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いつも通りの教室の風景。そこにシャナが居るだけで、どうしてこうも世界が変わって見えるのだろうか。ハデスは真剣に考える。
シャナはハリネズミのジレンマを乗り越えたのか、きちんと教室へ来てくれるようになった。それと同時にハデス以外の神々とも関わりをもてるようになり、自然と笑顔も増えた。特に当たり障りない話題の提供ができ、女性との距離の取り方を心得ているらしいディオニュソスとは話しやすいようだ。
ロキとも元から仲は良かったようだし、トールや尊とも親睦が深まっているように見える。そんなふうに見ていていてはまるで父親のようだなと微笑んだ。
これでは逆にハデスのほうが「シャナと話せない」とすら思うのだが、今まで年頃の少女が冥府で必死に生きてきたのだ。歳相応に楽しんでいる様子を見るのもまた幸せであると思える。


「ハデス!今日は流星群が見られるってトトが言っていたぞ!夜になったら一緒に行こう!」






【 5:幸福の欠片 】






お熱いねぇというディオニュソスからの激励には聞こえない激励を聞き流し、ハデスは放課後になると同時にシャナと共に天体観測の準備をはじめた。使い方が気になるというシャナのリクエストに応じて組み立て方を教えることになったのだ。
シャナは望遠鏡が人間のものであると知った時には不服そうな顔をしたものの、ハデスが星を見るのが好きだと言った途端に覚える!と意気込んだ。


「なるほど…こんな仕組みで遠くのものがハッキリ見えるようになるのか……これを作った人間はすごいな!星をぐっと近くで見れるようになる。人間の中でもこれを作った人は嫌いじゃない」

「そろそろ、草薙とも話してやったらどうだ?女同士の方が話しやすいこともあるだろう」

「嫌だ。私はハデスと話せればそれでいい。…けど、ずっとこうしてるわけにもいかないとは知ってる。」


むすっと唇を尖らせたシャナを可愛らしく思い頭を撫でてやれば、すぐに笑顔に戻る。本当に、教室へ来て神々と関わるようになってから表情が増えた。もちろん、彼女が教室から出てくるきっかけとなったのはハデスの存在だが、こんな風にくるくると変わる表情を見出してくれたクラスメイトたちには感謝してもしきれない。
ハデスは楽しそうに望遠鏡を箱に戻していくシャナを見て、今夜だけは晴れてくれと、顔も知らない運命の女神とやらに祈ることしか出来なかった。




 ◇ ◇ ◇




結論から言えば、「うん、分かってた。知ってたよ」である。
分厚い雨雲と今にも雷でもなるんじゃないかというパチパチと電気を帯びた雲、星空は垣間見えるどころか完全に姿を消してしまっているほどに広範囲に雲が広がっている。今望遠鏡を組み立てようものなら、帰りにはずぶ濡れになって壊れてしまうのではないかと心配するほどだ。
冥府の呪いを受け続けるハデスと、同じように冥府の住人として影響を受けているシャナとでは、まあこうなるだろうとは予測していた。ただ、少しだけ、ひょっとしたら、快晴の中で星が見れるんじゃないかと、ほんの少しだけ期待してしまっていた分ショックだ。
シャナはこの季節に見える正座の種類こそ分からないものの、星を見るのは好きだったようでしょんぼりと眉根を下げている。草原の中に作られた東屋の中で、望遠鏡の箱を開きたそうにソワソワと指先でいじる様子はなんとも可愛らしかった。


「もう少し雲が少なければ雨がふる前に終わらせることも出来たのだが…」

「仕方ないだろう。自分たちの国ならいざしらず、ここはあのゼウスが作った箱庭だ。私たちの力及ぶ場所ではない」


むすっと唇を尖らせたシャナは望遠鏡の箱の前に座り込み、ハデスのズボンの布をちょいちょいと引いた。組み立てて星が見たいのだという催促に、ハデスは彼女の頭をそっと撫でるしかなかった。
シャナが先ほど言ったように、この箱庭では全てがゼウスの意のままだ。季節のめぐりだけは星の観測に影響するので正しい巡りにさせたが、天候まではずっと晴れにしてくれるわけではないらしい。彼女は自分でも言ったことと行動が矛盾していると分かっているのか、しょんぼりとした顔でこちらを見上げてくる。


「一雨降れば雲もなくなるかもしれない。…少し、待ってみるか?」


ハデスの言葉に、シャナははっと顔を持ち上げた。楽しげに微笑む姿に、こちらまでも心が軽くなるのがわかる。


「いいのか!?じゃぁ、待っている間にハデスの好きな星座を教えてくれ。私は夜空を見るのは好きだが、詳しくはない。星座と神話は紐づくことも多いのだろう?」

「分かった。まずは落ち着いて…座るといい。」


ハデスはこの季節に見えるであろう星座の種類と、それにまつわる神話やいいつたえについて語った。お伽話を聞く幼子のようにはしゃぐシャナに、口は驚くほど軽く回った。
東屋のベンチに並んで腰掛け、手を伸ばせば届く距離にシャナが居ること。それがたまらなく幸せであり、今が幸せである分だけ卒業による別れが辛くなることも簡単に想像できた。
いくら同じように冥府に住まう神といえども、国が違う。帰るべき世界が違う。この箱庭で人間と愛について学び終えれば、ハデスたちだけではなくどの神々もが自分の世界に帰らねばならないのだ。これほどまでに恋い焦がれていようとも、それは変わりない。


「どうした?」


突然黙りこんでしまっていたようで、シャナの手がそっとハデスの頬に触れてきた。親指で頬を撫でられ、くすぐったさもあったが心臓がうるさく音をたてた。


「あまり、寂しそうな顔をしないでほしい。辛いのなら何が辛いのか教えてくれないか?」

「シャナ…。お前は、この神々の学園での卒業資格を得た時、どうしたいと思う?」

「卒業資格?何のことだ?」

「ゼウスに枷を付けられているだろう?神々の力を封じ、人間に近い姿にするための枷が」

「そうか!その手があったな!!」


シャナはもう一度名残惜しそうにハデスの頬を撫でると、すっと立ち上がり今にも雨が降り出しそうな雨雲の下へと出て行った。ハデスが立ち上がり東屋の出口ぎりぎりに立ってシャナを見ていると、彼女は髪の毛をふんわりと靡かせて振り返った。


「ハデス、私には枷などついていない」


朝日を受けて輝く東の空のように、シャナの体は輪郭を覆うように輝きだした。金色の暖かな光を放ち、髪の毛は少し伸びて頭には冠が、服装は制服から真っ黒なワンピースと鮮やかなピンク色のポンチョへと。
そして極めつけと言わんばかりに瞳が金色に輝きだし、そして周囲の光は収まっていった。ハデスはそれが彼女の神としての姿だと気づくまでにしばし時間がかかり、そして気づいてからもう一度、彼女の出で立ちを頭から爪先までじっくりと見つめてしまった。
ピンクのポンチョには細やかな華の刺繍が入れられ、よくよく見れば腰の辺りに細い羽根が生えている。真っ白なそれは、やはり彼女は本来冥府の住人でないのだと再認識させられるほどに清らかだ。


「私、人間だったころから雨雲を操れるんだ。人間の姿ではもう出来ないが、こうして神の姿を取り戻せばこのくらい容易い!」


シャナが右手を大きく空へ伸ばすと、金色のブレスレットが金属音を立てた。それに呼応するように、シャナの上空から雨雲が渦巻きだしたかと思うと、大きな入道雲のようになって雲は移動を始める。風もないのに流れていく雲を見て、ハデスはただ目を丸くするしか出来なかった。
やがて上空を覆っていた雨雲はいなくなり、上空には明るい星々が輝きだした。ハデスは以前シャナから聞いた人間だった頃の話を思い出し、ただ驚くことしか出来なかった。


「ほら、早く天体観測を始めよう、ハデス!流星群が始まってしまうぞ!」


神の姿のままではしゃぐシャナに、ハデスは呆れたような幸せなようなため息をついて、望遠鏡を組み立てた。せっかく練習したのにシャナが組み立てに参加しないことも、先ほど聞かせた星と実際に指差している方向が全く違うことも気にならないくらい、ハデスは幸せだと感じた。



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