夜子のもとへ一報が入ったのは、始業式を終えて体育会も終わり、秋も深まるだろうか…という時分であった。


「え?MV出演?」

「そうよ、夜子ちゃんのダンスが素敵だと、司坊ちゃまからお話いただいたの」


品の良さそうな笑顔をうかべて紅茶を飲む婦人は、朱桜のお茶会にいた人だったと記憶している。パステルグリーンのオフィスカジュアル系のコーディネイトが似合う、中年女性だ。耳に揺れるパールらしきイヤリングが一体いくらするのか、夜子は考えるのをやめた。

婦人はソーサーへ音をたてずにカップを戻すと、にっこり微笑んだ。


「もちろん、趣味として夜子ちゃんが踊っていることは知っているのだけれどね。でもこの機会に一度で良いからプロのレッスンを受けてみない?」

「MV出演のために、ということですよね」

「そうよ。とあるアイドルのMV出演。趣味で使っている名前でダンサーをしてみませんこと?」


婦人がテーブルに滑らせた名刺を受け取ると、「Rhythm Link」という企業名と担当の名前が記載されていた。


「りずむりんく…」

「聞いたことはあるかしら?」


婦人が何人かの芸能人の名前をあげ、夜子もその人達がRhythm Linkに所属するアイドルなのだろうと気づいた。つまるところ、老舗の超大手事務所である。
夜子はそれに気づくと、婦人としっかりを目をあわせてうなずいた。


「分かりました、私にどこまでできるかわかりませんが、頑張らせてください」

「そう言ってもらえると思ったわ!」






初日にまずは共演するキッズモデルの男の子たちとの顔合わせ、それから実際に楽曲を聞かせてもらって構想の説明を受けるらしい。
今回のMVは年末にリリース予定のシングルCDで、同級生たちと共に過ごした日々を振り返るという「出会いと別れの歌」だ。つまり、アイドルたちの回想シーン的なものを演じることになっており、その中にアイドルとその過去を投影したキッズモデルたちが踊る、ちょっとしたダンスシーンが盛り込まれている。

レッスン室へ早めに来た夜子はかんたんに柔軟を済ませると、次に投稿しようと思っていたボカロ曲を口ずさみながら踊り始めた。有名なボカロPの楽曲で、同じ人が作った「○○ナイト」というシリーズはどれも歌ってみた・踊ってみたともに人気だ。
比較対象が多いというデメリットもあるけれど、夜子の場合は中学生を全面に押し出したプロデュースと、有名曲だからこそ間口が広いというメリットを利用しようと思ったのだ。

ガチャリとレッスン室の扉が開いたけれど、あと数小節でキリが良い。夜子は残りの4小節分を踊りきってから止まって振り返った。


「ちょっとあんた。もっとしっかり歌ってみてよ」

「ちょっと泉さん!初対面の女の子になに言ってるの」


目の前に現れたふわふわのグレーと、きっちりとした印象の金髪。二人に見つめられて夜子はきょとんと首を傾げた。
彼らは夜子がうけた「お仕事」の共演者、確か名前は瀬名泉と遊木真であったと記憶している。ちらりと時計に目をやれば、集合の十分前になっていた。彼らもまた更衣室でジャージに着替えてから来たのだろう。

第一印象は大切だ。夜子は人好きしそうな笑顔を浮かべようと口角を持ち上げた。


「えっと…瀬名さんと遊木さんですよね。はじめまして、よろしくお願いいたします。聞いてたの?」

「そうだね。悪い?」

「いいえ、ただ…私別に上手じゃないし……」

「馬鹿言わないの!!」


泉の急接近した顔に夜子は思わず手のひらを彼に向けて、「どうどう」となだめた。
そう、この「お仕事」には夜子もたった今気づいた問題があった。夜子にとっては新鮮なダンスレッスンを受けさせてもらい、キッズモデルたちと一緒にアイドルのMVに登場する。夜子にとって、否ネットで活動していた現役中学生くいーんにとって大切なお仕事だ。


「ねえ、良いでしょう。もっと聞かせなよ」


うっとりと頬を染めて顔を寄せてくる泉は、夜子も雑誌で見たことがある彼の姿とはかけ離れていて、正直ちょっとひいた。


「私で、よければ…」

「そう言ってもらえると思った!」


いつぞやの婦人と似たようなテンションで喋る泉は、夜子の両手を彼の両手で包むとうっとりと蕩けるような笑顔を見せた。


「ああ、本当に。ゆ〜くんも綺麗だけど、あんたはやっぱり年上だし、美しさの種類がちょっと違うよねぇ。お人形みたい。MVで着る予定の制服もすっごく似合いそうだし…ああ、そうだ、空き時間に写真撮らせてよ、流石にカメラじゃ怒られるだろうから携帯新しくしたんだよね、画質綺麗なやつに」


歌えと言ったわりに喋り続ける泉に、夜子は助けを求めて真をみやったが、つい数分前に出会ったばかり。どうしたものかと苦笑いを浮かべるばかりだ。


「えっと、それは勿論、瀬名さんの事務所が良いなら良いのだけれど…」

「本当に!?言質とったからね!」

「すみません、えっと…青梅さん、ですよね。僕は遊木真です。よろしくお願いします。」

「よろしくお願いします、遊木さん」


真の申し訳無さそうな発言に夜子はにっこり微笑んだ。威圧しないように、ふんわりを心がけ、真の緊張と焦りと困惑が解けるように。


「すみません、泉さんなりに青梅さんのこと調べてて、僕と一緒に動画を見てて…ファンになったみたいで…」


夜子はそれで合点がいった。初対面でビジュアルについてここまで褒め称え、あまつさえ携帯を買い換えるだなんて発言は正直ドンビキである。が、事前に夜子のことを知った上でのことなら、ちょっとひいた。くらいで済む。


「ところで、私の動画ことはどうして知ってたのかしら」

「青梅さんを紹介してくれたお偉いさんの友達って人が見せてくれたんです。」

「ああ、あのひとが…一応私は正式にデビューしているわけではないので、本名とあの踊ってみたが一致しないように、内緒にしてくださいね」

「当たり前でしょ!あんたが困るようなことは絶対しない!」


夜子の手を撫で回すことをやめて口を挟んだ泉はやはり、ちょっとドン引きするほどのデレデレっぷりであったが、この様子なら信じても良さそうだ。
彼の理想を裏切らないように気をつけなければと気をつけながら、入室してきた大人たちにレッスンの開始を悟り、夜子はそっと手を離した。


(瀬名さん、顔は良いのになあ…)







2020/04/13 今昔





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