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熱砂、とはよく言ったもので、確かに照りつける太陽にホカホカとは言えない程温度のあがった砂は目玉焼きが作れそうだ。早苗は頭にのった黒い布の内側で、どうにか紫外線が体に当たらないようにとテントを作った。
エジプトは暑い。日本のように湿度のあるまとわり付くような暑さではなく、純粋に気温が高いのだ。ここは言わば地獄と天国と現世の境目であるというのに、この暑さは一体なんだろうか。地獄が近いんだからもうちょっと涼しくても良いんじゃないか。そう思ったが、日本の地獄は熱いところだったよなと思い直す。
そんなくだらないことに思考を回しながら、早苗はトトの仕事が終わるまでを石のベンチに座って待っていた。

トトの仕事は死者の裁きに立ち会い、記録をつけることだ。その裁きの方はあのアヌビスがしているというのは少々想像がつかないが、以前ちらっと見た仕事中のトトはいつにも増して凛々しかった。
早苗はベンチの背後に生えているやせ細った木の影にどうにか収まろうと足をベンチにあげた。


「中で待っていろと言ったはずだが?ただでさえこの国の気候に慣れたわけではないのだ、身重の体に直射日光は悪い」


建物の中から出てきたトトに、早苗は勢い良くかけよると飛びついた。箱庭に居た頃であれば首根っこを捕まえて放り投げられそうなものだが、こちらへ来てからというものトトは早苗に甘い。頭を優しく撫でられ、早苗は目を細めた。


「入りたくなかったんです。それに、ほら…トト様はもう少しご自分が人気だと自覚サれた方が良いです」

「人気?」


本当に訳がわからないというような顔をされてしまい、早苗は盛大なため息をついた。こうしてトトの側に居る間は何も無いが、この裁判所のような場所には女神や女性の精霊なんかも居る。面目麗しく仕事も出来るとあれば、当然モテるのだ。
そのトトが他国神話の神に依頼された仕事から帰ってきたと思ったら、見知らぬ女性を連れていたのだ。当然以前よりトトを見ていた女性は気に食わないだろう。トトの妹であるセシャトは何かある度に構ってくれるし守ってくれるが、今日はそのセシャトも居ない。何かされるのも怖いので外で待つことにしたのだ。


「トト様を好いている女性は多いようですから。」

「……神の中にも移り気なものは多い。私もその中に入るとでも思っているのだろうか」

「まさか!トト様が一途と分かっているからこそ、ヤキモチを妬くのではありませんか?」


トトの手が早苗の手に絡み、二人はそっと微笑みを交わしてから自宅へと戻る道を歩き出した。トトは早苗のお腹をそっと撫でると、ガラベーヤの上からでは分からないが少し目立ってきたお腹に嬉しそうに微笑んだ。
そして神々向けに小物やらを売っている商業の神の街、言ってみれば商店街のような場所の方へと顔を向けた。


「トラジェでも買って帰るか」

「気が早すぎます、トト様。スブーの用意にしても、何ヶ月も先の話ですよ?たまにはお腹の子だけじゃなくて私も甘やかしてください」

「しようのない奴だな。帰ったら夕飯くらいは作ってやる。」


二人がいつも通りに一緒に居られることと、いずれ産まれる子供の存在とに幸せを噛み締めていると、早苗のポーチから着信音が鳴り響いた。
人間界から持ってきてしまった道具であったが、今も何故か使うことが出来ている。着信画面には<草薙 結衣>と表示されており、早苗はトトに断りを入れると慌てて応答した。


「もしもし」

『もしもし、矢坂先生?久しぶり、ビックニュース、素敵なビックニュースなんだよ!』


結衣ではなくアポロンの声が聞こえたかと思うと、その背後から元気な子供の鳴き声が聞こえてきた。箱庭で無事に卒業してから初めてかかってきた電話に何事かと思ったが、その鳴き声に早苗はふんわりと頬を緩めた。


「アポロンさん、もしかして後ろで泣いているのは…」

『そう、僕たちの子供が生まれたんだ!矢坂先生には伝えなくちゃって、ダメ元、ダメ元だったんだけど電話をしてみたんだ!』

「おめでとうございます!草薙さんに、滋養のつくものを食べさせてあげてくださいね」

『うん!それでね、もしよければ、矢坂先生に子供の名前を、素敵な名前を考えて欲しいんだ。』


アポロンの素敵な申し出に早苗が了承すると、喜んでお礼を言い、アポロンはさよならもろくに言わずに電話を切ってしまった。どうやらそうとう子供が生まれたことが嬉しいらしい。
訝しげな顔をしているトトに事の顛末を話して聞かせると、以前の教え子たちの様子が嬉しいのか、珍しく穏やかな笑みを見せてくれた。


「そうか。あの二人にも子供が……私たちも、楽しみだな。早苗に似た、美しい子になるといいのだが。」

「健康に生まれてくれたら、それだけで私は嬉しいです」

「…そうだな。母子ともに、健康でいろ。私が愛しているのはお前だけなのだからな。」


トトの腕が腰に周り、寄り添うようにして歩きだす。アポロンと結衣はうまくいっているようで、自分たちもまた子供を授かっている。これから訪れるであろう幸せに思いを馳せながら、二人はゆっくりとした足取りで自宅へと帰った。











FIN




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