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翌朝。
授業が始まる直前に保健室の扉が盛大は音をたてた。こんなに騒がしいのはアポロンだろうかと思って早苗が顔をあげると、予想に反してそこに居たのは慌てた顔のロキだった。


「シャナセンセ!無事!?」

「え?お、おはようございます、ロキさん。どうかなさいました?」


ロキは早苗に異常がないかと両肩をつかんで揺さぶり、むしろそれで気分が悪くなりそうなほどだったが、早苗はどうにかロキを落ち着かせると紅茶をだして経緯を説明するように言った。
まだ少し混乱しているらしいロキから話を聞くに、今朝目が冷めてみるとトールのミョルニルが無くなっていたそうだ。怪しい人物ということで、偶然ゼウスに箱庭に呼び出されていたヨトゥンヘイムに住んでいる巨人族の王・スリュムに声をかけたところ、返してほしくば箱庭で一番美しい女性を花嫁に差し出せ!と爽やかな笑顔で言われたそうだ。

「箱庭で一番美しい女性」と聞いてここにやってきてくれたことは少し嬉しくもあり、こいつはミョルニルと引き換えに早苗を差し出そうと思っているのかと考えつくと、それはすこし腹立たしいような気もした。


「私がスリュムの元へ行けばミョルニルは取り返せるのですね?」

「だーいじょうぶ、シャナセンセを危ない目に遭わせるつもりはないよ」

「そうですか…巨人の花嫁……花嫁としての責務が果たせないような気もするんですが」

「センセって意外と下世話?」

「お黙りください」


そのうちトールがロキを呼びにやってきたが、自分の所有物がなくなったと気づいて彼もとても焦っているようだった。表情は変わらないのだが、目つきがいつもの5割増しで厳しい。


「…盗人め……見つければタタじゃおかない。骨を全て砕いてやる…」

「………」


そういえばトールはヴァイキングに信仰されていた神様で、優しいが厳しい神様だったなと、早苗はビクビクしながら早く見つかることを祈るというようなことを伝えた。するとトールは何故か知恵を借りたいと言って早苗の手を握ると、他の神々が集まっているAクラスの教室へと連れて行った。
クラスには既にギリシャ神話と北欧神話の神々と草薙が揃っており、早苗が連れて来られたのを見てほっとひといきついた。


「矢坂先生、実はトールさんの…」

「聞きました、ミョルニルですよね。生憎と私、大きすぎる人のお嫁には行きたくありません。」

「となると、どうやってミョルニルを取り返すかだが…精霊の生徒でも良いのだろうか」


ハデスの呟きに、そういえば人間とも神とも指定がないのなら、そういうことも可能だろうと思ったが気づかれた時が怖い。なにせあの北欧神話一番のちからを持つトールが、面倒だと形容するのが巨人族なのだから。
飴玉を口に入れて転がしていたロキが、ふと思い立ったように机から飛び降りると、トールの両肩をつかんで言った。


「シャナセンセに化けてよ」

「……は?」

「だーかーらー、トールちんが女装して自分でスリュムのところに行けば良いんだって〜」

「「「「「「「!!!!!」」」」」」」


ロキの提案に一瞬教室が沈黙し、そしてディオニュソスと尊、それからアポロンと結衣がぶっと吹き出した。早苗もロキやバルドルと違いどちらかと言えば逞しい系の美人であるトールが女装したところを想像してしまったが、どうにか笑わないように顔の筋肉を総動員させた。
ハデスも後ろを向いて両肩を震わせているので、恐らく笑っているのだろう。バルドルは満面の微笑みでどこから持ってきたのか女性向けのファッション誌を開いている。


「オレも侍女ってことで一緒に行ってあげるからさ。ミョルニル奪われたままよりよっぽどましじゃない?」

「…俺が……スカート…だと?」

「そうそう!オレははかないけどねー♪ さてシャナセンセ、洋服貸して!」

「……しかし…」

「もし!今枷を付けられた状態で巨人が攻めてきたらどーするのォ。まして向こうにはミョルニルがあるんだよ?辛すぎない?」


トールはロキの口車に乗せられた、といいうよりも巨人族との全面戦争になった場合のリスクを考えたのか、大人しく早苗に洋服を貸して欲しいと頭を下げてきた。早苗もこうなったらやるしかないなと自室に洋服と化粧道具を持ちに戻り、結衣と二人がかりでトールとロキの女装を手伝うことになった。






「これは…凄い、凄いよトール!」

「ロキロキ、とってもとーっても美人さんだよ!」


自分でもしたことがないくらい気合の入った化粧をされたロキとトールは、この世のものとは思えないくらいの美人に変身していた。龍だってくれた結衣も満足気に微笑んでいる。当の本人であるトールは微妙な顔をしているが、ロキは地毛のままなためかとても楽しそうだ。


「よぉーし、それじゃトールちん、行くよ!」

「……あぁ…はぁ…」


スリュムには矢坂早苗という女性が花嫁にやってくると伝えておき、ロキとトールを向かわせると早苗とバルドルはそれを忍者のように隠れながら追いかけることにした。スリュムは花嫁が本当にくると分かって嬉しかったのか、箱庭の片隅にパーティ会場を作ると素晴らしいほどのワインや牛の丸焼き、鮭を使った料理を作って待っていたらしく、背後から覗いているバルドルのお腹が鳴るのではないかと早苗は冷や汗ものだった。
予想通りバルドルがうっかりお肉に釣られて歩き出してしまい、早苗はしっかりと手を繋いでおくことにした。そうしている間にもロキとトールは席につき、反対側に居る巨人族の王であるスリュムと向き合った。スリュムは巨人族と言われてゴツい男性を想像していたが、トールと同じタイプの美青年だった。多少、ゴツイというかトールと比べれば顔面偏差値が低いような気もするが、そこはご愛嬌だろう。


「よく来てくれた早苗殿!さぁ好きなだけ食べてくれ」

「ありがとうございます。」


トールではなくロキが出来る限りの高い声で答えると、会食が始まった。
問題はそこからだった。トールの普段の食事量は知らないが、少なくとも牛を丸ごと1頭とワイン大瓶3つと鮭8匹をひとりで平らげる花嫁は居ないはずだ。
早苗がポカーンと見ていると、バルドルは今日もトールは健康なようだねと言ったので、神様の胃袋は摩訶不思議だ。


「こんなに大食いの花嫁は初めてだ…」


そりゃそうだ。


「シャナ様はあなたの事が好きで好きでたまらなくて、8日のあいだ一口も何も口にしなかったんですよ。」

「おぉ、そうだったのか!そんなに私のことが好きだったのか!!!」


ロキの誤魔化し方もどうかと思うが、あれで誤魔化される方もどうかと思う。早苗はばれないかヒヤヒヤしていたが、スリュムはこれっぽっちも疑っていないようだ。
更にあろうことかスリュムは喜びのあまりトールの頬にキスをしようとし、そこで異変に気づいたようだった。流石にまずいかと思って体をこわばらせると


「なんて鋭い目をしているんだ…」

「シャナ様はあなたの事が好きで好きでたまらなくて、8日のあいだ眠れなかったのですよ」

「そうだったのか!」


神よ、これで良いのか。
早苗はげんなりと両肩を落とし、こうなりゃなるようにしかならないなと見守る決心をした。
ロキの演じる侍女の言葉に有頂天になったスリュムは召使に「ミョルニルを持って来い。花嫁の膝元において結婚を祝おう。」と指示を出した。ハンマーが運び込まれ、花嫁の膝元におかれると、トールは我慢の限界だったのか洋服を脱ぎ捨てた。


「……俺に手を出す奴は…骨まで砕く」


トールの低すぎる脅しに巨人族の王も召使たちも恐れおののいたようだったが、トールのミョルニルは容赦なく振るわれた。
早苗は、他人の大切なものを気安く借りたりしてはいけないことと、トールを決して怒らせてはいけないことを学んだのだった。











第4話、終。








2014/06/04 今昔
トールとロキが女装して花嫁として巨人族のところへ潜り込む話は実在します。気になる方はゲルマン神話を読んでください。




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