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ハデスはロキに手を引かれて慌ただしく教室を出て行ったシャナを見つめ、そして深く息を吐いた。これは決してため息ではないと自分に言い訳をしつつはいた息に、アポロンが気遣わしげに顔を覗きこんでくる。
太陽のように明るい笑顔を少しだけ暗くし、本当に心の底からこちらを心配しているのだと分かる顔に、ハデスは更にため息が出そうになった。


「ハデス伯父さん、どうしたの?一体どうしたのかな?」

「いや、何もない」

「そんなはずないよ、だって今日の伯父さんはなんだか元気がない。せっかくシャナが登校してきてくれたっていうのに…」


アポロンの心配もありがたいが、ハデスが思っていることを誰かに話して共有することは躊躇われる。シャナがロキと仲良さそうに過ごしているのを見るのが辛いなど、口に出して良いことではないのだ。
彼女にはああして明るく笑顔で居て欲しいと思う。しかし呪いを持った自身が側によれば、その笑顔を消し去ってしまうのだ。遠くから見守るだけで構わない。ロキと幸せになってくれればそれで自分も幸せだと思う。


「伯父さんはシャナが教室に来てくれたのが嬉しくないの?」

「そんなことは言っていないだろう。…だが、俺が近づけば不幸にしてしまう」

「あれ、また伯父さん悩んでるの?」


ディオニュソスまでもが寄ってきてしまい、ハデスは困惑した。
ともかく、誰かに話せることでもなければ解決出来ることでもない。それをこのように心配されては心苦しいというものだ。

同じ冥府の住人であっても、シャナは元々人間で本来は極楽浄土へ送られるべき尊き生贄だ。その身に冥府の呪いを受け続けているハデスとは、住む場所が同じでも全く異質の存在。相容れること、まして側に居ることなど不可能だろう。


「伯父さんはさ、ちょっとくらい欲張ってもいいんじゃないの?シャナちゃんと話したいなら話せばいいし、食事くらい誘ってみたら?」

「いいねいいね!Dramaみたいだね!きっとシャナも伯父さんが話しかけてくれるの、待ってると思うよ?」

「いや…誰もシャナの話だとは言ってな

「ほら、声をかけに行こうよ、行くベきだよ!」

「不幸だ」


ハデスを置いて盛り上がっているアポロンとディオニュソスを尻目に、こっそりとため息をつく。本当に、少しロキと一緒に居るのが妬ましいだけであり、一緒に居たいなどとは思っていないのだ、断じて。
教室の扉が開く音で思考を遮られ、ふとそちらに顔を向けると、購買へ行くと言っていたはずのロキとシャナが顔をだした。シャナは驚いたような嬉しいよな表情を浮かべていて、ハデスはしまったとロキを見やる。
ロキはしてやったりとニヤニヤの笑顔を浮かべており、どうやらシャナに一連の流れを聞かせたらしい。


「ハデス!私と話したいのか!?」


もちろんハデスの口からそんなことは1回も発していないが、シャナが嬉しそうに両手を握りしめているのを見ると、否定することは躊躇われた。


「…俺が側に寄っては、お前が不幸になる」

「何故!私だって冥府の神だ、不幸なら嫌という程知っている。」


言うシャナの目は冷たく、冥府に暮らす己と似たものを感じさせた。


「死よりもおぞましいことになるぞ」

「私の『死』よりもおぞましいものなんて、そうそうありはしない。ハデスは私にとって、むしろ幸福だというのにどうして近づくのを嫌がるんだ。私は寂しい…」


先ほどまでの冷たい視線とは一変して、悲しみの色を見せたシャナにハデスは心臓が押しつぶされるのではないかと思った。今すぐにでもその悲しみを取り払ってやりたい。側に寄って抱きしめてやることでそれが消えるなら、今すぐにでも駆け寄って抱きしめて側に居て欲しいと伝えるのに。
それをしてしまえば、彼女は二度と陽の光の当たる場所で楽しそうに笑うことは出来なくなってしまう。自分一人の我が儘で彼女を不幸に巻き込むわけにはいかないのだ。


「俺はお前を不幸にはしたくない。」

「私は!ハデスと離れて安全で居るよりも、ハデスと一緒に居て幸せでいたい!生きてる時はそういうことは全部駄目だったから、今くらい、好きに生きていたい!」


シャナが叫んだ途端、彼女の体から黒いモヤが吹き出した。避ける間もなくそれはハデスや教室に居た神々を包み込んだ。
触れた場所から、何がどうなっているのか、シャナが今感じていること。生贄になった時の記憶。苦しさや辛さ、もどかしさ、憎悪。ハデスが冥府で受けている呪いにも似た感情と記憶が流れこんでくる。


「……これは、シャナの能力か」


トールの驚いたような呆れたような声が聞こえた。
視界の隅で、草薙が慌てふためいて、残酷な記憶でも受け取ってしまったのか涙を流している。人間の少女が受け取って泣いてしまうようなシャナの記憶は、心当たりがありすぎて検討もつかない。生贄になるためにひとりぼっちで幽閉されている子供時代、生贄にされ心臓を抉られ生皮を剥がれるところ。


「シャナ…」


無表情にモヤを噴出し続けているシャナに、ハデスは思わず足を向けてしまった。歩きだしてから、「何をするつもりだ」と自分自身に問いかけてみても、足は止まってはくれない。
無我夢中でモヤの中心に歩み寄ると、黒いモヤを無視してシャナを抱きしめた。少しだけ勢いがなくなったモヤに安心しながら、頭をそっと撫でてやり、出来るだけ優しい声で語りかける


「すまない。お前の気持ちは確かに受け取った。頼むから…そのように苦しそうな顔をするな。お前の過去がどうであれ、俺は全て受け止めよう。お前が不幸だと感じることは、俺も一緒に背負おう。」

「ハデス」

「だから落ち着け。お前から離れたりすることはしない。」


その後もしばらく頭を撫で続けてやると、モヤは少しずつ消えていき教室に充満していたのが嘘だったかのように消えてなくなっていく。
シャナはモヤが消えてからもハデスから離れようとはせず、泣いているのか浅い呼吸を繰り返してはハデスの制服をぎゅっと掴んだ。苦しげな様子に、ハデスも腕を緩めることは出来ずにそのままで様子をうかがった。


「ハデスの、側に居てもいいか?」

「ああ」

「私は…ハデスの側に居て、幸せになってもいいのか?」

「もちろんだ。お前の不幸は俺も共に引き受けよう」


背中に回されたシャナの腕のぬくもりを感じながら、カシャンと軽い音をたてて外れた枷に、ハデスは小さく息を呑んだ。周囲に居た神々も草薙も同様に目を丸くしていて、ハデスは冥府の小さく可愛らしい神が自分を変えてくれたことに感謝した。







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2014/08/20 今昔




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