、箱庭の学園で使われている制服ではなく、元の世界で愛用していたシリーズの服を着て。
もう分かりきっているので、早苗は自分の部屋があるであろう女子寮へ向かうと、クローゼットから制服を取り出して着替えた。うっかりペンダントが首から大きく離れようとすると、神々の枷と同じく電流が走るので気をつけながら。

始めたここへ来た時にはすでに成人だったのに、もうこの学園生活も四年目だ。実年齢には決して見合わない制服へ袖を通すことも慣れてきたように思う。


「トト様、わたし、早苗は今回も頑張ります。どうか見守っていてくださいませ」


姿見に自分を映し、喉元へと指を伸ばす。
”一番最初のトト様”がくれた、印。

最初はエジプトらしいマアトの羽をモチーフにした、ラピスラズリがはまったペンダントだった。けれどあの失敗した一回目から、なぜか二回目に移動してしまったときには、入れ墨のように胸元に刻まれていた。
最初のトトとの思い出が消えなかったことに安堵し、そしてなぜまた箱庭へ来てしまったのか困惑したあの時。それももう一年前になるのだ。

何がきっかけなのか、早苗にもわからない。
ただ、あの最初のトト様が神々の会議で決まった「世界を作り直す」という作業をしようとし、早苗だけは救っても良いと言ってくれた一回目の最後。世界の全てを引き換えても早苗を側に残そうというトトの不器用な気持ちは理解できたけれど、それは違うと思ったのだ。
確かに、自分だけ生き延びてトトの側に居るというのは、パッと見て幸せに映るかもしれない。けれどそれでは、トトが言うように人間の浅ましさを体現してしまう。それではトトの心は変わらず、決して人間を愛することは無いだろう。そう思った。
だからあの時、トトが世界を壊すために作り出した魔法へ身を投げた。


「トト様、今度こそ」


二回目と三回目は、恋人関係にはならなかった。
なってしまえば、同じことを繰り返すだけだと思ったのだ。

そんな回想をしていると、部屋のドアがノックされた。


「はい」

「矢坂早苗。貴様に伝達事項がある。私と一緒に学園長室へ来い」


ああ、何度この声を聞いても心が高鳴る。今度は救えるだろうか、結衣を、神々を、トトを、ついでに自分を。
早苗は大きく深呼吸をしてから出入り口へと足を向けた。


「はい、お待たせいたしました、トト様。ご足労頂き、頭が上がりません、ありがとうございます」

「……最低限の、礼儀はなっているようだ。着いて来い」

「はい」


そう、これは、矢坂早苗が巡る、箱庭での記憶。
Love is pain. Fate is helical.








2018/08/07 今昔




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