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トトは自分の膝の上で眠る一匹の黒猫を見て、盛大なため息をつくことしか出来なかった。エジプトではバステトという女神の存在が示す通りに猫は神聖な生き物であり、それ故にトトも邪険には扱えない。
最高神であり太陽の神であるラー、猫が夜でも目が見えるのはラーが猫の目を通して人間界の様子を見渡しているからだと言われている。つまり猫は上司の象徴でもあるのだ。

故に、ついつい丁寧に扱ってしまうのだ。
たとえ猫の中身が矢坂早苗であるとわかっていても。








【 猫崇拝 】









神聖視されるようになった猫を殺傷することは、故意・過失を問わず、事情のいかんを問わず犯罪として扱われ、刑罰を受けることによってその罪を償わなければならない。
紀元前525年のペルシアとエジプトの戦いでは、ペルシア軍が最前列に猫を配したために、矢を放つことのできないエジプト軍が大敗したと伝えられている。ことの真偽は不明だが。それほどまでにエジプトでは猫が崇拝されているのだ。


「おい、早苗。いい加減にそこを退かないか」

「カーバラ!!(駄目!今のシャナは猫だから可愛がってあげなくちゃ!!」


アヌビスが発した図書室の本棚から本という本が全て落ちそうな大声に、トトは顔をしかめた。トト自身も古き教えは大切にしているが、アヌビスもなかなかに頭は固いらしい。

アポロンがたまたま見つけてしまった資料室のツボを、たまたま教室へ持ち帰り、たまたま教室へ資料を届けに来ていた早苗が居る時に開けてしまい、たまたまそのツボが「周囲に居る女性を猫に変える」魔法のツボだったために、今早苗は一匹の黒猫へと姿を変えていた。
ついでに、同じように猫になった草薙結衣はアポロンが面倒を見ているらしい。困ったことにツボの能力が切れるのは3日後。ゼウスは彼女たちの面倒を見るようにと、学校を臨時の休暇にしてしまった。
何故かトトの膝の上が気に入ったらしい早苗猫は、ひたすらトトの膝にのり、腕にじゃれつき、読書をするトトの邪魔ばかりしていた。そして最後には遊び疲れたのか、そのままトトの膝で眠りについている。


「いい加減夕餉にしたいのだが…」

「バラバラ!!(シャナが起きるまでそーっとしておくの!」


夕日が暑いくらいに差し込んでくるのを感じながら、トトは膝の上の猫をそっと撫でた。心地よさそうに喉をならし、もっと撫でろと言うようにお腹を見せた猫−−−−早苗についつい頬が緩む。
前足を捕まえて肉球をフニフニと触れば、むず痒いらしく体をくねらせて抵抗する。ニ"ャーという不機嫌そうな鳴き声でさえも、なんだか嬉しくなってしまうのだから猫というのは不思議だ。


「カー、バラバラ!(トト、にやけてる!やっぱりトトはシャナが大好きだね!!)」

「……黙れ」


緩んでいる自覚のあった口元を引き締めると、トトは思い切って早苗を抱き上げた。隣に居たアヌビスが盛大に文句を言うが知ったことではない。眠そうに目を細める早苗の鼻先に、自分の鼻先を触れ合わせる。
早苗は一瞬目を見開いたが、すぐにまた眠そうな顔に戻ると、トトの鼻先をぺろりと舐めて満足そうにニャーと鳴いた。


「貴様は本当に懲りない。人間の姿に戻ればこの振る舞いを後悔するだろうに、何故こうも私につきまとう」

「カー?(シャナもトトが好きだからだよね?)」


アヌビスの問に、早苗はYESと応えたいのか、一際可愛らしい鳴き声をあげるとトトの胸元に頭をこすりつけてくる。なんだこの可愛い生き物は。エジプトへ連れ帰ればいいのか。猫の姿なら連れ帰っても何も言われまい。むしろ歓迎されるだろう。


「カーバラ!(トト、嬉しそう!)」


アヌビスの言葉にトトは慌てて表情を元に戻すと、早苗を膝の上に戻した。当然のようにそこで丸くなる彼女に、トトは再び表情が緩まないように細心の注意を払いながら途中だった本を開いた。
そもそも、エジプトでは猫が崇拝されているということを、この神話馬鹿になりつつある保険医が知らぬはずがないのだ。猫の姿になった状態でどこまで思考回路が働いているかは分からないが、分かっていてやっているのならなかなかに罪作りである。


「まぁ良い。いまはせいぜい甘えておけ。人間に戻ったら嫌という程にこき使ってやる」

「にゃー」


眠そうだが楽しげに鳴いた早苗に、トトは頬が緩むのを隠しもせずに手を差し伸べ、そっと顎の下を撫でてやるのだった。


後日、人間に戻った早苗がトトと顔を合わせられなくなるのはまた別のお話である。
















2015/02/26 今昔
猫の日に乗り遅れました。




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