お名前変換




【15:恋愛END「優しい両手」】




早苗は保健室を出ると、結衣の居る女子寮へと向かった。ひと通りなにが起きているのか説明すると結衣は崩れ落ち、「そんなのはあんまりだ」と言って涙を流した。泣いている暇はないので半分無理やりに立たせると、二人で男子寮へも移動して、他の神々に全てを説明した。
彼らも結衣と同じように「そんなこと…」と顔を歪めたが、ギリシャ神話の最高神であるゼウスと各国代表の決議に口出しが出来るはずもなく、ただただ顔を伏せるばかりだった。


「どうしよう…僕たち、僕たちに何かできないのかな」


ギリシャ神話の寮の中で、誰に問うでもなく呟いた。ソファの隣に座った結衣を抱きしめるその様子に、あぁお別れしたくないんだな、と早苗にも感じ取ることができる。その二人が微笑ましくもあり、自分にはそう思ってくれる人が居ないおとが寂しかった。


「シャナ、何かトトセンセから聞いてないの?」

「トト様はこの決定に賛成されています。私が何を言っても覆ることはないでしょう」


ロキの問いにそう答えると、トールでさえも落胆したようにため息をついた。早苗は罪悪感を感じながらも、頭の中では何かしなくてはと熱い程に思考が回る。
そう、何かしなくてはならないのだ。確かに誰もが消えろと思うような極悪人も居るかもしれない。けれどそんな悪い人間にだって恋人が居たり、本当に愛し合える尊敬し合えるような相手が居たりするのだ。
世界中全ての人間が全員「消えてしまえ」と思っている人なんて存在するはずがないのだ。だからこそ、人間をすべて1つのくくりに考えて滅ぼされてしまうのは納得がいかなかった。トトが早苗さえも消滅させることに賛成しているというショックはあるが、それでもどうにかして生き延びて、トトの側に居たいと思う。
その思いは結衣も同じようで、両手でスカートの裾を握りしめた結衣はキッとどこか一点を睨みつけて口を真一文字に結んでいる。


「私、やっぱりトト様のところへ行ってきます。何かしら、行動をおこすきっかけが分かるかもしれません」


こんな状況でも、トトと話したいと思う。そんな感情に敏感に気づいてくれたのはバルドルだけのようで、彼は優しく微笑むと早苗に早く行くようにと促した。他の神々は純粋にこの事態への打開策を探しに行くものと思っているようで、黙ったままだ。
先ほど立ち直ったばかりなのにまた情けない姿を見せにいくことに抵抗はあるけれど、それでも今はトトと話をしていたいと思った。


「わたしは、早苗さんが納得のいくようにするべきだと思うな。あなたに幸せになって欲しいと思っているのは、最初から今ままで、少しも変わらないから」

「ありがとうございます。行って来ます」


扉を開けて外へ出て行く動作が、少し乱暴になってしまうのも仕方がないというものだ。早苗は神々のことは結衣に任せればどうにかなるだろう。そう思うとどうしてもおざなりになってしまった。

精霊の生徒たちはすでに消されてしまっているのだろうか、誰も居ない廊下に早苗の足音だけがカツカツと響いていく。男子寮から図書室までの道のりは、持久走をしているように長く感じられる。図書室にたどり着いて扉を開いた時には、早苗はしゃべることも困難なくらいに息切れしていた。


「無様だな。日頃の運動不足を嘆くがいい」


トトのいつもと変わらぬ声に、早苗ははっと顔をあげた。扉を開いた体勢で止まっていた早苗に、トトは手を頭に載せてグリグリと髪の毛を乱してくる。


「と、トト様!髪の毛が」

「まったく、私が直々に手をくださねば、いつもの間抜け面にすら戻れぬとはな。」

「……私、トト様にご相談があって来ました。お話を聞いていただけないでしょうか」


頭をぐりぐりされながらどうにか伝えると、トトはようやく攻撃の手を止めて先を促すよに頷いてくれた。部屋の中にアヌビスは居ないらしく、廊下と同じようにシンと静まり返った空気が重たい。


「どうにかして、人間を救うことは出来ないでしょうか?」

「今更何を言う。ようやく自分も消えるということに考えがいきつき、命が惜しくなったか?」

「違います。以前トト様にお話しました、人間は必ずしも善悪で判断できないと。人間の善である部分までも滅ぼしてしまうというのは、どうしてですか?」


トトが微かに眉をひそめた。早苗の言うことが理解できずにそうしたのか、他の意味があるのかは分からない。


「貴様はその時同時に言ったはずだ。一人の人間が善悪の両面を持っているのだと。全ての悪を消し去るためには、結局人類を滅ぼす他ないだろう」

「確かに言いました。ですが、改善出来ないなら消すというのは如何なものでしょう!人間は失敗から学ぶものです。でも全て消してしまったら、学習することすら出来ない。神との関係を直していくための、関係の改善に挑戦することも出来ません!」


結衣や早苗の努力が無駄だったと、次に繋ぐことも無く消し去られてしまうのは癪に障る。言いながら、あぁ自分を否定されたのが嫌だったのかと、早苗は今更ながらに気づいた。
人間が悪に落ちる原因は色々ある。生まれた環境のせいであったり、他の者に教えこまえれたりと。しかしそれは同じく環境は一緒に居る者によって改善されることもある。


「人間が悪い方へ落ちていくのは、何も本人のせいだけではありません。周囲の環境がそうさせることもあるのです。実際に、私も草薙さんもここへ来て変わりました。」

「人間を取り巻く環境…なるほど、この世界か。」


トトは神妙に頷いた。途端、目の間に金色の光が弾け、眩しさにぎゅっと目を閉じて腕を顔の前へ持ってくる。トトが何かしたというのは分かったが、一体何をしたのか。眩しい光が収まると、早苗はそっと腕をどかしトトを見て、絶句した。
真っ青だった瞳は金色に輝き、今まで来ていた箱庭の制服と似たデザインの服装ではなく、上裸であぁエジプトの神だったのだなと納得してしまうような、熱砂の国の民族衣装のようなものに変わっていた。何よりもその背中から生えた翼は、根元ほど白く、先端は少しばかり青く、目を見張る美しさだ。


「トト様…これが、神としての姿なのですね」


頭に被っている黒い布が、風もないのにはためいた。


「この一年で多少なりその単細胞な脳みそに知識を詰め込んだ貴様なら知っているだろう、私の神としての役割を」


なぜこのタイミングでそんなことを問うのだろうかと、早苗は必死に頭を働かせた。
最初は石の中から自ら生まれでたという創造神、知識を司る叡智の神であり、月の神からその役割を譲り受けた月の神であり、そして世界が…


「世界が終焉を迎える時、オグドアドを目覚めさせること…。」




_




_