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矢坂早苗の朝はそれなりに早い。

まずカーテンを突き抜けて届く朝日で目が覚めると、早苗はベージュのカーテンと綺麗に磨かれた窓を開いて朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込む。こうして朝一番に太陽光を浴びることで体内時計がリセットされ、夜眠りにつきやすくなるのだ。
トキのトッキーは早苗が起きると同時に起きるので、朝一番から一緒だ。

それから着替える前に私室で簡単に朝食を済ませると、お気に入りの洋服に着替えて白衣を羽織る。生徒たちがいつ来ても良いようにベッドを整えて床の掃き掃除をし、ようやくもぞもぞと動き出す兎のウーサーを抱き上げて保健室の中で自由にさせてやる。
その頃になると廊下の外で生徒たちが登校してくるのが聞こえるのだ。今日も一番に紫色の髪の毛がガラスの向こうに見えた。戸塚月人だろう。


「さーて、今日も頑張りますかぁ!」


そう大きく伸びをしたところで、保健室に何かが足りなくなっていることに気づいた。


「あれ?ウーサーが居ない…」








【05:迷子の兎】







ウーサーは賢い子だからどこか遠くへ一人で行くことはないと思っていたが、保健室の周りの廊下や教室には見当たらない。始業まではまだ時間があるが、急いで探したほうが良いだろうと早苗は小走りに1階の廊下を駆け抜けた。
1つずつ教室を覗いて名前を読んでみるが、どこからもウーサーは出てこない。学校の中には居るだろうと、早苗は1つ頷いて中庭へと出てみた。すると視界の隅で白いものが動き、とっさにそちらに向けて走りだした。

始めてこの世界に来た時にロキと出会った中庭の巨木近くに、小さな白いモフモフがある。近づいて見てみると、赤い紐をリボン結びにした兎が一匹こちらを見上げていた。ウーサーには装飾品はついていないし、何より見た目だけでなく感じる何かがウーサーとは違った。誰かの…月人の使い魔だろうか?


「うさぎさん、私の使い魔、見ませんでしたか?」


しゃがんで兎に問いかけると、兎はコテっと小首を傾げた。可愛らしい仕草に思わず手を伸ばすと、スンスンと警戒したように匂いをかいで、それから早苗の方へと寄ってきた。そっと抱き上げると抵抗はされず、暖かさに頬が緩む。
この兎がいるということは近くに月人も居るのだろうか。早苗は兎を抱き上げたまま、中庭とその周りを少し散歩してみることにした。

少しうろついていると、遠くの方から白いモフモフが跳ねてきて、その後ろからモフモフを追いかけるように月人が歩いてきた。モフモフ----ウーサーは途中までこちらにやってきたものの月人を置いてきたことに気づいたのか途中で引き返し、今度は月人の腕にしっかり収まって2人でこちらへやってきた。


「おはようございます、月人さん」

「おはようございます。矢坂早苗、これは君の使い魔でしたか」

「はい、そうです。この兎は月人さんの?」

「えぇ式神です」


式神と使い魔で何がどう違うのか一瞬よく分からなかったが、早苗の腕から月人の元へと戻った兎は途端小さな木のキーホルダーのようなものに姿を変えた。式神と言われたイメージから、本当に生きている動物を従えているのではなく、木や紙で出来た人形から呼び出したのが式神なのだなと早苗は理解した。
ウーサーは随分と月人に懐いたようで、腕のなかに綺麗に収まってくつろいでいる。早苗が抱いている時よりもリラックスしているように見える。


「君の使い魔は、とてもよく躾けられているようですね。先ほども俺が追いつくのを待つのではなく、戻ってきました。うさまろは、俺をおいて走って行ってしまいました…」

「その子がうさまろなんですね。うちのウーサーはただ、抱っこしてほしかったのかもしれません。」

「…使い魔にもそのような感情があるのでしょうか」

「あると思いますよ。日本はただの傘やお皿、刀でも長く使うことで心が宿るという考え方がありますよね。付喪神とか…それと同じで、式神でも使い魔でも妖怪でも。感情は持ちあわせているのではないかと思っています」


言うと月人は自分のうさまろをそっと見下ろし、そして親指でそっと撫でた。式神であると最初から思って側においていたなら、そこに感情があるなんて考えなかったのかもしれない。
それきり喋らなくなった月人はウーサーが気持ちよさそうに目を細めるのを見ながら、そっと背中を撫で続けていた。ウーサーが二度寝するのではないかと思い始めた時、ふと早苗は気がついた。


「って月人さん!靴履いてないじゃないですか!!」

「…忘れていました」


忘れるものなのかと呆れる反面、うさまろに置いて行かれたと言った月人の言葉を思い出し、もしかしたらうさまろを必死に探していたのかなと早苗は思い直した。
ちょうど寮の方から尊が駆け寄ってきてその場はどうにかなったが、月人の天然っぷりは教室で結衣を苦労させていそうだと苦笑いするしかなかった。尊はうさまろが見つかったことを喜び、そしてウーサーを撫でてデレ始めている。


「おぁ〜、ウーサー…お前久しぶりだなぁ…相変わらず、やわけ〜」

「ところで、1つ質問をしても良いでしょうか?」

「おぅ、良いぜ」

「ツクヨミというのは、どのような神様なのでしょうか?日本神話の中でも登場回数が少なく、私も正確に把握できていないもので…」


言うと何故か尊の方が誇らしげに胸を張ると、月人ことツクヨミについて語り始めた。


「『月読』っていうのは月から暦を作ったり季節を確認したりすることで、その職業についている人間のことをそのまま『月読』って呼んだりするんだ。あにぃはその『月読』の人間を神格化したとも、月を神格化したとも言われてるみてぇだな。」

「なるほど…八百万の神々が居る日本ならではの流れで、月にも神様が居るってだけじゃないんですね」

「あにぃが治めるのは夜の食国(よるのおすくに)で、つまり夜のことだな。あにぃは月と時間の流れを見守るのが御役目だ」


思っていたよりもしっかりとした内容を教えてくれたことに、早苗は質問して正解だったなと微笑んだ。やはり話題作りは彼らに関係することの方が、相手も答えやすいしこちらも勉強になって良い。
日本神話ではアマテラスとスサノオについてよく語られるものの、ツクヨミについては存在すら知らない人が居るくらいにはお話が少ない。早苗も禊によって生まれただとか人間に穀物を与えたくらいの内容しか知らないのだ。

尊が月人がいかに偉大な神であるか語っている間に、朝一番の鐘がなった。朝の食堂が閉まるまで時間が迫っている時の鐘だ。


「ところで2人とも、朝食は摂られましたか?」

「あ、やべぇ。あにぃ、急いで戻らねぇと朝食食いそびれちまうぜ!」

「分かりました。」


兄弟だというのにどこか余所余所しい雰囲気を漂わせつつ、月人はウーサーを早苗の腕に返すと尊と共に寮へと戻っていった。気難しそうな尊があれだけ懐いているのも兄弟だからなのだろうが、それにしては月人の方が冷たいようにも見える。あまり突っ込んではいけないと分かっていても、気になってしまうのが人の性というものだ。
早苗は気になるねーとウーサーに話しかけながら保健室へと戻った。





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