朝子にとって夜子は、完璧な姉だった。
時期当主という立場もあり、中学生ながらに舞踊、薙刀、お琴、生花、ピアノといった習い事をこなすし、夏休みに絵をかけば準優勝、冬休みに書き初めをすれば県庁で受賞、成績表は満点。

男の子との浮ついた話もなければ、女同士もそこそこ仲良くやっているし、本家である朱桜の嫡男とも関係は良好。


それに比べ朝子の自己評価は「平凡」というものだ。
両親に恵まれたので見た目は悪くない。習い事もさせてもらっているので、バレエ、ピアノ、ヴァイオリン、生花と社交ダンス。比較的なんでもござれだ。
けれど、なんでもできる代わりに、秀でているものがない。


今日はそんな自分に嫌気がさして、散歩と称しひとり公園を歩いていた。いつもより、少し遠い普段寄らない公園。
に、足を踏み入れようとして


「五線?」


足元の地面に深々と掘られたそれに、足を止めた。枝で書いたのだろうそれは深く掘られていて、少し歩いたくらいでは消えなさそうだけれど、誰かの作品を踏みにじるのは気が引ける。
朝子が立っているのは楽譜の上側のようなので、首をひねってどうにか逆さまのままで楽譜に目を通す。


♪」


軽やかなメロディは恐らくアレグロのテンポだろうと予想をつけて口ずさむ。
まるで夏の朝、爽やかな風に揺れる朝顔のような、ふんわりと優しく、暑いよりも清々しい空気を感じるメロディだ。けれど今の朝子が歌うには少し音域が低い。

見える範囲を歌い終えると、丁度顔も正面を向くことになり、朝子の視界に男の子が入ってきた。


「お前!!すごいな!!」


少し年上かな、というその子はオレンジの髪の毛をぴょこぴょこさせ、瞳をきらきら輝かせている。そしてその右手には木の枝が握られていて、朝子はこの子が地面にほったのかなと思い立った。


「はじめまして、ですの。この曲はなんて曲ですの?」

「知らん!というか、決めてない!」


決めてない、という言い方に首をかしげる。


「あなたが、書きましたの?」

「そうだぞ!これはおれが書いた!」

「……作曲、されたということですの?」

「お前、妄想が上手だな!そんなお前は…あ、まって!霊感がきたー!!!」


男の子は何やら叫ぶと地面を見渡し、まだ空いている場所にがりがりと彫り始めた。
尋ねようにも、集中している相手に声掛けするのは失礼だと敬人に言われたことがあるので、朝子は地面の楽譜を携帯で写真に収めることにした。

地面に書いているくらいだから、きっと五線紙を持っていないのだろう。あとでメールアドレスを聞いて送ってあげたら喜ぶかもしれない。


今度は、口ずさむと朝子に丁度良い高さで、キラキラのキャンディやクッキー、お菓子のような可愛らしいメロディだった。
テンポも先程の楽譜より早いほうが似合うだろう。


「お前、実は宇宙から来た音楽星人なのか!?こんなに可愛い声してる人間に出会ったのははじめてだ!」

「わたしも、こんなにキレイな曲をかくひとに出会ったのははじめてなのでなのです!」

「おれは月永レオだ、よろしくな!」


差し出された手に少し戸惑ったけれど、朝子は結局その手を握った。


「わたしは青梅朝子ですの。よろしくお願いしますわ、月永さん」

「レオで良いぞ、朝子」


直感でわかる。彼はこちらがどう言おうと意に介さない、俗人とは少し…いやかなりズレた感覚の持ち主、つまりは天才肌である。
姉である夜子はまだ常識人の範囲での天才肌だけれど、このレオは違う。
もはや、これは、そう


(もはや宇宙人ですわ…)


朝子の戸惑いと困惑は幼い頃からの教育によって隠され、表面上はにこやかに笑みを浮べてみせた。


「では改めて、仲良くしてくださいね、レオさん」

「勿論だぞ!さあ、一緒に未来を妄想するぞ、朝子!」


地面にまたがりがりと譜面を書き始める彼に、朝子はため息を押し殺した。

レオが書いて、朝子が歌い、レオが書き直し、納得がいけば朝子にあわせてレオも歌う。完成した譜面はひたすら携帯で写真に収める。
それを砂埃で薄汚くなるまで繰り返したレオを、妹と母が迎えに来た夕暮れに、朝子もようやく帰宅することができた。とんでもない人に出会ったからか、歌ってすっきりしたのかは分からないけれど、帰宅した朝子は不思議と無力感に襲われることはなくなった。



20200409 今昔




_